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父を思い医者を目指し、好きを求め車業界へ しかし国の経済発展を願いIT業界に飛び込んだGo AbekawaのGo Global!〜フィトリさんFromマレーシア(前)(2/2 ページ)

グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はWebサイト保守などに携わるシステムエンジニアのHamel Fitri(ハマル・フィトリ)さんにお話を伺う。勉強よりも外で遊ぶのが大好き。自然とともに過ごした少年は、やがて「自分の国に貢献したい」と考えるようになっていった。

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志望先を車業界からIT業界に“シフトチェンジ”

阿部川 2018年に東海大学に留学します。東海大学はクアラルンプール大学との連携校だったのですね?

フィトリさん はい、そうです。クアラルンプール大学で日本大学プログラムに参加している学生が約30人、他の大学も含めるとマレーシア全体で130人ぐらいいます。来日後に日本で配属される大学が決まります。私はイスラム教なので、ムスリム(イスラム教徒の通称、女性は「ムスリマ」と呼ばれる)が多いと聞いていた東海大学を希望し、希望が通った形です。東海大学の工学部電気工学電子工学科に3年生として編入し、2年間勉強しました。


編集中村
編集 中村

同じマレーシア出身のこの方も東海大学に進学されていました。マレーシアの若者にとって東海大学への留学は目指すべきものの一つなのかもしれませんね。


阿部川 東海大学、つまり日本でも寮暮らしだったのですか。

フィトリさん いえ。このとき始めて一人暮らしをしました。それまでは家族や友達と一緒に住んでいたので、ちょっと、いや、かなり大変でしたね……。

阿部川 日本語を勉強したとはいえ、日本に来るのは初めてですし、しかもたった1人ですからね。じゃあ勉強するしかないですよね(笑)。

フィトリさん その通りです。毎日、大学に行って勉強して帰って寝る。その繰り返しでした。

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日本で初めての雪体験!

阿部川 卒業論文は何を書いたのですか? やはり車に関することですか。

フィトリさん そうですね、電気自動車のモーター(ハイブリッドモーター)を研究しました。

阿部川 日本には有名な車の会社がたくさんありますからね。日本で車のことを勉強するのは面白かったですか。

フィトリさん はい。マレーシアでも日本の車、TOYOTA(トヨタ自動車)とかNISSAN(日産自動車)とかHONDA(本田技研工業)の車はよく走っていますから。だから最初は日本の車の会社で働いて、そこで勉強した技術をマレーシアに持ち帰って貢献したいと思っていたのですが、ちょっと理由があってIT業界に進むことにしたんです。

阿部川 どんな理由ですか。

フィトリさん 就職活動で、いろいろな会社のエンジニアたちと話したり、先輩たちの話を聞いたりしました。そんな中で、そのときIT業界と自動車業界を比べるとIT業界の方が、自分の成長も国の成長も保証できる業界だと思いました。そこで、よく調べて、考えて、ソフトウェアエンジニアになろうと決めました。

阿部川 なるほど。そして、日本の会社でソフトウェアエンジニアとして就職しようと決めたのですね。

フィトリさん そうです。ただ、ITにシフトチェンジしたのが就職活動の途中だったので、それまでコーディングを勉強する機会は大学の情報処理の授業くらいでした。でも興味があったので、自分でも勉強していたんです。その勉強したことが将来の役に立つことになりました。


編集中村
編集 中村

母国語ではない言語での講義はついていくのも大変でしょうに、その上でプログラミングの勉強までしているなんてすごいですね。御本人は「興味本位、遊びの範囲」などとおっしゃっていましたが、しっかりと将来の基盤となる勉強になりましたね。


阿部川 勉強しておくものですね。就職活動では何社ぐらい応募したのですか?

フィトリさん 就職活動はコロナ禍でしたので、オンライン面談でした。50社以上応募しました。

阿部川 50社! オンラインでの面接を50社ぐらいも。すごいですね。コロナ禍だとそれしかやりようがないですもんね。

フィトリさん はい。それしか道がなかったので。今、働いているアドバンストビジネスサービス(以降、ABS)は最後の方に面接したんですけれど、50社以上の面接の経験があるので、自分がスケールアップ(成長)したことを感じていました。日本語もうまくできるようになって、ABSの面接ではいろいろな話ができました。コミュニケーションも上手になって、聞きたいこと、話したいことも全部伝えられるようになって、会社からの説明もよく理解できました。


 多くの友達と活発な少年時代を過ごし、「この国をもっと豊かにしたい」と考えた少年は、日本への興味を深めていくことになる。苦労して日本語を学び、さまざまな出会いを経て、フィトリさんは日本でエンジニアとしての歩みを始める。後編はフィトリさんが実感した「日本で働く上で必要なもの」について聞く。

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