要件も作業内容も適宜確認し、ユーザーの指示を受けて作業していたのに、納品間近になって「契約を果たしていないから支払いはなしね」と告げられたベンダー。裁判所の判決や如何に?
前々回と前回の2回に渡り、IT開発契約における検収書の意味合いについて考察した。
IT開発や導入プロジェクトにおいて、検収書は仕事の完成を示す大切な証跡ではあるが、単に文書が存在し、そこに発注者の印鑑があればよいというものではなく、実態においても検収に足る作業を行っていなければ、受注者は費用の支払いを受けられない。裁判所のこうした判断に驚かれた読者が多かったらしく、この記事には多数の反響をいただいた。
今回は、もう一つの重要な書類である「契約書」についての裁判所の判断を紹介する。
検収書のときと同じように、契約書の存在とそこに押された押印だけを盲信した判断を、裁判所はしない。記載内容を吟味して、「双方の債権」や「債務がどのようなものであり、それらが果たされたのか」などを慎重に吟味する。
しかしながら、ITに関する契約は、締結時点で委託範囲や役割分担、見積もり金額などが明らかではないケースが多い。
これは、契約時には、まだシステムの実現方式(要件や設計内容)の詳細が不明確であり、技術的な課題もまだ見えておらず、必要な作業の質や量が判然としない場合が多いことによる。つまり、これからどんなことが起きるのかがまだ判然としていないために、明確な作業を詳細に定義できないのだ。むしろ、こうした事柄を最初から決め打ちしてしまう方がユーザー、ベンダー双方にとって危険なことが多いといってもよい。IT業界でよく見られる細部が明確ではない契約は、現実に即したものといえよう。
そうは言っても、契約のときに見えなかった物事をそのままにして、その場その場で場当たり的な委託範囲の定義や役割分担をしていたのでは、プロジェクトはやはりうまくいかない。今回は、そうした紛争の事例である。
まずは事件の概要を簡単に見ていただきたい。
東京地裁 平成24年3月27日判決より
あるIT開発会社(以下ベンダー)はSNSサービス業者(以下ユーザー)から、SNSシステム開発の依頼を受けて作業を行った。本件開発について両者の間では請負による開発の契約が結ばれたが、契約書には、その具体的な委託範囲と金額は記されていなかった。その代わりに本件の作業内容については、プロジェクト実施中の当事者双方の協議によって定めること、その場で定められない細部の事項については、都度ユーザーの指示に基づいて作業を行うこと、費用については別途見積書記載の金額によることなどが契約書に記載されていた。
前述の通り、システム開発においては、本件のように委託内容を「詳細は別途」とし、金額は「別途見積もり」として契約を結ぶことが珍しくない。本件の契約は、その意味において現実的であり、妥当な形で結ばれたといってもよいと思う。実際、ベンダーは作業を進めながら、要件や委託範囲について都度都度確認し、作業内容の詳細についてはユーザーの指示を受けていた。
ところが、ベンダーはユーザーから費用の支払いを拒絶された。
理由は簡単である。「詳細は別途」とした委託範囲や、それに基づいて決められる費用について、ユーザーとベンダーが最後まで合意しなかったからだ。ユーザーの主張は、「契約書で定めた委託範囲の作業を完遂していない」というものだった。
ユーザーは確かにそのように主張したのだ。随分と強引な理屈に私も驚いたが、ベンダーもユーザーの言い分を受け入れられず、支払いを求める裁判を提起することとなった。
ベンダーは(システムの出来栄えはともあれ)システム開発の工程を一通り終え、ユーザーによる検証が可能な状態に持っていった。欠陥があったとしても、無償で直せば済むことだし、百歩譲ってシステムが使えないものだったとしても、曖昧模糊(もこ)とした契約内容に対して「役割を果たしていない」とするのは、いかにも強弁である。
作業の詳細や役割分担を決めきっていない契約書そのものを問題にするのであれば、前述の通り、それはITにおいて通常行われる姿であり、これに疑問を呈していたのでは、大多数のITプロジェクトが頓挫してしまうだろう。裁判所も、そうしたIT業界の特質をくんで、以下のような判決を下した。
東京地裁 平成24年3月27日判決より(つづき)
システム開発においては、書類上契約条件を詳細に定めることはせず,契約締結後の当事者双方の協議によって具体的内容を確定させていくということも一般的であると考えられる。本件においても、本件契約書には、被控訴人は本件確認書に定めのない細部の事項について控訴人から指示を受ける旨が規定されているのであるから、本件見積書に詳細な契約条件などが記載されていなかったとしても何ら不自然ではない。
(中略)
したがって、控訴人の主張はいずれも失当である。
裁判では「ベンダー有利」の判決が下された。前回お話した検収書と同じように、契約書、見積書という紙ものだけを金科玉条とはせず、IT業界の実態を踏まえた上で、ユーザーの作業が現実に契約の意図を満たすものであることを、実際のシステムの出来栄えなどから裁判所が判断した格好だ。
裁判所の判断は確かにベンダー有利のものだった。ベンダーは、裁判で要求した費用の支払いを受けられた。しかし、これは本当にベンダーの勝利だったのだろうか。
ベンダーは裁判の結果、重要な顧客を失った。もしかしたら、経営にも影響が出たかもしれない。少なくとも得をしたことは何もなかったはずだ。一体なぜ、ベンダーはこんな「憂き目」に会うことになったのか、単にタチの悪いお客に捕まった不運だったのだろうか。
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