契約がなければ、裏切ったって構わないじゃないか――策士は金策がお好き:コンサルは見た! AIシステム発注に仕組まれたイカサマ(6)(2/2 ページ)
システム開発会社「マッキンリーテクノロジー」が被った、AIを活用したシステム開発の契約詐欺の調査に乗り出した江里口美咲は、単身ライバル企業に乗り込んだ。そこで彼女が聞いた意外な事実とは……?
出世のためなら、不義理もいとわぬ
そのころ「北上エージェンシー」の生駒は、自席でシステム企画部の収支報告書を眺めていた。
(これで何とか切り抜けられる。そうさ、こんなところで出世の道が閉ざされたんじゃたまらん)
生駒は机の上のコーヒーを一口だけ飲んだ。
(マッキンリーがいくら騒いだところで契約がない以上、法的な問題にもなりようがないはずだ。これくらいのことビジネスの世界なら当然のことだ)
2016年冬――。
優秀な広告クリエーターだった生駒が畑違いのシステム企画部へ異動を命じられたのは、今から3年前のことだった。30代そこそこでクリエーターとして仕事をしたい意思も能力も持ち合わせていた彼にとって、その異動は決して喜ばしいものではなかった。
しかしある日、「経営陣は生駒を将来の幹部候補として考えており、システム企画への異動はさまざまな経験を積ませる施策の一環だ」という話を、酒の席である取締役から聞いたのだ。
もともと出世欲が旺盛だった生駒は、これをきっかけに「トップを目指そう」と気持ちを切り替えた。システム開発に関する知識が乏しかったが、社内のITプロジェクトに積極的に関わるようになった。好きだったクリエーターを諦めて目指す道だ。「何とか実績を挙げて上にはい上がりたい」という気持ちが強かった。
しかし、素人同然の生駒には、システム企画の仕事は荷が重かった。基幹システムを構築しようとしたとき、社内のさまざまな要求をまとめきれないままベンダーに仕事を発注してプロジェクトが紛糾し、1億円以上の損失を出すことになってしまったのだ。
生駒は焦った――(何とかしなければ)
赤字をそのままにしていたら、出世に響くどころか部長の椅子すら危うい。何か赤字を補填する手はないかと1人で悩む生駒の目にある新聞記事が飛び込んできた。
箱根銀行のシステム開発失敗。AIによる金利予測サービスにめどが立たず。(@IT新聞 2016年12月8日号)
「AIもまだまだなんだな」と生駒は思った。
新聞記事を詳しく読むと、AIのエンジン自体はほぼ完成しているものの、そこに膨大な量のデータを投入したり、それを元にどのように論理的な判断をさせたりするのかという、いわゆる「学習」をさせる期間や工数にめどが立っていないということだった。
「学習させなきゃ無価値の箱ってわけか……」
その時、あるアイデアがひらめいた。これを利用すれば、赤字を埋められるかもしれないと考えた生駒は、早速、「AI×開発」で検索して最初に表示された「マッキンリーテクノロジー」に電話をかけた。
「私、北上エージェンシーという広告代理店の生駒と申します。実はチラシ広告をAIで自動作成するシステムの開発を検討しているところでして……」
(その後はビックリするほど、こちらの計画通りだったな……)
生駒はもう1口、コーヒーを飲んだ。セールスの一環ということにして、AIシステムをマッキンリーに作らせる。AIには「エンジン」以外に「学習のノウハウ」という価値がある。それを頂いて別のITベンダーに渡し、その分値引きして作業をさせる。値引きに成功した金額を手柄に過去の赤字を帳消しによう、という作戦だ。
(マッキンリーは文句を言うかもしれないが、北上に実害は出ないはずだ)
生駒が更にコーヒーを飲もうとしたとき、私物のスマートフォンが鳴った。
「はい、生駒です」
「お忙しいところ、すみません。アルプスソフトウェアの丹波です」
(いよいよ仕上げだな)そう思いながら生駒は返事をした。
「ああ、丹波さん。どうですか? 例のAIの件、そろそろ具体的な契約を……」
書籍
細川義洋著 ダイヤモンド社 2138円(税込み)
システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」が、大小70以上のトラブルプロジェクトを解決に導いた経験を総動員し、失敗の本質と原因を網羅した7つのストーリーから成功のポイントを導き出す。
※「コンサルは見た!」は、本書のWeb限定スピンアウトストーリーです
細川義洋
政府CIO補佐官。ITプロセスコンサルタント。元・東京地方裁判所民事調停委員・IT専門委員、東京高等裁判所IT専門委員
NECソフト(現NECソリューションイノベータ)にて金融機関の勘定系システム開発など多くのITプロジェクトに携わる。その後、日本アイ・ビー・エムにて、システム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーと発注者企業に対するプロセス改善とプロジェクトマネジメントのコンサルティング業務を担当。独立後は、プロセス改善やIT紛争の防止に向けたコンサルティングを行う一方、ITトラブルが法的紛争となった事件の和解調停や裁判の補助を担当する。これまで関わったプロジェクトは70以上。調停委員時代、トラブルを裁判に発展させず解決に導いた確率は9割を超える。システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」。2016年より政府CIO補佐官に抜てきされ、政府系機関システムのアドバイザー業務に携わる
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