グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。前回に引き続き今回もソフトウェアエンジニアのJon Kiefer Yap(ジョン・ヤップ・キーファー)さんにお話を伺う。念願の来日を果たし、日本の企業に就職するが、仕事中心で自分の時間が取れないという状況に陥る。そこでヤップさんは心機一転し、「英語教師」になることにした。
国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回もソフトウェアエンジニアのJon Kiefer Yap(ジョン・ヤップ・キーファー)さんにお話を伺った。仕事でのトラブルやコロナ禍の影響を受けながらも挑戦を続けるヤップさんが大切にしている言葉とは。
聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。
阿部川 “Go”久広(以降、阿部川) 大学を卒業して、日本のIT企業に就職します。
Jon Kiefer Yap(ジョン・ヤップ・キーファー、以降ヤップさん) はい。ただ日本の企業ではありますが、私が入社したのはフィリピンのマニラ支社です。入社して2カ月後には日本の本社に異動しましたけれども。
阿部川 なぜ日本の企業を選んだのですか。
ヤップさん 日本に留学中、その企業でアルバイトをしていたのです。その縁ですね。ただ仕事がとても忙しく、残業もすごく多かったんです。大変でした。仕事は好きですけれど、それだけではなく、やりたいことがたくさんあったんです。日本のことをもっと知りたいし、日本語を勉強してレベルアップしたいし、日本で旅行にも行きたい。でも仕事中心で自分の時間が取れないという状況で、2年で退職しました。
阿部川 せっかく日本の企業に入ったのに、仕事ばかりで日本に関する勉強に時間をなかなか使えなかったのですね。退職してからは何をしたのですか。
ヤップさん 実は日本の小学校で英語の先生をしていました。母が教育関係の仕事をしている影響もあって、教育分野に興味があったのです。これを機に、ということで先生になりました。
阿部川 英語もずっと勉強されていたのですね。
ヤップさん フィリピンは小学校からずっと英語の授業があるので、その点は問題ありませんでした。勤務した学校で、生徒や保護者が「ヤップ先生の授業はすごく分かりやすい」と褒めてくれたことがすごくうれしくて、何よりはげみになりました。
でも、ものづくりへの情熱が心から消えることはなくて、学校のスケジュールと教材管理システムを仕事以外の時間で作ったんです。他の先生や保護者に使ってもらったところ、「とても使いやすい」と喜んでもらって。そこで、やっぱり自分はプログラミングが好きで、天職はプログラマー、エンジニアなんだと再認識して、エンジニアとして復職することを決意しました。
阿部川 その時は、先生の仕事に未練はなかったんですか。
ヤップさん かなり悩みましたね。先生の仕事は楽しかったので。でも、システムを作る楽しさが忘れられなくて。結局、先生は4年間務め、その後、ソフツーに入社しました。
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