後編〜IE特許問題からW3C特許方針を検証する

 IT業界と特許。これまで無縁ではなかったものの、2003年はにわかに注目を浴びるニュースのキーワードとなった。標準技術の認識や扱いを再考させられる契機にもなった。W3Cは多くの団体と共同で特許方針を打ち立て、行動を起こした。

加山恵美
2003/12/25

IE特許問題の現状と展望

インタビューに答えるW3C Technology & Societyのドメインリーダー、ダニエル・J・ワイツナー氏

 最初に、後編の公開が遅れたことをおわびしておかなくてはならない。前編の末尾で後編を「9月公開予定」としながら12月になってしまった。遅れた理由の1つに、W3C標準であるHTMLと密接な関係がある特許問題が急浮上したことが挙げられる。

 それはXML/W3C Watch(2003年9〜11月版)でもレポートしているIE特許問題だ。これを理解し将来を展望するには、W3C特許方針がなくては語れない。そこで当初の予定を少し変更し、両者を併せて考察することにした。

 2003年11月に開催された「W3C Day Japan 2003」において、W3Cで特許方針策定にかかわったダニエル・J・ワイツナー(Daniel J. Weitzner)氏にIE特許問題とW3C特許方針について話を伺った。

 まずIE特許問題のおさらいをしよう。ハイパーメディア文書に埋め込まれたオブジェクトの扱いに関する特許を保有していると自称するEolas社は、Microsoft社のWebブラウザであるIE(Internet Explorer)に同社の特許(米国特許5,838,906、略して906特許)が含まれるとし、Microsoft社を相手取り特許侵害を法廷に訴えた。2003年8月に下りた判決ではIEの特許侵害が認められ、Microsoft社には5億ドルもの賠償金が課されることとなった。

 だが、これはEolas社とMicrosoft社だけの問題ではない。IEを使う多くのユーザーからソフトウェアベンダまで多大な影響を及ぼす可能性がある。

Microsoft社 vs. Eolas社の裁判とW3Cが起こした再審査請求

 インタビューをした11月中旬におけるIE特許問題の状況について、ワイツナー氏は「現状は2つの局面に分かれています。1つは、Microsoft社が判決を不服として起こした控訴の行方。もう1つは、米国特許庁が906特許を再審査している結果の行方です」と語った。2つの論点について、以下に要約しておこう。

(1)Microsoft社の控訴
 控訴審で先の判決が保持されるか、覆されるかで行方が分かれる。一般的に特許侵害裁判は2審で結審する場合が多いため、次の判決が最終判決となる可能性が高い。一方、Eolas社はIEの配布を差し止める請求を出している。Microsoft社はIEの配布差し止め命令を回避するため、IEの改編版を出す準備を進めている。

(2)米国特許庁で906特許の再審査
 W3Cは米国特許庁に906特許を再審査するように提案した(リリースおよび書面)。その根拠としてW3Cは、先行技術があるためEolas社の特許は有効ではないと指摘している。再審査が行われると、特許が有効か無効か、あらためて判断が下される。もし特許が無効となれば、この問題は存在しなくなる。つまり、Microsoft社の特許侵害も控訴も成立しなくなる。

 さらにワイツナー氏は詳細について、「Microsoft社の起こした控訴は結論が出るまでにおよそ2〜3年はかかるでしょう。とても長く、待てません。そこでW3Cは特許庁に再審査を提案することにしました。なぜならわれわれは906特許が有効ではないと確信しているからです。もしあの特許が有効だと考えたのであれば、標準の変更を検討したかもしれません。ともあれ、特許庁長官はつい先日、906特許を再審査するとの判断を下しました。事の重大さ、(Web技術全体に関する)好ましくない影響を理解したからです。特許庁の再審査は、結論まで3カ月〜1年かかるとみています」と説明した。

 そうなると、Microsoft社の控訴より、特許庁の再審査結果の方が先に出るのが確実のようだ。それにしても、特許の再審査が認められるのは極めて珍しいケースだという。

「特許庁が特許を再審査するという事態は、私の知る限り、あらゆる分野の特許も含めて過去15年で150〜200件ほどです。ソフトウェア関連ではおそらく2件目です」

 参考までに、日本でもアメリカでも、およそ年間10万件以上の特許が登録されている。2000年の実績では日本で約13万件、アメリカで約16万件だ。それを考えれば、年間十数件しか認められない再審査がどれだけ珍しい事態か想像がつくだろう(参考:平成14年度版 文部科学省による科学技術の振興に関する年次報告 特許)。

「前のソフトウェアに関する再審査は3カ月で結果が出ました。今回はどれだけかかるか不明です。再審査に伴い、特許保有者は特許の有効性を証明する追加資料を提出できますが、その猶予は2カ月です。それを考慮すると、少なくとも3カ月程度はかかるとみています。ただW3Cは再審査の提案をしただけであり、今後の行方は特許庁の分析にゆだねられています」

 後は祈るばかりである。906特許はW3Cの主張どおり無効と判断されるだろうか。ワイツナー氏は「かなりいけると思います」と自信をうかがわせつつ、「ただ、分かりませんけどね」と最後は慎重なコメントを残した。

W3Cの特許方針に変更はあるのか

 本稿のテーマであるW3C特許方針に話を戻そう。W3Cが特許方針を発表したのは2003年の5月で、IE特許問題の判決が下されたのが8月だ。今回の騒動を受けてW3C特許方針を変更する必要はあるのだろうか。「ないと思います」とワイツナー氏は断言した。

 もともとW3C特許方針はWebの標準技術の存在や実装を妨げるような特許の脅威を減らすことを念頭に策定されている(プレスリリース)。今回のIE特許問題のような事態は予期せぬ出来事というより、むしろ織り込み済みと考えてもいいかもしれない。

 ワイツナー氏は「W3C特許方針はこういう問題が起きたときに取るべきW3Cの方向性を示しています。ただ、似たような特許問題の発生を防げるとは限りません」という。つまりW3C特許方針は予防策というよりはむしろ事後対策を示したものと考えるべきだろう。

 W3C特許方針を読めば、標準技術に立ちはだかる特許問題が浮上した場合、事態がどのように進むか展望できる。詳細は前編を読んでいただきたいが、簡単にいうと、標準技術に関した特許を取得することが問題なのではない。標準技術に関して特許が絡む問題が発生したとき、W3Cはどういう対応をするかが明示されているのだ。どういうことを検討し、どういう行動を起こし、どういう過程で進めていくか、などである。

 もし、特許問題で標準化作業がこじれるような懸念が発覚すれば、まずPAG(Patent Advisory Group)が結成される。PAGで特許の内容、つまり具体的な技術詳細や請求範囲などが分析される。もし今回のIE特許問題のように特許に有効性がないと判断すれば、特許庁へ再審査を提案することも1つの手段だ。もし特許が有効だと判断されれば、勧告を取り下げたり、特許を回避するように勧告を改編する可能性もある。

 特に特許保持者は、W3C標準はロイヤルティーフリーが基本、というW3C特許方針の基本理念を理解すべきだろう。もし標準に含まれる技術の特許保有者が不当なまでにロイヤルティーを求めようと画策すると、やがてその技術は標準に含まれなくなる可能性がある。そうなると昨今のオープンスタンダードを求める時流に逆行して、その技術は魅力を失い、価値が薄れてくる。二兎を追う者は一兎をも得ず、だ。技術は標準に含まれることで価値が高まりもする。企業はそこにロイヤルティー以上の利益を見いだしてほしい、とW3Cは願っているようだ。

 あらためてW3C特許方針の核となる概念は何かと尋ねると、ワイツナー氏は「情報を共有するという機能を担うWeb標準が無償を基本に提供されることです」と明言した。前編でもくどいくらいに述べたが「基本はロイヤルティーフリー」に尽きる。

W3C特許方針が合意まで2年もかかった理由

 ところで、W3C特許方針が最終合意に至るまでなぜ2年近くもかかったのだろうか。最初のドラフト「W3C Patent Policy Framework」が発表されたのが2001年8月で、最終版「W3C Patent Policy」は2003年5月だ。理由を聞くとワイツナー氏は照れながら「それは簡単です。うちにおめでたが2回もあったからです(笑)」。まじめな顔に戻って「実際には3年半かかりました。取り組み始めたのは1999年10月でしたから」といい、その理由として「多様な団体間での意見集約」「初めての試みだったから」の2点を挙げた。

「方針策定では多くの団体が参加しました。伝統的なソフトウェア企業、ハードウェア企業、グローバルな通信企業、電子部品を扱う企業、それからオープンソース開発やWeb制作者など。それぞれが独自に特許をどう取り扱うべきか違う見解を持っていました。ただし、何らかの形で意見を集約すべきだという共通認識はありました。考慮事項も数多くあり、意見の集約に時間がかかりました。もう1つ、こうした取り組みはW3Cとして初めてだったからともいえます」

RANDが消滅して、土壇場で「例外」が登場したのはなぜか

 それにしても腑に落ちないのが、RAND例外の違いである。RANDとは最初のドラフトで示された用語だ。“reasonable and non-discriminatory”の略で、「合理的かつ非差別的な」という意味になる。ロイヤルティー徴収を容認する際の原則のようなものだ。最初のドラフトでは、ロイヤルティーを徴収するなら納得ができて差別的ではないことを条件とし、そのためのフレームワークを構築しようとしていた。

 ところが「RANDであれば標準と認められた技術がロイヤルティーを徴収してもいいのか?」という議論になり、ロイヤルティーフリー原則が声高に叫ばれた。最終合意では、RANDという用語は姿を消し、代わりに「例外」という用語でロイヤルティーを徴収するケースが残されて決着をみた。大回りして元の場所に戻ってきたような気もする。何が違うのだろうか。

「2つの用語が似ているのは事実です。ただし、ロイヤルティー徴収を認める基準はかなり厳しくしました。例外は非常にまれなケースにのみ適用されます。また、実現はかなり困難となるように承認プロセスが見直されました。例外となるには、PAGを結成し、PAGが承認し、W3Cディレクターが納得したうえで承認し、W3C Advisory Board(AB)の合意とメンバーのレビューを経たうえで、場合によっては一般告知も行い、それでも例外を適用しなくてはならないと判断された場合、最後に再びW3Cディレクターが承認して、それでようやく認められます。実現はかなり困難です」

 確かに気の遠くなるような承認プロセスだ。これに果敢に挑むなら、よほどの事情や説得力が要りそうだ。加えてワイツナー氏は「それから作業を始めた2年前と少し事情が変わりました。当初に想定していた特許や技術も遷移してきて、諸条件や背景が変化しました」と付け加えた。RANDと例外は確かに意図する内容は似ているとも読めるが、実現性で大きく隔たる。現実的にはW3C標準は「限りなくロイヤルティーフリー」ということになる。

IE特許問題にどう対応すべきか

W3Cコミュニケーションチームリーダー、ジャネット・デーリー氏

 それにしても、IE特許問題の行方が気になる。どうなるのだろうか。今回の談話では、特許庁が906特許を無効とすれば万々歳となりそうで少し安心したものの、必ずそうなるとは限らない。今回の問題となるHTML技術にかかわる技術者やユーザーは、現時点で、どうしたらいいのだろうか。何か行動に移すべき事柄はあるだろうか。

 W3C広報のジャネット・デーリー(Janet Daly)氏はこうアドバイスする。「現時点ではすべてが宙に浮いたままの状態で、まだ何ともいえませんが、いますぐにWebページやシステムに手を加える必要はないでしょう。ただ、今後の動向には引き続き注意を払うようにしてください」(完)。

前編〜W3C特許方針を読む


参考記事
  特許論争に揺れるW3C 前編〜標準技術と特許の難しい関係
  特許論争に揺れるW3C 後編〜ロイヤリティ・フリーを求めて高まる声

W3Cの特許方針ついに決着へ


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