テクノロジーへの扉を開いた、Pentium 4搭載PC:Go AbekawaのGo Global! ビクトルさん from メキシコ(前編)(1/2 ページ)
幼少期は、絵を描いたりゲームをしたり本を読んだりするのが好きでした。その経験と母がくれたプレゼントが、今の私を形作ってくれました。
グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回は、アンドエーアイのエンジニア、Victor Manuel(ビクトル・マニュエル、以下ビクトルさん)にお話を伺う。
絵を描き、ゲームに没頭し、本を読むことが好きだった少年は、母がプレゼントしてくれた1台のPCに導かれるように、テクノロジーの世界に足を踏み入れる――。
聞き手は、AppleやDisneyなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。
母からもらった「普通ではない」プレゼント
メキシコの穏やかな街、クエルナバカ。メキシコシティからバスで約2時間のこの地で、ビクトルさんは生まれた。現在37歳の彼は、大学でメキシコシティに移り住むまで、このクエルナバカで育ったという。
幼少期のビクトルさんは、外で元気に遊ぶ子どもたちが多い中で、むしろ家の中で過ごすことを好んだ。その時間のお供となったのは、テレビを見ること、絵を描くこと、ビデオゲームに没頭すること、そして本を読むことであった。
典型的な1日は、学校から帰るとテレビを見て、宿題をこなしてはまたテレビを見る、といった具合であった。ビデオゲームにもはまっており、8歳や9歳の頃は、任天堂の「ファミリーコンピュータ」でひたすら「スーパーマリオブラザーズ」をプレイしていたという。絵を描くことに関しても、その興味の対象はゲームやアニメーションの世界であり、「『ドラゴンボール』の孫悟空やストーリーの中のシーン」などを描いていたという。
ビクトルさんが初めて触れた「コンピュータ」といえるものは、もちろんゲームコンソールであった。しかし、彼のその後の人生に影響を与える出会いとなったのは、母親が誕生日にプレゼントしてくれたPentium 4搭載のAcer製PCであった。
それは彼が17歳か18歳の頃、およそ2005年ごろの出来事であった。当時、メキシコでPCは非常に高価であり、誕生日のプレゼントとして贈られることは「全く普通のことではなかった」。それ故に、このプレゼントは彼にとって価値を持つものとなった。
「『Microsoft Office』も、Adobeやそれ以外の多くのソフトウェアも、このPCで学びました」
この1台のPCで彼はテクノロジーへの扉を開いた。既存のWebページのコピー&ペーストから始め、HTMLを用いたWebページ作成を独学で習得していった。さらに、友人のお父さんがFortranの本をプレゼントしてくれたことをきっかけにプログラミング言語に親しむようになり、JavaScriptに関する本や資料を読み、自分でアプリケーションを作ることに夢中になっていった。この自発的な学びこそが、彼のエンジニアとしての原点であった。
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