「エージェント」が騒がしい General Magicを思い出す及川卓也からエージェント時代の開発者たちへ(1)

最近どこでも聞かれるようになった「エージェント」という言葉には、強い既視感を覚えます。特に思い出すのは、一時胸をときめかせたGeneral Magicという企業のことです。

» 2025年11月20日 05時00分 公開
[及川卓也Tably株式会社]

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 最近、「エージェント」という言葉を聞かない日はありません。

 AI検索を代行する「検索エージェント」、問い合わせ対応の「カスタマーサポートエージェント」、そしてコールドコールやメール営業を担う「営業エージェント」……。どれも耳にするようになりました。

 ニュースサイトを見ても、カンファレンスに参加しても、誰かが「これからはエージェントの時代だ」と言っています。

 こうした「エージェント」の中には首をかしげたくなるものもあります。例えば営業代行エージェント。私の会社の問い合わせフォームに届くメッセージの9割は、私の会社の事業と全く関係のない売り込みです。AIが自動で営業をかけてくるというのは、ある意味で未来的ですが、受け取る側からすると迷惑メールの進化形にしか見えません。技術が人の手を離れてノイズを増やす。そんな現実を見るたびに、少し複雑な気持ちになります。

 もちろん、私自身もエージェントを使っています。

 日々の仕事を支えてくれる、いわば“デジタルの相棒”のような存在です。会議の準備や調査の下ごしらえを任せることもあれば、資料づくりをサポートしてもらうこともある。確かに便利です。

 ただ、使っていて時々思うのです。「これ、本当にエージェントなのかな」と。

 単なる自動化ツールやチャットボットに、“エージェント”という新しいラベルを貼っているだけにも見えます。

 いや、便利だから文句はないのですが、言葉としての“エージェント”が、ちょっと騒がしすぎる気がします。

「頭脳」だけで「体」を持たなかった知的エージェントの時代

 この業界に長くいると、「エージェント」という言葉には既視感(デジャヴ)を感じます。

 実は私が社会人になった頃、まさにAI第2次ブームの真っただ中にも、この言葉が盛んに使われていました。

 当時のAIは今のようなニューラルネットではなく、「エキスパートシステム」と呼ばれるルールベースのものでした。「人間の専門家の知識をコンピューターに写し取る」という発想です。

 その中で「知的エージェント」という言葉が出てきました。

 環境を認識して、目標に向かって自律的に行動する存在”。今の定義と驚くほど似ています。

 違うのは、当時のエージェントは「頭脳」を持つが、体を持たなかったということ。

 つまり、考えることはできても、実際に何かを「やる」ことは難しかったのです。

 あれから40年近く経ち、AIは再びブームの中心に戻ってきました。

 しかし、当時と今を比べてみると、「人の代わりに考える存在」という夢は、少しも変わっていないように思えます。

ネットワークを自律移動する「デジタル秘書」という90年代の夢 General Magicへの憧れ

 1990年代の初め、私が強烈に心を引かれた会社がありました。

 General Magic──今では知る人ぞ知る存在ですが、当時Appleから独立したばかりのスタートアップで、「パーソナルエージェント」の夢を本気で追いかけていた会社です。

 彼らの作ろうとしていたものは、スマートフォンのはるか先祖のようなものでした。

 ユーザーの代わりに旅の予定を立て、航空券を手配し、株価を調べ、友人にメッセージを送る。そんな「デジタル秘書」をネットワーク上で動かす構想です。

 その中核にあったのが、「Telescript」という言語でした。General Magicが開発したエージェント指向のプログラミング言語で、ネットワーク上を自律的に移動して処理を行うという、当時としては極めて先進的な構想です。後のJavaやモバイルエージェント技術にも影響を与えたと言われており、まさに「ソフトウェア・エージェント」の原型でした。

 実を言うと、当時この会社への転職まで考えました。Windows NT 3.1の開発に参加したため、Microsoft社員ではないもののWindowsを熟知していた私は、自慢ではありませんが(と言うときは大概自慢ですがご容赦ください)、頻繁にMicrosoftからスカウトが来ていました。しかし、Microsoft以上に気になっていた会社、それがGeneral Magicです。

 それほど、このビジョンに胸をときめかせていたのです。

 General Magicの構想には世界中の企業が引きつけられ、日本からもソニーやNTT、松下電器(現パナソニック)など多くの企業が出資していました。彼らはGeneral Magicが描く“通信の未来”に共感し、独自の実験を進めていたのです。

 日本でもその動きに呼応する形で、NTTが「Paseo」という実証実験を行っていました。ソニー製の端末「Magic Link」を使い、エージェントがネットワーク上でホテルを予約したり、メッセージを届けたりする──そんな構想でした。私はこの実験に応募までしましたが、残念ながら抽選に外れました。今思えば、日本でGeneral Magicの夢に一番近づいた瞬間だったのかもしれません。

 けれどもGeneral Magicは失敗に終わりました。

 ネットワークインフラは未整備、端末は高価で非力、ユーザーもまだネット上で秘書に頼むという発想を持っていなかった。

 ビジョンに時代が追い付かなかったのです。

 それでも、彼らが蒔いた種は後に芽を出し、iPhoneやAndroidといった現代のプラットフォームにつながっていきました。

 思えば、あの時の「エージェントの夢」は、今まさに再び動き出したのかもしれません。

個の集合から社会を理解する「マルチエージェント」──国プロで見た「社会としてのエージェント」

 時が流れ、私は国の研究プロジェクトに関わるようになりました。

 そこでも「エージェント」という言葉に再会します。

 今度はAIではなく、「マルチエージェントシミュレーション」という形で。

 これは、社会や都市のような複雑なシステムを、たくさんの自律的な“個”の相互作用としてモデル化する考え方です。

 一人一人の人間(エージェント)が単純なルールで動くだけでも、全体としては渋滞や群衆の流れ、感染拡大のような「創発的な現象」が再現される。つまり、“社会をプログラムでシミュレートする”という発想です。

 研究成果を説明してもらう中で、無数のエージェントが仮想都市をうごめく様子を見たとき、「ああ、エージェントってここにもいたのか」と妙に感慨を覚えました。

 最近、物流や製造現場で、「デジタルツイン」という言葉を耳にするたびに、私はあの時のマルチエージェントシミュレーションを思い出します。

 デジタルツインは、現実世界を仮想空間に写し取り、そこにさまざまな“代理”を置いて実験する技術です。

 その中で動く仮想人間たちは、まさにエージェントそのもの。

 AIが「個の知能」を担当するなら、マルチエージェントは「社会の知能」を担当しているとも言えます。

 実際、マルチエージェントシミュレーションはCOVID-19のパンデミックの際にも注目を集めました。各個人の行動や接触パターンを再現し、感染拡大の予測や政策効果の検証など、実際の意思決定を支援する手段として活用されたのです。単なる理論研究を超え、現実社会の課題解決に直結する技術へと進化してきました。

70年の歴史が示す「エージェント」の3つの文脈

 こうして振り返ると、「エージェント」という言葉は少なくとも3つの文脈にまたがっています。

  • 知能としてのエージェント:人の代わりに考える存在(AI)
  • 計算としてのエージェント:自律的に動作するプログラム(アクター)
  • 社会としてのエージェント:個の集合から全体を理解する存在(シミュレーション)

 ここでいう「アクター」とは、分散システムの世界で用いられる概念で、独立した小さなプロセスがメッセージを受け取り、それに応じて状態を変えたり別のアクターにメッセージを送ったりするモデルを指します。現代のクラウドや並列処理システムの基礎となる考え方です。

 この3つの潮流が、今ようやく1つの流れにまとまりつつあります。

 ChatGPTのような大規模言語モデルは「知能」を、クラウドやAPI連携は「計算」を、デジタルツインや社会モデルは「社会」を支えています。

 70年の歳月を経て、“全部入りのエージェント”がようやく現実味を帯びてきたと言えるでしょう。

 それにしても、最近は「何でもエージェント」です。

 チャットボットもRPA(Robotic Process Automation)も、検索AIも、みんな「エージェント」。バブル期の軽井沢を思い出します。本来の軽井沢とは無関係な土地まで「〇〇軽井沢」と名乗る場所が続々と登場し、地名がインフレ状態になりました。駅から遠い山奥にも看板が立ち、地元の人たちは苦笑いしていたものです。ブランドが膨張し、“ラベル”や“記号”が便利に使われる様子は、今の「エージェント」乱用とよく似ています。

 過去のAIブームを知る身としては、少し心配になります。

 ブームというのは、言葉だけが先行し、意味が薄れていく瞬間でもあるのです。

エージェント・ウォッシングの匂い

 Gartnerが「Agent Washing(エージェント・ウォッシング)」という言葉を使っています。これは、本来のAIエージェントの機能を備えていない単純な自動化ツールやチャットボットを、“高度なAIエージェント”と称して売り込むようなマーケティング手法を指します。つまり、ただのスクリプトやワークフローを“AIエージェント”と呼んでしまう、いわば看板の付け替え商法です。Gartnerは2024年以降、この現象が急速に広がっていると警鐘を鳴らしています。

 かつて「クラウド」や「DX」がそうであったように、定義が曖昧なまま流行語化してしまう現象です。

 実際、「エージェント」と名のつくサービスの中には、単なるスクリプトやマクロに毛が生えた程度のものも少なくありません。

 名前に踊らされてはいけません。新しい言葉が広がる時、多少の混乱はつきものですが、言葉だけが先走ると本質を見誤ります。実は、こうした現象はAIでも何度も繰り返されてきました。

 私が社会人になった頃はAI第2次ブームの真っただ中で、世の中は「知能を持つコンピューター」がすぐそこまで来ていると騒いでいました。けれども、現実はそこまで追い付かず、期待が裏切られた反動から「AI」という言葉を口にするのさえ恥ずかしい時代──いわゆる「冬の時代」が訪れました。

 しかしその裏で、技術は静かに進歩していました。半導体の性能が飛躍的に向上し、アルゴリズムやデータも進化を重ね、やがて今のAIブームを生み出す土台になったのです。つまり、言葉が一時の熱狂を失っても、技術そのものは確実に前に進むのです。

 今の「エージェント」も、いずれブームが落ち着き、静かに定着していくでしょう。時間はかかっても、実用的で頼れる技術として残っていく。そう考えると、少し冷静に向き合うくらいがちょうどいいのかもしれません。

この連載でやりたいこと

 今は、「エージェント」という言葉に過剰な期待が集まっている状況です。

 Andrej Karpathy(OpenAIの共同創設者であり、元TeslaのAI責任者)も、AIエージェントへの過度な期待に冷静な警鐘を鳴らしています。彼は「これは“エージェントの年”ではなく“エージェントの10年”だ」と述べ、まだ課題の多い技術であると指摘しました。つまり、まだ始まったばかりで、エージェントが社会の中で本当に機能するまでには時間がかかる、ということです。

 General Magicが壮大な夢を描いた1990年代も、AIの“冬の時代”を経験した2000年代も、結局はそこから技術が地に足を着け、静かに定着していきました。言葉のブームが去った後に残るものこそが、本質的な価値だと思います。

 この連載では、そうした「静かに定着していく本質」を、少し肩の力を抜いて眺めていこうと思います。エージェントが当たり前にいる日常を妄想しながら、私が日々行っている活用法や課題なども共有していきます。

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