核融合炉やニューロチップなど、実現したら非常に大きな影響が生じる技術がある。その確率は今のところ低いが、一歩一歩実現に動いているようだ。逆に磁気嵐のように、リスクが高まっている事案もある。
つとに思うのは、「人間、確率の『低そう』な出来事を切実には感じられんなぁ〜」という事実である。はるか昔、学校で習ったことを思い出せば、確率統計の初歩で、期待値というものを教わって、極めて低い確率で実現するような事柄でも、その「実現値」が非常に大きければ期待値への寄与は相当なものになるし、あるいは逆に実現値が多少大きくても確率が低過ぎれば期待値は低い、ということを計算しただろう。
けれど、筆者を含めて普通の人間(常に確率に賭けている保険業の人は除く)に確率というものが切実に感じられるのは、半々とか、せいぜい2割から3割くらいの比率であって、低い確率の出来事については「切実に感じられない」のが人間の性ではないだろうか。良い期待、例えば宝くじを買うときには、期待で確率は何桁も水増しされて見えてしまうようだし、悪い期待については、そこそこの確率でも見て見ぬふりをして通り過ぎてしまう。悪い方の確率が、実際には宝くじの末等などに近い確率であったとしても「大丈夫だろう」という感じだ。
2014年の本連載の中で取り上げなかったニュースの一つに、米国の防衛大手のLockheed Martin(ロッキード・マーチン)が10年以内に小型核融合炉を実用化できると発表した話がある(Lockheed Martinのニュースリリース「Lockheed Martin Pursuing Compact Nuclear Fusion Reactor Concept」)。秋の発表の時点でいくつかのサイトで取り上げられているし、媒体によってはその後も核融合炉研究を地道にフォローしているものもある。
けれど全般的には、「何で今までできなかったものが10年でできるの?」という懐疑的な話と並べてあるものが多かったようだ。Lockheed Martinの立ち位置は、本命のトカマク型と対抗のレーザー型の横から現れた穴馬的なところと言ったらよいだろうか。それでも名の通ったLockheed Martinだから無視されなかったという感じ。泡沫のベンチャーだったら「一発かましてきたなぁ」くらいでスルーされたかもしれない。
核融合炉は、数十年以上も前から研究されていて、何度か盛り上がりを見せたけれども、その度に期待がしぼんで来たという点では、連載の第171回で取り上げたニューロチップと似ているかもしれない(頭脳放談「第171回 再びニューロチップに注目が」)。どちらも、その根本原理的には全くもってOKなのだけれど、いざ工学的に実用にできるかというところで、何度も障害に乗り上げてきた。それが繰り返された結果「オオカミ少年」的に見ている人が多くなってしまっているからだ。
しかし、である。どちらも、それなりに過去を克服してレベルは上がってきているはずだ。はるか昔に予想していたのよりは当選確率が上がっているのではないだろうか。それに対して「まだまだじゃないの〜」のという見方は不当に低く見積もっているような気もする。これは、宝くじ的射幸心に目がくらんだ筆者が確率を大きく見過ぎているだけなのかもしれないが。
それにしてもどちらも「万が一」来たときのインパクトは凄いことになることが予想される。核融合炉ができたと考えてみよう。ほぼ無尽蔵の電力資源が手に入るわけだ。石油やウランのように燃料は偏在していない。技術力さえあれば必要な重水素やリチウムは取り出すことができそうである。そうなると、今日のエネルギー産業は総見直しを迫られるだろう。世界貿易のかなりの割合を石油や天然ガスが占めているのだから、こちらも全面書き換えとなる。結果、持たざる国にも持つ国にも与える影響は巨大なはずだ。
プラスの影響だけでなく、当然、不要になってしまう市場も巨大だから、当座のマイナスの影響も大きいと予想される。しばらくの間は転換期で世界は揺れ動くことになるかもしれない。現代社会に生きていたら多分この影響に無縁でいられる人はいないだろうと想像されるのだが、どうもそれほど深刻に考えられていることもないようだ。Lockheed Martin、甘く見られているな。10年後、ガツンと行ってやってもらいたい。
ニューロチップもまたそうだ。これが実用化されると、まずはIT業界に変革が迫られるだろう。ニューロに対応できないようなプログラマーは取りあえず失職かもしれない。ちょっと怖いのはその後である。マシンが自ら学ぶようになった結果、人間とコンピューターの関係性を見直さないといけないようなSF的事態になることだって考えられる。その辺、危惧を抱いている人もいるようだが、まだ、できるかできないかよく分からないもののリスクを考えても仕方がない、という感じがする。まず先送りにして「できたら」対処を考える泥縄方式は、日本人に限らず、結構人類に普遍的な方法にも思える。それは「外れ」の無駄は省けるが危険でもある。
核融合炉やらニューロチップやらがそれでも前向きな方向性で、リスクがあっても、できてから対処を考えて間に合う「もしかして」であるとするならば、本当にやばい。「もしかして」も、2014年のニュースには混じっていた。7月23日にNASAが発表していた、地球がわずかなところで強烈な太陽風の直撃を逃れていた事件である(NASAのニュースリリース「Near Miss: The Solar Superstorm of July 2012」)。
実際の事件は、2012年の話だから3年前の話になる。この手の話を好きな人は知っているが、大半の人はスルーな事件だったのじゃないだろうか。まあ、NASAの研究者が研究費用目当てに話を「ちょっと盛っていた」にせよ、このリスクはかなり高いのは確かじゃないかと思う。19世紀、電気工学の黎明期に、一発直撃を受けている(1859年に磁気嵐「キャリントン・イベント」によって、ハワイでもオーロラが目撃されたり、電報システムが使用できなくなったりするといったことが起きている)ようだし、20世紀(1989年3月)にもカナダのケベック州で発電所の送電システムが障害を起こし長時間の停電が発生している。このように1世紀に一発くらいはでかい磁気嵐の直撃をくらってもおかしくなさそうな先例が、すでにあるからだ。
しかし、前の2回に比べたら、リスクが格段に高まっているのは確実だ。何せ、ネットが世界中を結び付けている中で、基幹の電力伝送系とともに、多くの電子機器が止まる、壊れるというのは「世界が止まる」事態を引き起こしかねないからだ。それが全地球的な規模であれば、言うところの「18世紀」に逆戻りもあながち「盛りすぎ」ではない。
18世紀の人々は電子機器などなくても暮らしていけたが、今や何の製造でも電子機器が必須であり、いったん電子文明が崩壊するとその建て直しは容易なことではなさそうであるからだ。ストーンヘンジか三内丸山遺跡に逆戻りかもしれないと心配している。100年に一度のリスクでも、簡単には壊れないローテクの通信装置やコンピューターを、山の奥のシールドルームにでも保存しておくくらいの価値はあるかもしれない。
その影響が局所であれば文明崩壊には至らないだろうが、どんな影響を及ぼすのかは分からない。今や、世界はリンクし過ぎて、どこかの要素が止まればどこにどんな影響が出るのかまず誰にも予測がつかない。先の震災でも東北地方の工場の被災が全世界のサプライチェーンに影響を与えたものがあったことを思い出す。
この辺のリスクの確率が怖いのは、わずかにしたって、明日、いや今日これからという可能性だってあることだ。起きてから考える泥縄式では規模が大きいものには対処しきれない。取りあえず見なかったことにして、今日も安らかに眠るか……。
日本では数少ないx86プロセッサーのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサーの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス マルチコアプロセッサーを中心とした開発を行っている。
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