連載:日本人が知らないIFRS(1)
IFRSは「会計」基準ではない、では何なの?
高田橋範充
中央大学 専門職大学院国際会計研究科 教授
2009/8/24
「国際会計基準」として理解されているIFRS。しかし、フレームワークを読み込むと従来の会計イメージとは異なる姿が現れてくる。会計基準でないなら、IFRSは何を目指しているのか? (→記事要約<Page 3>へ)
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IFRSは現在、日本では一般的に「国際会計基準」として理解されている。このように理解することは、IFRSの社会的意義を端的に捉えてはいるが、誤解を生み出す恐れもあるように思われる。
その誤解は、形式的なレベルと実質的なレベルの2つのレベルで発生する可能性がある。「国際会計基準」を英語に直訳すると、「International Accounting Standards」となるが、この一般にIASと略記されるものは、2001年4月以前に実在していた。このIASを発展させる形で、International Financial Reporting Standards、すなわちIFRSが形成されている。IASとIFRSは確かに、同一方向性を持ち、両者は欧米ではIAS/IFRSと表記されることもある。そのため一体化して理解することも誤りとは断定できない。
しかし、それでは、なぜIASからIFRSへ名称が変化したかは、説明できない。さらに、このような名称の変化といった形式的な問題の背後には、より実質的な問題が含まれているのだ。簡単にいえばIFRSは、従来の「会計」イメージを超えるところを目指しているといえる。だがIFRSを「国際会計基準」として理解すると、その本来的意義を把握しきれない恐れがある。
また、伝統的な「会計」イメージで捉えられることを避けるために、IFRSは自らを「報告基準」として意義付けているように思えるが、その側面があまり理解されない可能性がある。IFRSを「国際会計基準」として理解することは、従来の会計イメージ内部の問題としてIFRSを位置付け、それをいわば会計基準の改訂問題として企業に処理させることにつながる。しかし、IFRSの実質的影響力は、必ずしも会計のレベルにとどまる問題ではない。
今回は、この問題、すなわちIFRSが従来の「会計」イメージとどう異なるのかを、IFRSの概念フレームワークを使って考察し、その本質を描き出そう。
伝統的会計のイメージ
従来の会計のイメージはいくつかの用語によって、表現できる。それは(1)利益計算、(2)複式簿記、(3)取得原価である。すなわち、「会計とは(1)利益計算を目的として、現金収支を借方・貸方に代表される(2)複式簿記の技術を用いながら記帳し、(3)取得原価に基づいた財務諸表を作成する行為である」と定義することができるであろう。
かつて、利益こそが会計において関心の中心(Center of Gravity)と呼ばれたことがあった。会計はその起源から一貫して、利害関係者のために利益を計算することをその中心的機能として位置付けてきたのだ。1930年代以降に欧米で発達した財務公開制度、いわゆるディスクロージャーも利益計算を開示することによって、企業のパフォーマンスを評価しようとする制度であり、根底には期間損益計算への圧倒的な信頼があったことは疑いない。
この利益計算の仕組みは、複式簿記といった独特な記帳システムが土台だ。複式簿記は財の流れと資金の流れが一対であることに着目して生み出された情報処理の仕組みであるが、これが経営管理の道具として定着し、利益計算の道具として機能した。よって、従来の利益計算は、借方・貸方の二重性に依存、あるいはその制約下にあったということができる。
また、複式簿記機構は現金収支の流れを借方・貸方に整理する情報処理の方法であるので、必然的にその測定基礎は収支となり、資産に関していえば必然的に取得原価が原則となる。簡単にいえば、会計は「お金の流れを使った利益計算の仕組み」として理解することができるだろう。しかし、IFRSが提示するレポーティングの基本的なイメージはこれとは大きくかけ離れている。