「紙モデル」は、完成したときの達成感がめっちゃ高いんです:Go AbekawaのGo Global!〜蔡樺編(前)(3/3 ページ)
父は反対でした。絶対ダメだと――グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回は、中国と日本でコンピュータサイエンスを学び、現在は日本でエンジニアとして活躍している蔡樺さんにお話を伺った。
学んでおいてよかったのは、C言語
阿部川 そして2012年、重慶郵電大学の情報科学学部コンピュータサイエンス学科に入学されます。最初からここを目指していたのですか。
サイさん 中国の大学受験は、最初に全国統一試験を受けて、その結果に応じて大学や学科を選びます。一流大学といわれる北京大学や清華大学に入学できるのは、中国全土の高校3年生約10万人中50人くらいです。
重慶で一番良い重慶大学には私の点数では入れなくて、次の候補が重慶郵電大学でした。ここで一番難しいのは通信学科でしたが、テンセントやアリババなどのコンピュータ関連企業が中国で躍進しだした時期でしたので、このような企業に憧れてコンピュータサイエンスを専門として選びました。
阿部川 よかったですね、コンピュータを選んで!
サイさん はい! コンピュータサイエンスの勉強や、プログラミングの学習は楽しかったです。
阿部川 大学では、どのようなことを勉強されましたか。
サイさん 1年生のときは専門科目はC言語だけでしたが、共通科目として微積分なども勉強しました。2年生や3年生になって、確率論や情報数学を学びました。専門分野は、2年生でデータ構造やコンピュータ構造やOSなどです。
阿部川 大学の4年間で「これは学んでおいてよかったなあ」と思うことは何ですか。
サイさん C言語ですね。日常的に使っていなくとも、C言語はエンジニアとして基本的な知識なので。それとデータ構造、そしてJavaでしょうか。Javaはオブジェクト指向の言語として大学で基礎を勉強していたから、今どんな言語を学習しても、それほど難しいとは感じないのだと思います。
つのる日本への思い
阿部川 その後、早稲田大学に留学されるんですね。重慶にいらしたときから日本に興味があったのですか。
サイさん 子どものときから日本のアニメが好きでした。私の世代の中国人は、絶対に最初はアニメで日本を好きになったと思います。アニメが好きになったから日本語が好きになって、それで日本に行きたいと思う、という流れです。
小学生のときに「名探偵コナン」を好きになって、中学生になって、「ナルト」「ワンピース」、そして「銀塊」です。いまでもこれらは映画を見ますし、本も読みます。
大学1年生のときに日本語の勉強を始めて日本語が分かるようになったので、日本の大学の情報も集めるようになりました。そうすると「留学」がだんだん現実味を帯びてきて、どんどん準備を進めるようになりました。大学2年生のときに日本語能力試験のN2を受験して合格して、「留学しよう」と本気で決めました。
でも、両親にはなかなか言えませんでした。絶対反対されるから。N2に合格してやっと、両親に打ち明けることができました。
最初、父は反対でした。絶対ダメだと。しかし伯父や伯母が父を説得してくれて、最終的に「学費は出すが、生活費は自分で何とかしろ」とOKしてくれました。でも最初の半年は、母がこっそり仕送りをしてくれたんです。その後はアルバイトをして自分で生活費を稼ぐようになりました。
阿部川 早稲田大学や大学院では、どのようなことを勉強されましたか。
サイさん フレームワークが研究室のテーマでしたが、私の研究はAttack treeで、課目としては8つぐらい、自然言語やコードの再利用、品質保証などを学びました。論文はAttack treeに関するものでしたが、最初の半年は主に何を研究するかのリサーチでした。その後1年ぐらいかけて勉強、研究などを行いながら、論文をまとめました。
紙モデルを作ったときの達成感が忘れられなかった女の子は、やがて日本でものづくりにまい進するようになる。後編(2020年5月29日掲載)では、サイさんがインターンを経て日本で働くようになったいきさつや、日本のエンジニアへの思いなどを伺った。
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