「OpenFlowの父」が振り返る、Niciraでの苦悩とヴイエムウェアに買収された理由:Martin Casado氏が、今だから話せること(1)(2/3 ページ)
OpenFlowを開発した後、SDNベンダーNiciraを創業。ヴイエムウェアでSDN事業を年間売上6億ドル規模にまで育てたMartin Casado氏に、これまでを振り返ってもらう2回連載。今回は、Niciraの起業から、VMwareに買収されるまでを語ってもらった部分をお届けする。
テクノロジストがビジネスマンになった瞬間
――SDNがブームになったころ、OpenFlowを推進する人たちは熱心に「OpenFlow=SDN」だと主張していました。あなたは当時どう考えていたのですか? (Niciraの製品は)OpenFlowプロトコルによる物理スイッチ/ルータの制御に基づくトラフィックステアリングとは異なるものになりましたよね。
Casado氏 私は(OpenFlowによるトラフィックステアリングとは)違うSDNを推進することになりました。「OpenFlow自体について騒ぎ立てることには意味がない」と、早くから言っていました。WANやキャンパスネットワークならいいですが、データセンター内においてOpenFlowを(トラフィックステアリングに)使うことは意味がないと、早い時期に気付きました。また、物理スイッチを制御するのは複雑すぎると判断しました。こうした考えをSDN関連の人々に話しましたが、喜ばない人たちがたくさんいました。そこで、自社製品の開発に集中することにしました。
ただ、どんな技術でも、初期段階では何が正しいやり方なのかを知る人はいません。混沌とした状況が生まれます。そうした時期に、素晴らしいものが生まれてきます。SD-WANもそうですし、Googleがコアネットワークでやっていることもそうです。NFV(Network Function Virtualization)もその頃生まれました。
私はOpenFlowの最初のバージョンを書きましたが、ほぼその直後に、「データセンターにOpenFlowの居場所はない」と言い始めました。すると一瞬で、私が協力して生まれてきたコミュニティの人たちとうまくいかなくなりました。しかし、私は戦うことを選択せず、自分の事業に専念しました。そのとき、私はビジネスマンになったのだと思います。
前四半期(2015年第4四半期)に、VMware NSXは年間売上換算で6億ドルという、巨大なビジネスになりました。そのことをとてもうれしく思っています。私は過去10年にわたり、SDNのビジネスバリューを訴えてきましたが、これをようやく証明したといえるからです。技術に注力する人たちはたくさんいます。しかし、技術にとらわれ過ぎると、重要な点を見失います。
あなたと私が最初に話し合ったとき、2人とも現在のような展開が分かっていませんでしたよね。2人とも、どこにビジネスがあるのか、シスコについてはどうなのか、OpenFlowはどうなるのかと推測していました。私も分かっていませんでした。それが今は、幸運なことに、多くの人々に価値を感じていただける現実のビジネスになっています。結局のところ、重要なのはこのことです。
――IT業界では、新しい技術が生まれるたびに、「ハイプ(hype:流行)」を作り上げようとする人が出てきます。ベンチャーキャピタルも参加して、これを増幅する役割を果たしたりしています。ハイプは必要だと思いますか?
Casado氏 非常に素晴らしい質問だと思います。ハイプは、ビジネスを理解せずに、テクノロジーを語ろうとするときに生まれることが多いと思います。私がネットワーク業界を素晴らしいと思っている理由は、エネルギーにあふれ、混沌が存在することです。テクノロジーに関する議論の90%が無駄だったとしても、あるいは90%が間違っていたとしても、そうした環境から、アイディアは開花し、革新が生まれるのだと思います。
当初、私はハイプを不快に思っていました。「良いアイディアがつぶされる」「人々はちゃんと理解してくれない」と考えていましたから。しかし今では、人々が興奮を覚えることは重要だと思っています。ハイプがベンダーの都合ばかりでなく、顧客を含めたコミュニティを巻き込むものであれば、健康的な現象だと考えます。「エネルギーと興奮」は健康的です。間違っていたとしても。
「SDN」という言葉の周囲で費やされてきたエネルギーは膨大ですが、とても多くのものが生まれてきました。クレイジーなものもあり、うまくいかなかったものもあります。一方で、積極的な価値をもたらすものも生まれました。このトレンドは今後も続くと思います。
ヴイエムウェアによる買収は、市場へのアクセスに必要だった
2012年2月に華々しくデビューしたNiciraは、同じ年の7月、ヴィエムウェアに買収された。買収交渉時には、ヴイエムウェアの共同創立者で、元CEOのDiane Greene(ダイアン・グリーン)氏にアドバイスを求めたという。Greene氏は、個人としてNiciraに投資していた。Casado氏らNiciraの主要メンバーはその後もヴイエムウェアを去ることなく、ネットワーク仮想化製品事業を推進してきた。Casado氏は2014年にネットワーク・セキュリティビジネス部門担当上級副社長兼ジェネラルマネージャーに就任。事業総責任者として指揮し、同事業を年間売上換算6億ドルの規模に成長させた。
参考:
――Niciraがサステイナブルなビジネスだと確信したのはいつですか? また、ヴイエムウェアがNiciraを買収した際には、他の主要ネットワークベンダーも買収に動いたとの噂が流れるなど、買収合戦の様相を呈したと記憶していますが、どのような経緯でヴイエムウェアによる買収を受け入れるに至ったのでしょうか?
Casado氏 「Niciraは成功する」と思ったのは、この会社を(ステルスモードから脱して)公にしたときです。AT&T、NTT、eBay、Rackspace、Fidelityという大企業5社が顧客となっていました。スタートアップ企業が正式な事業開始時に、これほどの大企業を顧客に持つというのは、とても例外的です。その時点で、この会社は伸びると確信していました。
同時に、「数十億ドルレベルの事業にまで拡大できる」と当時考えていたのを覚えています。ビジネスをこうした規模に拡大しようとするときの問題は、Niciraの技術が、Amazon Web Servicesにも、Microsoft Azureにも、VMware ESXにも、ひも付いていないことでした。これら3つのいずれかと結び付いていないままでは、大きな市場にアクセスできません。そのため、(ヴイエムウェアから)買収のオファーを受けたときに興味を持ちました。VMware ESXはエンタープライズ市場の8割を握っています。これにアクセスできなければ、(当時Open vSwitchで対応していた)オープンソース市場しか相手にできないままだったでしょう。これは、(ヴイエムウェアに比べて)はるかに規模の小さい市場です。
誰が買収に名乗りを上げたかは公表していません。個人的にはいつか話せるときが来ると思いますが、今回の記事のためには話せません。ただし、複数の企業からオファーがあったことは確かです。私たちが(ヴィエムウェアに)決めたのは、独立企業として存在している限りアプローチできない市場に、アクセスするためでした。
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