第65回 IEEE 802.11nに見る標準化への付き合い方頭脳放談

規格の標準化でもめるケースが増えている。特許などの利害がからむためだ。こうした標準化作業との付き合い方を802.11nから探ってみた。

» 2005年10月22日 05時00分 公開
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 次世代無線LAN規格としてIEEEで標準化作業が行われている「IEEE 802.11n」が騒がしい。2005年5月にオーストラリアのクイーンズランド州ケアンズで開催されたIEEE 802.11ワーキング・グループの会議で、TGn Syncが提出した案がまたもや賛同が得られず、ということになってしまった。ドラフトの原案となるには75%の賛成票が必要だが、50%に満たなかったため、再びWWiSEも含めて規格が再検討されることになりそうだ。どうなることかと思っていたら、10月に入って、第3の団体と称する「Enhanced Wireless Consortium(EWC)」が旗揚げされて新提案をしてきている。

 TGn SyncとWWiSEが不毛な争いをして規格化が遅れると、世の中への技術の普及が遅れてしまうことを憂慮(結局、商売に差し障るということなのだが)して、話をまとめるために新団体を作ったのだとかなんだとか。いろいろな説明がなされているが、外から眺めている傍観者にとっては実に真相は分かりにくい。集まったメンバー*1を見ると、どちらかといえばPC業界に軸足のあるところが多いように思われる。

*1 設立メンバーは、Airoha Technology、Apple Computer、Atheros Communications、Azimuth Systems、Broadcom、Buffalo、Cisco Systems、Conexant Systems、D-Link Systems、Gateway、Intel、Lenovo International、Linksys, a Division of Cisco Systems、LitePoint、Marvell、Metalink Broadband、NETGEAR、Ralink Technology、Realtek Semiconductor、SANYO、Sony、Symbol Technologies、Toshiba、USRobotics、WildPackets、Winbond Electronics、ZyDAS Technologyの合計27社。


 すでにこの話はあちらこちらで取り上げられているし、「門外漢のマイコン屋がでしゃばってあれこれ憶測で物を書くな」ともいわれそうだ。しかし、IEEE 802.11nの策定が始まったころを振り返ってみれば、すぐにも合意ができて規格化されるといわれていたはずではなかったか。「標準」というのは難しいものであることは、UWBなどもそうであるが、VHSとベータの時代から全然変わっていない気がする。

 今回は、チップを作る半導体屋の側の立場から、自分たちが「標準」というものに、何を目論んでどう付き合おうとしているのか、ちょっと考察してみたい。

標準化に対する態度

 何かを業界団体などで標準化しようというときには、それに対する半導体屋の対応を、その態度によっていくつかに分類することができる。ざっくり分けるならば、以下のような感じになるだろう。

  1. 率先して規格を担いで標準化を進めようという積極的な態度
  2. お付き合いで参加はするけれどあまり積極的には動かないケース
  3. 不参加

 不参加というのは、自社の製品ラインアップやロードマップからして対象の標準化にリソースを割くことは利益にならないという、検討した上での不参加もあれば、最初から声もかからない、知らないというケースもあり得るが、やらないということでは表面に現れる事実は一緒である。そのビジネスはなしということだ。

 取り上げるべきは率先して規格を担ぐケースだろう。ここで重要なのは昔から鉄則である「先行者利益」というものが、業界の行動を広く支配していることである。いち早く製品を出して初期の市場を支配できる先行者は、市場が大きくなる過程で非常に大きな利益を出すことができるという経験則である。市場がある程度大きくなってから参入するフォロワーは、参入のために労力がかかる割には、大抵の場合、市場価格は崩れていてあまり利益を得ることはできないのだ。このため、新規に大きな市場が出現しそうな新規格をいち早くつかんで、他社を出し抜いて物を出したいという非常に強い願望が業界にはあまねく存在する。

 それゆえにどうなるかといえば、規格がキチンと(正式に)決まってから手をつけましょうなどという悠長な態度では居られないということになる。標準化のプロセスが進むのと並行してどんどんと開発を進めてしまうのだ。そうすれば、標準化が完了した直後に物を出し、立ち上がり時点で市場を制覇することが可能になるかもしれない。

 当然ながら先行して開発していくことには大きなリスクが伴う。大体、新規に規格が立てられる分野というのは、技術が確立していないものが多いから、苦労の多い、つまりはお金のかかる新規開発をしないとならない。しかし、標準化された規格が自社の進めてきた開発と異なるものになってしまったら大はずれだ。であれば、積極的に自社の進める路線を標準とすべく積極的に運動するべきだろう。実際、一番進んでいるところに引きずられるようにして規格が決まることも多いようだ。

デファクトで標準化してしまえ

 標準化プロセスとはチョッと違うが、これまた業界の古典的経験側の1つである「デファクトスタンダード」という考え方もある。デファクトというのは、業界団体などでの標準化プロセスを経ずして、まず自社の規格として物を出し、市場を作ってしまうやり方である。これこそ利益をガッポリ確保するための古典的戦略で、昔のIntelなどは、常に「デファクトスタンダードが標準を決める」と、主張していたものだ。

 みんなに実力で自社規格をその市場での標準だと認めさせた後であれば、独占のそしりを受けないように公的な標準化プロセスを経て標準化してしまった方がよい。「もうかる市場を独占していて憎い」と、だれかに嫉妬されるのはとても危ない。嫉妬は論理的ではないが、過去の歴史を見れば英蘭戦争の例を挙げるまでもなく、この業界においても無謀な挑戦者が現れるきっかけになっているのは隠れた事実である。どうせ、市場が立ち上がった後には、市場もこなれてそれほどの利益を得られなくなっているのだから、デファクトを公的なものにするのは悪い判断でない。なお、無線のような周波数などという「公共財」を使うものでは、勝手なデファクト化は進めにくい(不可能ではないが)という事情もある。

香港企業に見る標準化との距離感

 少々脱線してしまった。標準化プロセスと並行開発の話に戻ろう。お金をかけ開発してきた技術に対し、ライバル社のものも標準化プロセスの議論の対象に乗ってきたらどうだろう。まずは自社のものが標準になるように頑張るというのが最初の選択である。しかし、旗色は悪い。そうするとともかくライバル方式での標準化が遅れるように足を引っ張るということになる。足を引っ張っておいて何をするかというと、自社開発をライバルの規格に合うように軌道修正するのである。もともと同じ市場向けに開発しているのだ。少し時間があれば何とかなる可能性は高い。

 とはいえ、知的所有権などの面で自社が仕切れる可能性の高い自社開発に対して、ライバルの方式では後塵を拝する可能性が高いのは否めない。例えば国際標準といってもライセンス料の話は別だからだ。実際、規格の中には、各社の特許をかき集めて「ワンストップ・ショップ」などといってロイアルティを徴収する任意団体が林立しているものがある。このごろ、そういう事態を慮ってロイアルティ・フリーを標ぼうする標準化団体が増えたのはよいことだ。また、脱線してしまった。

 ともかく、自社開発路線を標準にすることに成功すれば、大きな利益を見込める。そのため、正式な規格化を待たずフライングで物を売ってしまうようなことも散見される。先ほどのデファクト路線と同様な考え方だが、一歩でも市場で先行することで、標準化案の決定プロセスを有利な方向へ導こうということだ。もちろん、売れば取りあえず開発費が回収できてうれしい、ということもある。

 実は一番舵取りが難しいのは「ともかく標準化プロセスには参加はするが、そう積極的には動かない」というポジションではないだろうか。情報収集という名目で参加していても、動かないでいればやらないのと一緒である。かといって積極的に動くほどリスクもとれない場合、どうするのか。どうもこのごろの日本企業にはこういうポジションの生かし方がうまい会社は見当たらないと思う。

 標準化プロセスの策定の話ではないが、こういうポジションでビジネスがうまいなぁと感じたのは香港企業である。付き合ってみると彼らは頭もよく、先行した商品開発くらいできる実力があるのだがやらない。じっと市場を見て、儲かりそうな物が出てくると、パクッと製品コンセプトを頂いて間髪いれずに追従する。このあたりは昔(いまでもかな?)の違法模造品ビジネス体質から生まれたスタイルかもしれない。そして2番煎じとはいえ、そこそこ稼ぐとあっという間に手仕舞いして不良在庫が残らないように市場から抜けるのだ。取りあえず標準化プロセスを主導するほどではないけれど、関わりを持つという方向を選択した会社は、すべからくこのホンコン・スタイルを実践するつもりでないと利益は残らないのではないと思う。そういえばEWC加盟会社は、なぜか中国系が多かったような……。

筆者紹介

Massa POP Izumida

日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部を経て、現在は某半導体メーカーでRISCプロセッサを中心とした開発を行っている。


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