今、クラウドファウンディングのKickstarterで「C.H.I.P.」という9ドルの小型PCが話題になっている。Raspberry Piなど、これまでも安価でオープンソースを活用したPCはあったが、それにクラウドファウンディングが加わることで新しいビジネスモデルが生まれそうだ。
最近、展示会などのイベントに行くと目立つのが、3Dプリンター、IoT(Internet of Things)そしてドローンである。三種の神器か御三家かというところか(古い!)。その中で、何にでもなりそうでいて、一番混迷しているのがIoTだろう。マーケティング的にも、はやりに乗り遅れたくないという気持ちがあるのだろう。IoTなどという言葉がなかったときから、マイコンボードとか、RFモジュール、センサーなどを手掛けていたはずの多くの会社が、取りあえずIoTと言っておきたいというノリで展示を構成している。
しかし、実際に「もうかりそうなIoTのビジネス」をつかんでいそうなところは少なく(具体的にもうかるIoT案件をつかんでいるなら、展示会で他人に教えるよりもさっさと商売に徹するべきだろう)、IoTにも使える「はず」の部品であったり、サービスであったりとIoTを構成する全体からみれば、その一部を提案しているところが多い。
IoTという名前を付けて、それ以前からやっていた製品の流れでボードやら何やらやっているところは数多いが、IoTに向けて加速している方向性はあると思う。技術的にはボードが小さく、低消費電力に、かつ多機能になっていっていることである。一昔前のマイコン開発ボードなどはよく「弁当箱」という表現になる程度の大きさのものだった。ACアダプターなどの外部電源は必須、そして武骨なインターフェースに必要最小限のI/O(入出力)である。記憶容量も小さく、ソフトウエアもいかにも組み込みでハードルが高かった。
ところが、このところ登場する各社のボードを見れば、名刺サイズ以下、バッテリ動作、ほとんど手数もかけずにLinux系のOSが立ち上がり、既存の定番ソフトウエアを走らせることができる。そして技術的なインパクト以上にインパクトがあるのがその価格だ。ふた昔前の何十万円もする開発ボードの時代から、数万円になって安くなったと思っていたら、このごろは数千円くらいのものが増えてきている。
それらはIoTのおかげで出てきたと言いたいところだが、実際には違うと思う。スマートフォンやらタブレットやらで数が出た技術の流用だから、小さく、低消費電力でかつ安くなったわけである。現在はまだその延長上にある。真の意味で「物(Things)」のためになるのはIoTがしっかりしたキャッシュフローを生み出すようになった先だろう。しかし、ボードコンピューターなどというカテゴリは昔からあるくせに、マーケティング的に「エマージング」な感じが戻ってきたのは、昔を知らない新参者が参入してきたおかげだろう。
ここに来て、そういった小さくて安いボードコンピューターの世界に一石を投げ込んだものたちがいるようだ。名を「C.H.I.P.」という(KickstarterのC.H.I.P.の募集ページ「CHIP - The World's First Nine Dollar Computer」)。「The World's First $9 Computer」という大層なうたい文句だ。価格が9ドルという小さく安いボードコンピューターなのだが、まだ発売になっているわけではない。試作品はあるようだが、まだ開発中らしい。これが一石を投じているのは、クラウドファウンディングという今風の枠組みで資金集めに成功していることと、ハードウエアにもかかわらずオープンソースをうたっていることだろう(現時点では開発中ということで、回路図などは公開されていないようだ)。数が出てないと仕入代も下がらない、数をまとめて9ドルという価格を達成するためにみんなから出資を募り、お金が集まったというところらしい(原稿執筆時点では、締め切り前にもかかわらず、目標の5万ドルに対して144万ドル以上の資金を集めている)。
名刺サイズより若干小さい基板にARM Cortex-A8ベースのSoCと主記憶メモリ、外部記憶相当の4GbytesフラッシュメモリにWi-Fiモジュール、USBとUSB-OTG、コンポジットビデオ/オーディオ出力が乗っている。HDMIやVGAと接続するためにはほぼ同サイズで積み重ねる形の別ボードが必要で、HDMIとの組み合わせでは24ドルとなる。また、PocketC.H.I.P.と呼ぶ小さな液晶とキーボード(もどき)の付いたプラットフォームも用意されていて、これに接続することもできる。どうもUbuntuベースのLinuxを載せたいようだが、まだ完成には至っていないらしい。SoCの素性からいうとAndroid系は走るのではないだろうか。
おもちゃとしては、いろいろ遊べそうなのだが、The World's Firstと胸を張るほどの新規性や低価格化というほどでもないように思う。すでに、HDMIポートに差し込むような小さなスティックコンピューターは存在しているし、それらの販売価格は数十ドルだろう。ケースに入っていないボードで、CPU基板単独で9ドル、HDMIを入れて24ドルというのは原価的にもいい線に思える。その点でクラウドファウンディングで危惧される無謀な挑戦というわけではないように思われる。
先行事例もある。ほぼ名刺サイズのボードで日本でも数千円で売られている英国のRaspberry Piなどである。Raspberry Piは、2015年2月にマルチコアの新機種「Raspberry Pi 2 Model B」をリリースするなど、着々とバージョンアップを続けている。DebianベースのLinuxの他いくつかのOSを動作させることが可能(Raspberry Pi 2 Model BではWindows 10のIoT版が動作するとされている)で、C.H.I.P.が動作可能だとしているフリーソフトウエアの多くを走らせることができる。
細かく言えば、Raspberry Piは、外部記憶となるフラッシュはSDカードで追加するようになっているが、C.H.I.P.はオンボードに持っている。Wi-FiはRaspberry PiだとUSBに外付けだが、C.H.I.P.はオンボード、その代わりRaspberry PiはHDMIとLANがオンボードであるのに対して、C.H.I.P.にHDMIをつなげるには別ボードがいるし、LANについては今のところアナウンスがない、といった具合だ。スペック的には一長一短というところじゃないだろうか。
ボードとしては、そんなに凄いものでもないと思うのだけれど、一番肝心なところは、多くの人々に出資してもらったということだろう。そのボードがうまくいくもいかないも、そのボードを使っていろいろなアプリーケーション(ハードウエアもソフトウエアも含む)を作る人々がどれだけ現れてくるかということにかかっている。
その点、量産どころか、開発用のサンプルの出荷以前に多くの人々の出資を募るような形で浸透してしまったのだからすごい。今までだったら、サンプルができたところでようやく「買ってください」とプロモーション活動に入るのだから、はるかに先行している。ユーザーからのフィードバックについても、代理店など販売ルートも何もなく、ダイレクトに結び付いているのだから話も早そうである。うまくこのコミュニティを立ち上げて、多くの人に使ってもらえたら、近い将来、C.H.I.P.が無視できないような勢力と化すかもしれない。
C.H.I.P.がうまく行ったら、この手のビジネスモデルの大変革になるかもしれない。それもこれも、これからみんなに出荷することになるであろう開発サンプルの出来映えと、2016年という量産ボードの出荷時期にかかっているだろう。昔は、ボードの製造体制とか、品質保証とかいろいろ問題はあったが、今日、EMSの発達により「お金さえあれば」製造そのもののハードルは限りなく低くなった。
必要なお金は集まったのだから、製造と製造観点での品質保証的には問題ないはずだ。後は、設計品質とスケジュールの問題だ。開発者が何を作るかドキドキするようなブツを出荷できればよし、いつバグを踏みつけるかドキドキして使えないようなボードであればダメだ。その上、ファウンディングで話題となってしまった以上、手のうちのかなりは潜在的な競合にも知られてしまっている。先行するボード屋もばかではないから、もたもたしているとやられるだろう。
しかし、9ドルだな、取りあえずブツが出たら1個買ってみるか、という気にはなる値段である。
日本では数少ないx86プロセッサーのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサーの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス マルチコアプロセッサーを中心とした開発を行っている。
「頭脳放談」
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