先生は私のヒーロー その責任感、仕事の仕方、全てに憧れました:Go AbekawaのGo Global!〜Mintzu Hnin Khat編(前)(3/3 ページ)
大学ではデータ分析やネットワークを学びました。でもPCを触ったことはありませんでした。
先生は私のヒーロー!
阿部川 サイバーミッションズでは、思った通りの仕事ができましたか?
ミンズさん はい、好きな仕事ができました。デザインの仕事を選べたので、Webサイトのデザインを担当しました。1番楽しかった時期です。デザインは、PHPとJavaScriptで作りました。
阿部川 そのときも日本に行きたいとはあまり思わなかった?
ミンズさん 転職して、ちょっと変わりました。初めて会った日本人は、サイバーミッションズの日本語の先生でした。そして、先生は私のヒーローになりました。
初めて会ったとき、先生はミャンマー語が分からないし、私たちも日本語のあいうえおも分からない状態でした。けれども先生は全く諦めず、一生懸命私たちとコミュニケーションを取ろうとし、日本語も丁寧に教えてくれました。
先生が一生懸命頑張っている姿を見て、日本人ってすごいなあと思いました。それで、日本人の仕事の考え方ややり方、責任感の強さ、相手のことを中心にする考え方、そういうことにはまっちゃったんです。そして、日本人と一緒に仕事をできればいいなあ、日本に行きたいなあ、と思うようになりました。
阿部川 私たちもその先生に感謝しないとですね。日本をそんなふうにミンズさんに伝えてくれたのですから。大変アレな話ですが、ミャンマー人は先生が示した日本人のような仕事への情熱などは持っていないのですか?
ミンズさん ミャンマー人と日本人の仕事の向き合い方は全然違うと思います。主には責任の考え方が違います。日本人なら自分の仕事に自分で責任を取りますが、ミャンマー人にそんな考え方はあまりありません。
阿部川 責任の考え方が少し違うのかもしれませんね。
絵を描くことが好きだった少女はWebデザイナーの仕事に就き、ヒーローに出会い、幸せな日々を送っていた。2021年10月6日掲載の後編では、そんなミンズさんがなぜ日本に来て開発エンジニアになったのか、そのいきさつと将来の夢を伺った。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
関連記事
- 書籍、アプリ、インターネット――両親が私にくれたもの
メコン川の支流近くで育った女の子は、PCと出会い、プログラミングに没頭し、海外と共同研究を行うデータサイエンティストになった - ドラえもんのタイムマシンに乗って、僕は日本にやってきた
ドラえもんの想像力に憧れ、タイムマシンに乗るような気持ちで日本にやってきたベトナムの青年は、ほんやくコンニャクを作りたいと自然言語処理を学ぶようになった - 「紙モデル」は、完成したときの達成感がめっちゃ高いんです
父は反対でした。絶対ダメだと――グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回は、中国と日本でコンピュータサイエンスを学び、現在は日本でエンジニアとして活躍している蔡樺さんにお話を伺った - お父さんには、コンピュータ100台分ぐらい恩返ししなくちゃ
高校生のころは勉強と家業の手伝いしかしなかった(つまり、遊ばなかった)――グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回は、大学に入るまでPCを触ったこともなかった農村出身の青年が、ベトナム屈指の難関大学に入り、5年間の猛勉強を経て日本にやってくるまでを伺った