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エンジニアに学歴は必要ですか?おしえて、キラキラお兄さん(3/5 ページ)

僕は「自由」なわけじゃない、「自分勝手」なだけだ――HAL9000に憧れてIBMに入社し、同社初の“ドクター未満”で研究所所員となった米持幸寿さんは、自身のキャリアを振り返って、こう評す。人に恵まれ、運に恵まれ、何より努力を重ね、やりたいことを実現してきた米持さんの挫折と、過去の自分への恨みを晴らした出来事とは。

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夢に最も近づいた場所で味わった、人生初の挫折

 こうして2013年に入ったIBM東京基礎研究所で米持さんが味わったのは、人生で初めてといっていい挫折だった。

 「45歳で基礎研究所に入ったんですけれど、そこで、それまで知らなかったことを知ってしまったんです。『大学や大学院っていうのは、行かないといけないところだった』ということを、やってみて分かりました」

 具体的には2つ、自身に決定的に欠けていたものがあったという。1つは、自然言語処理に不可欠な統計学。米持さんがやっていた高専レベルではなく、大学レベルの統計学に関する知識が必要だった。もう1つは、英語での論文の書き方だ。論文の言葉遣いは普段のビジネス文書とは異なる。ましてや英語での論文執筆には苦戦し、せっかく研究の成果をまとめても査読に通らない、ということが何度も起きた。

 米持さんはそれまでのIBMでのキャリアで、無理難題と思われたことを何度もクリアしてきた。

 「セールスをやってみろと言われたらできるし、プログラムを書いてみろと言われたら書けるし、トラブルを直してみろといわれたら直せる。けれど、論文を書いて誰かに認められてみろと言われたら、『これ、できないじゃん』と痛感しました。一番やりたかったところにたどり着いたのに、そこで、できないことを知りました……」

 このまま基礎研究所に居続けるのはつらいし、どうにもならないと思った米持さんは、自費で入っていた学会のつながりで声をかけてもらったホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパン(HRI)に転職するという大きな決断を下した。「ASIMOの存在も大きかったですね」という。

 HRIでは音声対話技術のリエンジニアリングに携わりつつ、経営面にも関わり、財務関連の知識を積んだ。それからIBMにいたときには体験できなかった音声対話という技術に触れながら5年、たまたま講師として出入りしていた、はこだて未来大学から「うちで博士号を取れば」と声を掛けられたこともあり、あらためて独立を決意。起業には2020年02月02日、シンメトリーになる日付を選んだ。


現在の米持さん(緊急事態宣言中のリモート取材のため、自撮り)

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