元麻布春男の視点
Transmetaに迫る市場の原理


元麻布春男
2001/05/11

 5月7日、東芝はTransmetaのx86互換プロセッサCrusoe TM5600-600MHzを採用したミニノートPC「Libretto L1/060TNMM」を発表した(東芝の「Libretto L1/060TNMMに関するニュースリリース」)。華々しくデビューしたにもかかわらず、このところ話題になる機会が減っていたCrusoeだが、WinHECでMicrosoftがCrusoeを搭載したTablet PCをデモしたのに続く明るい話題だ(Microsoftの「Tablet PCに関するニュースリリース」)。しかし、筆者はCrusoe、あるいはTransmetaの道のりを決して平坦なものだとは思っていない。そう考える最大の理由は、Crusoeの性能がパッとしないからだ。

東芝が発表したミニノートPC「Libretto L1/060TNMM」 MicrosoftがWinHECでデモしたTablet PC
プロセッサとしてTransmetaのCrusoe TM5600-600MHzを搭載する。10型のワイドSXGA(1280×600ドット)の横長液晶パネルを採用し、小型・軽量を実現している。重さは1.1kgと、最近のミニノートPCとしては平均的なもの。 Tablet PCは、COMDEX/Fall 2000でコンセプトを発表している。2001年3月に開催されたWinHECでは、Crusoeを搭載したTablet PCを公開した。

 Crusoeの最大の特徴は、VLIW(Very Long Instruction Word)ベースのシンプルなハードウェアと、x86互換のインターフェイスを備えたソフトウェア技術の組み合わせにある。Transmetaでは、この技術を「コードモーフィング」と呼んでおり、このソフトウェアの変更によって機能の向上なども可能だとしている(「特集:CrusoeはノートPCに革新をもたらすのか?」を参照)。筆者は、この方式がダメだとか、この方式に将来性がないとは、決して思っていない。Intelも、ItaniumでVLIW的なアイデアを試していることからしても、将来はこのような方向性に進むのかもしれない、とも思っている。要するに、アイデアや技術がダメなのではなく、Crusoeという特定の「商品」に魅力が欠ける、と思っているのである。

RISCのことを思い出してみよう

 かつて、RISCが登場してきたときのインパクトは、Crusoeの比ではなかった。RISCが登場したのは1980年代半ばのこと。1980年代末にはRISCプロセッサを搭載したワークステーションが各社から一斉に発表された。当時のIntelのプロセッサはi386(1985年発表)で、ようやくi486が登場しようか(1989年4月)という時代である。このとき、x86プロセッサとRISCプロセッサの性能比は、おそらく整数演算で4〜5倍、浮動小数点演算性能に至っては10倍近かったのではないかと思う。

 これだけの性能差に危機感を抱いた会社は、何もIntelだけではない。Intelのプロセッサに100%依存していたソフトウェア会社、Microsoftの危機感はきわめて高かったハズだ。そのMicrosoftがRISCプロセッサをサポートしたプラットフォームの立ち上げを図ったのがACE(Advanced Computing Environment)イニシアチブであり、そこから生まれたOSこそWindows NTである。残念ながらACEはOEMの十分なサポートが集まらず頓挫してしまったが、Windows NTは「x86プロセッサ用OS」として、直系のWindows XPによってついに主流になろうとしている。

 つまり、RISCが持っていた4〜5倍以上の性能差は、x86を打ち破るに十分ではなかった。欠けていたのは、いうまでもなくソフトウェアの蓄積であり、逆にいえばx86の最大の強みはソフトウェアの蓄積にあった。x86との互換性を持たないRISCプロセッサが、ソフトウェアの蓄積を待っている間に、Intelはx86プロセッサの性能向上、あるいはx86プロセッサのRISC化を推し進めた。それは、RISCとの性能差を縮小すると同時に、ソフトウェアをRISCに移植する必然性をも縮めていった。

 一時期、Windows NTがサポートするプロセッサは、x86に加え、MIPS、AlphaPowerPCと最大4種類にまで拡張されたが、現在サポートされているのはx86のみだ。組み込みOSであるWindows CEは多くのRISCプロセッサをサポートしているが、これはRISCプロセッサが組込み用プロセッサになったことを意味する。1980年代末〜1990年代初頭にかけての華々しいブームを考えると、さびしい限りだ。

RISCはCISCに取り込まれ生きている

 では、RISCという技術やアイデア自体が死んだのかというと、決してそうではない。すでに述べたようにIntelは、x86プロセッサのRISC化を推進した。Pentiumは、RISC的なアイデアを取り入れた最初のプロセッサではあったが、コアはまだCISCのままだった(IntelはCRISCなどと呼んでいたが)。が、その次のPentium Pro(1995年11月発表)に採用されたP6アーキテクチャは、プロセッサ内部でx86命令をuop(マイクロオペレーション)と呼ぶ、RISCライクな命令に細分化して実行するという、事実上x86のインターフェイスを備えたRISCアーキテクチャである。これにより、x86アーキテクチャのRISC化がほぼ完了したことになる。

PowerVRの後継KYRO IIを搭載したグラフィックス・カード
写真はVideologicのVivid!XS。このほかHerculesの3D Prophet 4500など、KYRO IIを搭載したグラフィックス・カードが販売されている。KYRO IIは、PowerVRの後継で、世代的にはPowerVR4ともいえるグラフィックス・チップである。

 ただし、この時点におけるPentium Proは、まだメインストリームのプロセッサではない。RISC化されたx86プロセッサが、メインストリームになるには、1997年5月に発表されるPentium IIを待たねばならなかった。そして、市場の全セグメントがRISC化されたのは、1998年4月に発表されたCeleronの登場タイミングにほかならない。RISCという技術が全市場を制圧するまで、RISCが日の目を見てからほぼ10年という月日が必要だったのであり、それを実現したのは、RISCが倒すハズだったx86プロセッサだったのである。

 このように技術が日の目を見てから、広く普及するまで時間がかかるというのは、なにもプロセッサに限ったことではない。例えばグラフィックス・チップでも、タイリング*1という新しい技術を採用したPowerVRがデビューしてからすでに5年の月日が流れたが、まだメインストリームになってはいない。タイリングという技術自体には優れた面もあるのだが、メインストリームになるまであと2〜3年くらいはかかりそうな気がする(あるいは、メインストリームになれずに終わるか、なのだが)。


*1 画面を16ピクセル×16ピクセルといったタイルに分割して画面の描画を行うレンダリング・アーキテクチャ。タイルごとに処理を行うため、少ないメモリで描画が可能であるという特徴を持つ。セガのドリームキャストは、タイリングをサポートするPowerVR2ベースのグラフィックス・エンジンを採用している。

 現在、Intelの最大のライバルはAMDだが、そのAMDもAMD-K6からx86互換プロセッサのRISC化を行っている。同様なアプローチを採用しなかったのはCyrixのCyrix MIIやIDTの子会社であったCentaur TechnologyのWinChipシリーズくらいだが、CyrixとCentaur TechnologyはともにVIA Technologiesに買収されてしまった。WinChipシリーズは、Cyrix IIIやVIA C3として商品化されているため、完全に死んだわけではないものの、市場のプレゼンスが高いとは言い難いのが現状である。

TransmetaがかつてのRISCベンダに重なる

 Crusoeは、プログラム・コード・レベルでx86互換を実現することにより、ソフトウェアの蓄積に要する時間を省略できた。半面、Crusoeには、かつてIntelやMicrosoftを震撼させたような性能面でのアドバンテージはない。低消費電力という利点も、IntelがモバイルPentium IIIに超低消費電力(Ultra Low Voltage)版を提供したこと、開発コード名「Tualatin(テュアラティン)」によってまもなく0.13μmプロセスへ移行することにより、失われようとしている。RISCがMicrosoftに与えた影響(ACE)に比べて、Tablet PC(MicrosoftのCrusoeに対する回答)のインパクトははるかに小さい。

 筆者には、Transmetaの姿が、かつてのRISCプロセッサ・ベンダの姿に重なって仕方ない。Crusoeが実現したアイデア、技術は非常に興味深いものだが、これがメインストリームになるには、まだ5年〜10年の年月が必要だろう。筆者の疑問はTransmetaという会社が、この年月を乗り越えていけるのか、という点にある。もしTransmetaが、ARM(あるいはRambus)のように、IP(設計)を売るデザイン会社であれば、乗り越えられる可能性は高かったかもしれない。会社の規模をきわめて小さく、つまり経費を小さく抑えることができるからだ(その代わり、成功したときの見返りも小さい)。Transmetaが、自らCPUの開発・販売を行うというハイリスク・ハイリターンのアプローチをとったことが、同時に生き残りを難しくしたのだと思う。

実験室で成功しても市場では勝てない

 RISCにせよCrusoeにせよ、どうも市場に対するアプローチがマズイのではないか、という気がしてならない。これらの技術は、おそらく実験室では、Intelに負けるハズのないものだったに違いない。実験室では、そのほかの条件を揃えて、技術的な差異に絞って優劣を比較する。それでなければ、正当な論文にはならない。しかし、事業として、現実の競争が繰り広げられるのは実験室ではない。競争は市場で起こっているのである。市場での競争は、多くの場合「持てる者」と「持たざる者」の競争になる。

 例えばRISCの場合、2倍に性能を引き上げるのに、どれくらいの開発時間がかかるか、といったことがよくいわれた。ハードウェアがシンプルなRISCは、CISC(つまりはx86)に比べて性能向上が容易であり、時間が経てば経つほど、RISCとCISCの性能差は開いていく。RISCがCISCに負ける理由などまったくない、というのがRISCの論理だった。

 確かにこれは、実験室では正しい。だが市場においてはどうか。すでに述べたような、CISCのRISC化というパラメータは、この論理には含まれていない。あるいは、RISCとCISCで研究開発費や設備投資費に10倍、あるいは100倍の差があった場合はどうなるか、という視点もここには含まれていない(逆に、それではまともな技術論文にならなくなる)。しかし、現実にベンチャー企業とIntelとの間にあるのは、こうした格差なのであり、格差のある相手と戦わなくてはならないのが市場なのである。

 持たざる者が持てる者に勝つにはどうすればよいのか。それは最初の一撃で、相手の屋台骨を揺るがすだけの衝撃を与えることである。持久戦に持ち込まれたら、持たざる者はジリ貧になっていく。奇襲こそが持たざる者の、そして持たないが故に身軽な者の戦法だ。

 もし、Crusoeがx86互換であると同時に、同じ動作クロックのPentium IIIの10倍の性能(かつてのRISCのように)があったとしたら、これは間違いなくTransmetaの勝ち戦であった。そこまでの性能がなくても、せめて同じ動作クロックのPentium IIIと同じか若干上回る性能であれば、戦局はずいぶんと違ったものになったハズだ。しかし、それは叶わなかったし、今も実現していない。

 とはいえ、Transmetaの優秀な人たちが、これを知らなかった訳ではないだろう。むしろ、よく知っていたのではないか、という気さえしている。にもかかわらず、Crusoeを商品化せざるを得なかったのは、投資家あるいはベンチャー・キャピタルが痺れを切らしたからではなかろうか。Mobile Linuxが完成していない時点で、組み込み向けのTM3000シリーズを発表せざるを得なかったのは、その現れだったのではないか、と筆者は思っている。記事の終わり

  関連記事 
CrusoeはノートPCに革新をもたらすのか?

  関連リンク 
Libretto L1/060TNMMに関するニュースリリース
Tablet PCに関するニュースリリースENGLISH
Vivid!XSの製品紹介ページENGLISH
3D Prophet 4500の製品紹介ページ
Crusoe搭載の製品紹介ページENGLISH
 
「元麻布春男の視点」


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