SMS/位置情報共有/緊急地震速報受信/AIとのチャットだけが可能だったKDDIの「au Starlink Direct」が、2025年8月28日にデータ通信の提供を開始した。登山アプリ「YAMAP」でその実力を見てみよう。
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「Starlink」は、SpaceXが提供する、数千機の低軌道衛星を活用した高速、低遅延のブロードバンドインターネットサービスだ。2024年1月に発生した能登半島地震の際には、携帯電話基地局の復旧や避難所へのWi-Fiサービスの提供で威力を発揮した。この際、Starlinkとの通信にはアンテナ(業務用約57センチ×51センチ、約7.2キロ)が使われた。
これに対し、KDDIが提供する「au Starlink Direct」は、アンテナ不要でスマートフォン(以下、スマホ)と衛星が直接通信できる。2025年4月にメッセージ通信でスタートし、2025年8月28日にデータ通信できるようになった。
スマホさえあればStarlinkが使えるのは魅力だ。だが、アンテナなしで電波がどの程度送受信できて、どのくらい速度が出るのか。au Starlink Directデータ通信を利用可能なアプリの一つである、登山アプリ「YAMAP」を開発しているヤマップ サービス開発部 プロダクトマネージャー 中島仁史氏と、同部 エンジニアリングマネージャー 落石浩一郎氏に話を伺った。
「スマホさえあればStarlinkが使える」と冒頭に書いたが、au Starlink Directは「どこでも使える」わけではない。
au Starlink Directは、KDDIの携帯電話auの5G/4Gの電波が入らない不感地域でのみ使える。都会の真ん中でau Starlink Directを試してみたいと思っても、使えないのだ。普通の人の生活圏に携帯の不感地域はほとんどないだろう。登山で深い山に入る人や離島の工事現場で働く人などがau Starlink Directのユーザーとして想定される。
Starlinkは高速、低遅延な衛星通信を実現するため、低軌道周回衛星を使っている。その高度は約550キロだが、au Starlink Directはスマホと通信するため、さらに低い高度約340キロの軌道を周回する直接通信衛星を使っている。
サービスを開始した当初は直接通信衛星の数が少なく、SMS(ショートメッセージサービス)の送信に2分かかっていた。しかし、2025年6月に総務省が新しい軌道傾斜角の衛星を使うことを認可し、直接通信衛星の数が増えた結果、SMS送信は30秒以内に短縮された。
軌道傾斜角とは衛星の軌道面と赤道面の角度で、以前は53度だけが使われていたが43度の衛星が追加された。データ通信はこの改善された通信環境を使っている。
データ通信ではメッセージ通信、AI(人工知能)とのチャットに加えて、スマホのアプリが利用できるようになった。ただし、改善されたとはいえSMSの送信に30秒かかることから、低帯域であることは否めないし、同じ場所でも通信断になる時間帯があるなど、かなり厳しい通信環境だ。
そのため、どんなアプリでもデータ通信を使えるようには解放されておらず、au Starlink Directデータ通信を使うための改修をしたアプリだけが利用できる。2025年9月22日時点でデータ通信に対応したアプリは、「YAMAP」「X」「Googleマップ」「ウェザーニュース」など20種類がKDDIのWebサイトに掲載されている。インターネットで多用されるブラウザには対応していない。
また、スマートフォンのOSでも対応が必要だ。同サイトによると、2025年9月22日時点でデータ通信が使える機種は、au/UQ mobileが販売しているスマホでは、Apple21機種、Google4機種、Samsung2機種。au/UQ mobile以外が販売しているスマホでは、Apple21機種、Google4機種となっている(販売予定の機種も含む)。
YAMAPは、ヤマップ(本社:福岡市、代表者 春山慶彦氏)が2013年から提供している登山アプリだ。携帯の電波が届かない山中でもGPSで現在地が分かる。山の遭難事故を防ぐだけでなく、山行の軌跡や写真を活動記録として保存、シェアすることもできる。国内で約2万5000座の登山用地図(YAMAPユーザーの軌跡データや投稿データで精緻化されている)を持っている。
YAMAPには、家族や友人との間で登山計画や登山中の位置情報を共有できる「みまもり機能」がある(図1)。
筆者の三男も利用しており、登山の前には地図と登山計画が「LINE」で送られてきて、詳しい登山ルートやスケジュール(各ポイントの予定到着時刻)が分かる。登山の途中では登山ルート上の現在位置が送られてきて、予定通りに登れているかどうか確認できる。下山時にもその旨の連絡が入る。
登山者の位置情報は、3分置きにアプリから「Amazon Web Services」(AWS)上のYAMAPサーバに送られる。これまではスマホの電波が入る場所でしか位置情報を送信できなかったが、au Starlink Directデータ通信を使うことで、空が開けている場所ならほとんどのところから位置情報を送れるようになった。送る情報は位置情報が主だ。情報量が少ないので低帯域は問題にならない。通信が不安定でも3分置きにリトライするので大きな支障にはならない。
みまもり機能は家族や友人の安心に役立つだけでない。万一遭難したときには家族や友人がいち早くそれに気付き、正確な位置情報を基に警察などへ救助要請できる。
au Starlink Directデータ通信が始まってまだ半月(原稿執筆時点)しかたっていないが、YAMAPの情報共有サイトには既にユーザーからの感想やコメントが寄せられている。
実証すべく電波の入り難にくい○○岳へハイキング。ショートメールもYAMAPもウェザーニュースも、圏外でも大丈夫。これで嫁さんに心配かけなくて安心です。
携帯電話の通じない山が多い北海道では、もしものときに誰かに連絡できる安心感があります。また、平常時でも家族にメッセージや位置情報を送り、心配させないということも大きな意味があると思います。
試験通信では木や山に囲まれているところでは反応しませんでしたが、空が広く見える山頂などでは問題なくGoogleメッセ―ジを送ることができました。
au Starlink Directデータ通信により携帯の不感エリアでも位置情報やメッセージを送信できるようになったことは、登山の安全向上や家族の安心に貢献しているようだ。
YAMAPのネットワーク構成は図2の通りだ。
サービス開発部 プロダクトマネージャー 中島仁史氏によると、YAMAPでau Starlink Directデータ通信を使うために、Android OSがYAMAPを衛星通信対応アプリと判別できるようアプリの設定ファイルに変更を加えているそうだ。
それ以外の改修はしておらず、YAMAP搭載スマホがau携帯不感地帯に入り、au Starlink Directが使える場所であれば、自動的にau Starlink Directデータ通信が使える。
実効速度がどの程度かは不明だが、中島氏によると、写真などを共有する「モーメント」という機能で数100KBのデータを支障なく送信できるそうだ。
福岡の山で実験を行ったエンジニアリングマネージャー 落石浩一郎氏に、Starlink Directデータ通信に改善してほしい点を質問すると、「もっとつながりやすく、もっと安定した通信になっていくことを期待したい」ということだった。
au Starlink Directデータ通信の実力、つまり上り/下りの実効速度、遅延時間、可用性などを判断できるデータは公開されておらず、企業でどのような用途に利用できるか検討するための十分な情報はない。
しかし「SMSの送信に30秒かかる」ことから、低帯域であることは間違いない。使えるアプリが20種類しかなく、つながりやすさや安定性に改善の要望があるのも事実だ。これらを踏まえると、「現時点、企業でau Starlink Directデータ通信を生かせる用途はほとんどない」といえるだろう。
例えば、携帯不感エリアである山奥のダム工事現場を想定すると、アンテナを用いたStarlinkを使えば安定した広帯域の通信が可能であり、au Starlink Directデータ通信は必要ない。スマホが直接衛星につながっても使えるアプリが限られているし、Microsoft Teamsや企業の業務アプリが使えたとしても、必要な帯域が得られそうにない。可用性にも不安がある。
地上系携帯電話網のバックアップとして使うことも難しい。都市部では携帯の電波が入るのでau Starlink Directは必要ない。携帯電話網の大障害が起こって携帯の電波が入らなくなればau Starlink Directが使えるはずだが、スマホ単位で見たときの帯域が足りないだけでなく、多数のスマホが同時に接続しようとすると、au Starlink Direct全体として持っているキャパシティーが不足してつながらない可能性が高い。
au Starlink Directデータ通信の当面の用途は、個人が携帯の不感エリアで活動する際の「最後の砦(とりで)」としての「通信手段」といえるだろう。
より広帯域で安定した通信が可能になれば、ダム工事現場のような企業活動の現場で、アンテナを使わずにau Starlink Directデータ通信だけで業務を行えるようになるかもしれない。
Starlinkは衛星の数が急ピッチで増えており、サービスも進化している。au Starlink Directデータ通信が早期に企業にとっても有用なサービスになることを期待している。
松田次博(まつだ つぐひろ)
情報化研究会(http://www2j.biglobe.ne.jp/~ClearTK/)主宰。情報化研究会は情報通信に携わる人の勉強と交流を目的に1984年4月に発足。
IP電話ブームのきっかけとなった「東京ガス・IP電話」、企業と公衆無線LAN事業者がネットワークをシェアする「ツルハ・モデル」など、最新の技術やアイデアを生かした企業ネットワークの構築に豊富な実績がある。本コラムを加筆再構成した『新視点で設計する 企業ネットワーク高度化教本』(2020年7月、技術評論社刊)、『自分主義 営業とプロマネを楽しむ30のヒント』(2015年、日経BP社刊)はじめ多数の著書がある。
東京大学経済学部卒。NTTデータ(法人システム事業本部ネットワーク企画ビジネスユニット長など歴任、2007年NTTデータ プリンシパルITスペシャリスト認定)、NEC(デジタルネットワーク事業部エグゼクティブエキスパートなど)を経て、2021年4月に独立し、大手企業のネットワーク関連プロジェクトの支援、コンサルに従事。新しい企業ネットワークのモデル(事例)作りに貢献することを目標としている。連絡先メールアドレスはtuguhiro@mti.biglobe.ne.jp。
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