前編〜W3C特許方針を読む
今年5月にW3Cは特許方針を発表した。プレスリリースによると、特許方針はW3C勧告の実装にかかわる特許は基本的にはロイヤルティーフリーで提供するということと、それについて会員間で承認が得られたということを報告している。今回はまずこの特許方針を忠実に読み進めてみる。
加山恵美2003/8/23
本稿はW3C Asian Communications Officer 平川泰之氏のご協力をいただき、加山恵美氏が執筆しました。文責は加山氏および@ITが負うものです。本文中では“W3C Patent Policy”の一部を抜粋して翻訳しています。正確な記述を期して作成しておりますが、読みやすさを優先してかみ砕いた表現を用いている個所もあります。“W3C Patent Policy”はW3Cサイトに正式文書(英語版)がありますので、厳密な内容については原文を参照してください。(編集局) |
■突然の特許方針ドラフトに混乱
W3Cの特許問題が広く知れわたるきっかけとなったのは、2001年8月に発表になった特許方針ドラフトである。このドラフトでは、W3Cの勧告としてロイヤルティーフリー(Royalty-Free:RF)を基本に掲げているものの、RAND(Reasonable And Non-Discriminatory)を条件としたロイヤルティーにも言及している。RANDとは「合理的かつ非差別的」という意味であり、誰にでも分けへだてなくライセンスするという条件を定め、これを満たさないようなロイヤルティーの主張を防ぐことを目的としたと解釈できる。
近年では標準策定に一般企業も多く参加するようになり、W3C勧告に企業の所有する特許が含まれた場合、勧告を実装した者に対して対価を要求する訴訟を起こす、といった法的な問題が浮上する可能性が懸念されてきた。このような問題が発生する前にW3Cとしての特許の取り扱い方針を明文化し、勧告の策定作業が特許問題によって中断するなどの不慮の混乱を事前に防ごうとしたのだろう。
しかしそうはいっても、視点を変えれば、「特許がW3C標準に含まれたら企業はそのロイヤルティーを徴収してもいい(ただし合理的で非差別的とする)」ことをW3Cが認めたとも受け取れる。これには大きな反発が生じた。インターネット技術には学術性や公共性が広く浸透していたため、その一部であっても特許料を徴収するという商業的な観念は多くの関係者にとって受け入れ難かった。この後、W3Cの勧告と特許についての議論に多くの企業や団体が加わり、多くの時間が費やされた。技術のロイヤルティーをめぐる争いは、「競争」対「協調」という理念の対立であったのかもしれない。
特許方針は途中経過ではロイヤルティーフリーを全面的に打ち出したものの、最終的には「例外」を設けて最終的な承認に至った(「特許論争に揺れるW3C 前編・後編」参照)。論争の経過はさておき、最終的な特許方針の内容を見てみよう。
■ロイヤルティーフリー原則を全面的に強調
最初は目次にある大項目から見てみよう。見てのとおりだが、目標、ワーキンググループ(WG)参加者の義務、「RFライセンス」要件とその除外、開示すべき情報、例外の取り扱い、それから重要な用語となるエッセンシャル・クレイム(注)についての定義がある。概観には目次にある項目をよりかみ砕いた表現で説明してある。
エッセンシャル・クレイム(Essential Claims):W3C特許方針で用いる特別な用語。W3C勧告の実装によって必然的に侵害されてしまう特許に関するあらゆる主張のこと。全世界の司法所轄を含む。より大ざっぱにいうと、勧告を実装することで、その勧告に含まれる特許の権利を持つ者がロイヤルティーの支払いを主張すると懸念されるものすべて。そもそもこの方針はこうした特許問題をどう扱うかを明文化したものである。 |
承認されたW3C特許方針「W3C Patent Policy」(2003年5月20日版)。2001年8月の「W3C Patent Policy Framework」から2年近くの議論を経て、ようやくW3Cの特許方針がまとまった。 |
目次
|
あらためて目次より前にある概略に目をやると、文書の冒頭から「ロイヤルティーフリーに基づくW3C勧告の実装を保証することを目標にする」と宣言している。つまり特許方針の基本理念はWeb標準をロイヤルティーフリーで提供することなのだ。
概略 |
同じくセクション2にある目標でも、ロイヤルティーフリーを前面に出している。本文を見ると、もしロイヤルティーフリー条件が適用できない場合には勧告の承認を断念することも辞さないという強い態度で臨んでいる。
2. W3C勧告のためのライセンス目標 |
さらにセクション3を見ると、「ロイヤルティーフリーの概念について合意することが関係者の義務として課せられる」と明言されている。「関係者」とは、WG内のW3Cメンバーはもちろん、招聘(しょうへい)された専門家や一般のメンバーも含まれることになる。この関係者の義務はWGへの参加の条件にもなっている。合意すべき内容には、WG作業に関係するあらゆるエッセンシャル・クレイムを後述するW3Cのライセンス要件に適合させるようにするとある。
■RFライセンス要件とその除外
セクション4と5ではRFライセンス要件について記載がある。セクション5がRFライセンス要件で、セクション4がその除外についてだ。順番を入れ替えて、まずはセクション5で定義しているW3CのRFライセンス要件から見てみよう。
5. W3CのRFライセンス要件
ライセンス条項
|
上記訳は正確性を期しあえて原文に忠実な表記を用いた個所もある。また原文の“may”は「でしょう」とした。 |
上記部分は、W3Cが掲げるRFライセンスの定義であり理念でもある。法的な表記なので難解だが、どんな人にもどんな場合でもロイヤルティーフリーを保証できることを要件としている。多くの項目が並ぶが、RFライセンス要件にかかわるあらゆる考慮点について説明している。要件定義にもかかわらず断定を避けた表現なのは、W3Cには強要できない理由があるからだろう。法律による特許権の保護については後述する。
それで気になるのが、セクション4に記されている上記のW3CのRFライセンス要件からの除外についてだ。勧告に含める必要があるとみなされた特定のエッセンシャル・クレイムは、WGへの継続的な参加を希望する参加者で、その特許所有者がRFでライセンスすることを拒否した場合に限り、上記のW3C RFライセンス要件から除外されることがある。つまり、W3C勧告の実装にロイヤルティーが発生することになる。
ただし、特許所有者がRFライセンスを拒否する旨を表明できる期限があり、最初の公開ドラフトから150日以内に公開しなくてはならない。もし最初の公開ドラフトから90日以内に次のドラフトを経て勧告に到達しても、途中のドラフトで特許主張が明示されずに勧告発表後になって特許主張が表面化したら、ラストコール付きのドラフト発表後60日以内なら新たなエッセンシャル・クレイムを主張し、RFライセンスから除外できる。それ以降はどんな主張も除外されることはない。
■情報開示
W3C特許方針には情報開示について項目ごとに詳しく明記されている。いくつか重要な項目を抜き出してみる。
まず開示要求は、W3Cからエッセンシャル・クレイムについての知識を持つと推定される関係者たちに対して出されることになる。ただし開示の要件として、(1)W3Cメンバー組織に所属する個人が開示要求を受け取ったこと、かつ(2)その個人が該当する仕様に含まれるとされるエッセンシャル・クレイムに十分な特許の知識があること、この2つの条件を満たすことが必要となる。つまり、開示要求は諮問委員またはW3C広報を通じて、回答する人物(企業の法務担当者など)に指示される。
そして開示する内容は以下の2点である。これらについては、W3Cに設置されたメーリングリストへ送付することになっている。
- 特許番号。ただし特定の主張への言及は不要
- 適用されるWGや勧告
情報開示については、今回の最終的な特許方針が公開される前から、W3Cにはある習慣が定着していた。特許に関する実践項目をまとめたノートに具体的な項目が公布されていたからだ。そのため比較的新しい技術文書ではたいてい、冒頭にある“Status of This Document”セクションに「特許開示(patent disclosures)」へのリンクが含まれている。
例外が適用された場合の処置について見ていこう。例外となるのは、W3C勧告に必要不可欠とされる特許が存在し、それに対する情報開示が行われた後、残念なことにW3C RFライセンス要件に適合しない権利主張が残ってしまう場合である。そのときにはPAG(Patent Advisory Group)が設置されて紛争解決のための討議を行う。PAGには該当WGのドメインリーダー、議長、Teamコンタクト、およびW3Cメンバー組織の代表者などが組織に加わる。
PAGは審議の末、以下のいずれかを結論としてWGに提言する。
|
もし上記1〜3までが回答され、あらゆる努力を払っても紛争が解決されない場合には、PAGはRFライセンスで利用できない特許技術であっても、勧告に含めること(非RFライセンス)を提案することがある。その場合、問題となる技術がWGに必要となる理由と、提案されたライセンス条件のもとでその技術の採用を拡大させる方策も併せて説明しなくてはならない。またそのようなPAG提案には、完全な権利主張のリストと提案された代替案のライセンス要件、それから勧告を発行する前で追加作業が発生しないなら提案されたWG憲章をそれぞれ含めなくてはならない。
■ロイヤルティーフリーを目指した最大限の努力
全体を通してみると、かなり法的で難解な表現になっているが、最大の主張は「ロイヤルティーフリーを目指すこと」にある。できることなら「完全にロイヤルティーフリーとする」としたかったのだろうが、おそらくそれは無理なのだろう。なぜなら、特許によって技術を保護する権利は米国でも日本でも法で認められている。いくらW3Cでも法で定められた権利の放棄を強要することはできない。悪い例えだがもし、ある企業がW3Cを相手取って「私たちは特許料を請求する権利を奪われた」と訴訟を起こしたらどうなるだろう。W3Cには厳しい判決がいい渡されてしまうかもしれない。そういう乱暴な訴訟を実際に起こす企業があるかどうかは別として、法的な観点からは完全にロイヤルティーフリーとするのは難しいはずだ。
ただし、インターネット技術にかかわる多くの関係者の熱意をうけ、W3C特許方針にはRFライセンスを保持する最大限の努力が盛り込まれている。「ロイヤルティーフリーを目標とする」というW3Cの方針は、合法な範囲で最大限の効力を発揮するにちがいない。また、そのための合意と承認を得られたのは、多くのメンバーが議論に費やした多大なる努力と忍耐の結晶である。本方針は今後のインターネット技術と特許の在り方を方向付けた重要な指針かつ合意事項になったことだろう。
次回の後編では、W3Cの特許問題に詳しい関係者へのインタビューを予定している。
■参考記事
特許論争に揺れるW3C 前編〜標準技術と特許の難しい関係
特許論争に揺れるW3C 後編〜ロイヤリティ・フリーを求めて高まる声
W3Cの特許方針ついに決着へ |
- QAフレームワーク:仕様ガイドラインが勧告に昇格 (2005/10/21)
データベースの急速なXML対応に後押しされてか、9月に入って「XQuery」や「XPath」に関係したドラフトが一気に11本も更新された - XML勧告を記述するXMLspecとは何か (2005/10/12)
「XML 1.0勧告」はXMLspec DTDで記述され、XSLTによって生成されている。これはXMLが本当に役立っている具体的な証である - 文字符号化方式にまつわるジレンマ (2005/9/13)
文字符号化方式(UTF-8、シフトJISなど)を自動検出するには、ニワトリと卵の関係にあるジレンマを解消する仕組みが必要となる - XMLキー管理仕様(XKMS 2.0)が勧告に昇格 (2005/8/16)
セキュリティ関連のXML仕様に進展あり。また、日本発の新しいXMLソフトウェアアーキテクチャ「xfy technology」の詳細も紹介する
|
|