データベースというと、海外ベンダ製品の話題が中心になりがちですが、今月は国産のデータベースベンダである日立製作所を取材してきました。日立製作所といえば、電機メーカーとしてのイメージが強いと思います。「電機の日立」であるにもかかわらず、自社開発のデータベース製品を展開する理由はどこにあるのでしょうか? 日立製作所 情報・通信システム社 ITプラットフォーム事業本部 開発統括本部 ソフトウェア本部 DB設計部 部長 大田原実氏らに、その経緯を伺いました。
日立の歴史は、1900年代初頭、鉱山で使う機械の修理工場としてスタートしています。まだ電気が安定して行きわたっていない時代ですから、鉱山では水力発電によって電力を調達していたのです。その設備を修理するといっても、当時使われていたのは海外製の発電機。海外製品では故障すると修理に手間取ります。だからこそ自製する必要があったのです。自ら設計し、製造することにこだわる企業風土はこの時代に既に確立していたのかもしれません。
日立がコンピュータに取り組み始めたのは1960年代に入ってから、当時の国鉄の座席予約がオンラインでできるようにするというプロジェクトがきっかけでした。社会インフラである鉄道向けのシステムであることから、海外製品に頼らずに14年の開発期間をかけて自社開発したといいます。このプロジェクトによって、それまで電機・機械といったものづくりを中心としていた同社の工場の中に、ソフトウェア専門の「工場」(現在の横浜事業所)ができたわけです。
とはいえ、当時はまだデータベース管理システム(DBMS)といったカテゴリのソフトウェア製品はありません。データは親子関係を持つ構造型モデルで管理するのが一般的だった時代です。この時代を知る方には言わずもがなですが、このころのデータは、性能を担保するために業務に特化した構造になっており、データ構造がプログラムに依存したものだったそうです。RDBMSを手掛けるようになったのは1980年代のこと。SQL標準化活動にも日本代表として参加しています。
1990年代、ダウンサイジングが技術トレンドになっていた当時、日立はUNIXサーバで稼働するデータベース製品を海外から調達していました。しかし、鉱山の機械を修理していたころと同じで海外製品の販売では満足せずに自社開発を進めたのだそうです。そして出来上がったのが、4096ものサーバで並列動作するシェアードナッシング型のリレーショナルデータベースでした(現在の製品名は「HiRDB」)。
その後、「ユビキタス」という言葉が注目され始めるとHiRDBを超小型化した「Entier」を、2000年代後半以降にはKVS型DBMSやストリームデータ処理なども手掛けています。現在は、東京大学の喜連川教授・合田特任准教授が考案した「非順序実行原理」をベースにした「Hitachi Advanced Data Binder」という新たなデータベースも開発しています*。
*内閣府の最先端研究開発支援プログラム「超巨大データベース時代に向けた最高速データベースエンジンの開発と当該エンジンを核とする戦略的社会サービスの実証・評価」(中心研究者:東大喜連川教授)の成果を利用
社会インフラ向けソフトウェアを構築するという要請から始まった日立のデータベース開発は、以降の歴史を見ると事業として独り立ちしたように見えます。そうすると、他のデータベースベンダ製品と違いが見えにくいかもしれません。電機の日立が今でもソフトウェアであるデータベースの開発を続ける理由はどこにあるのでしょうか?
「日立の強みは社会インフラ分野です。私たちは、電力、交通など、一般のITベンダが参入困難な事業を数多く手掛けています。特に社会インフラの分野は、海外からの技術の輸入に頼らず、自社開発した技術やノウハウの蓄積でシステムを安定稼働に導くことができます。ITシステムの根幹はデータを守ることだからこそ、データベース製品はこれからも自製し続けますよ」(日立製作所 情報・通信システム社 ITプラットフォーム事業本部 開発統括本部 ソフトウェア本部 DB設計部 主任技師 石川太一氏)
あらゆるデータベース製品をゼロから作ってしまう開発力は素直に驚きます。一方で、データベースはどの製品を使ったとしても、同じSQLを投げれば同じ結果が返ってくるはず。では、日立のデータベースは何が違うのでしょうか?
「クエリ結果を返すのは当たり前のこと。日立では信頼性の高さに自信を持っています。性能を高めるにはチューニングである程度対処できますが、信頼性に調整を行う余地はありません」(大田原氏)
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