月額換算750円で5年間パケット使い放題のPC登場 キャリア5Gオフィスの可能性を探る:羽ばたけ!ネットワークエンジニア(75)
筆者が以前から提案している「5Gオフィス」。オフィス内で自前の有線LANや無線LANを構築、運用せず、キャリアの費用負担で5G/4G無線設備を設置し、PCやスマートフォンは常時5Gでネットワークに接続するという方式だ。5年間パケット使い放題のPCが登場し、5Gオフィスがさらに実現しやすくなった。
5Gオフィスの目的は、企業ネットワークのTCO(Total Cost of Ownership:ICTシステム導入時の設備投資、維持管理にかかる費用の総額)削減と利便性向上にある。
全てのPCを常時5Gまたは4Gでネットワークに接続すれば自社でネットワーク設備を持つ必要がなく、高価な帯域保証型の固定回線を使う必要もない。5G/4Gが使える場所ならば、オフィス、自宅など場所を選ばず仕事ができる。不安定なWi-Fiの運用に悩まされることもない。
筆者の経験では、企業がイントラネットの運用にかけている費用は、社員1人当たり1万円/月を超えていることもある。常時モバイル利用にしてその利用料が安価ならば、大幅なコスト削減が期待できる。PCのパケット使用量が多いと5Gの料金が高くなり5Gオフィスの採算性が悪くなるが、「5年間パケット使い放題のPC」の登場でその心配はなくなった。
PCの月間データ量はどの程度か?
本論に入る前に「仕事で使うPCは、1カ月にどのぐらいデータ通信をするのか」を知っておきたい。インターネットを検索しても適当なデータが見つからなかったため、筆者が主宰する情報化研究会(会員数約150人)のメンバーに調査を依頼したところ、20人が回答してくれた。
Windows PCで月間データ量を調べるのは簡単だ。「設定」→「ネットワークとインターネット」→「状態」で過去30日のデータ転送量が表示される。さらに「データ使用状況」をクリックすると、データ量の多い順にアプリケーションごとの転送量が表示される。
図1が、その調査結果だ。
40GB以下が9人、50〜70GBが6人、100GB以上が5人となった。平均値は56.6GBだ。PCの月間データ量はざっくり60GB程度とみればよさそうだ。
ちなみに用途別で使用量の多いベスト3は、「Tanium client」(エンドポイント管理ツール)、「ZSATunnel」(クラウドセキュリティサービス「Zscaler」の暗号化トンネル)、システム(Windows)。4位が「Microsoft Teams」だった。
60GB/月のデータ転送が必要なPCを5G/4Gで使うには、パケット使用量無制限の料金プランが必要になる。携帯大手3社のパケット無制限プランは各社7300円/月(税込、以下金額は全て税込)程度だ。
HP eSIM Connectとは
「HP eSIM Connect」は、日本HPが2023年11月にKDDIとの協業で開始したMVNO(Mobile Virtual Network Operator)サービスだ。
MVNOには、自社設備を持って大手携帯電話事業者より割安で多様なプランを提供するタイプと、単純に携帯通信事業者のサービスをそのまま再販する卸売り型がある。
自社設備を持つMVNOは、端末(スマートフォンやPC)→携帯通信事業者網→(接続用回線)→MVNO設備→インターネットと接続される。そのため、MVNOが契約している接続用回線の帯域幅で端末のスループットが左右される。ユーザー数が多いのに帯域幅が少ないと速度が低下してしまう。
それに対して卸売り型は携帯通信事業者のサービスをそのまま再販するだけなので、性能は携帯通信事業者と常に同じだ。HP eSIM Connectは卸売り型なので、KDDI(au)と同じ性能が得られる。
日本HPはHP eSIM Connectを使って5年間データ通信を無制限に利用できる権利の付いたPCをHP eSIM Connectのサービスと同時に販売開始した。ハイエンドの「HP Dragonfly G4 Notebook PC」(実勢価格26万円代〜)、ミッドレンジの「HP ProBook 445 G10 Notebook PC」(同 14万円代〜)の2機種だ。
「5年間データ通信無制限の権利」はどの程度の料金なのだろう。日本HPの通販サイトではWi-FiタイプのHP Dragonfly G4が21万4280円、HP ProBook 445 G10が9万3280円となっている。
5年間データ通信無制限の権利付きのPCと権利の付いていないWi-Fiモデルの差額は、HP Dragonfly G4で4万5720円、HP ProBook 445 G10で4万6720円だ。Wi-Fiタイプには5G/4G通信モジュールが入っていないので、その費用を差額から引いたものが「5年間データ通信無制限の権利」の料金と考えられる。おおよそ4万5000円とみればいいだろう。
60カ月で割って毎月の料金に換算すると、750円/月だ。これは上記の携帯大手3社のパケット使い放題プラン7300円/月と比較して破格の安さといえる。eSIM Connectを使って「5Gオフィス」を実現すれば、企業がネットワークの運用コストを大幅削減できることは確実だ。
オフィスでキャリア5Gを使っている先行事例
オフィスで5Gを使っている先行事例を見てみよう。筆者がプロジェクトマネジャーとして構築に携わった牧野フライス製作所の5Gネットワーク(「ローカル5Gより速い! キャリア5Gによる事業所内ネットワークが稼働」)は、2021年12月に完成した。
厚木事業所内に複数の基地局設備を設置し、5G/4G共用アンテナを多数使っている。工場で5Gをモバイルロボットの運用に利用しているだけでなく、オフィス棟でも5Gが使えるように5G/4G共用のオムニアンテナ(電波が同心円状に発射されるアンテナ)を天井に設置している。
CIO 兼 管理本部情報システム部 ゼネラルマネジャーの中野義友氏にオフィスでの5Gの用途を伺った。主には数百台のiPhoneで使っているが、PCを接続して使うこともあるそうだ。
基本的にPCはWi-Fiでイントラネットに接続するが、Wi-Fiの調子が悪くなったユーザーはiPhoneの5Gテザリングで接続している。その場合インターネット経由での接続となるため、リモート接続と同様、SASE(Secure Access Service Edge)でセキュリティを確保している。
テザリングは既存のPCを5Gネットワークに接続する手軽な方法だ。テザリングにはWi-Fi、Bluetooth、USBケーブルの3種類があるが、電波干渉やセキュリティの心配がなく速度が速いUSBテザリングがお勧めだ。
テザリングでは「パケットシェアリング」を使いたい。パケットシェアリングは法人向けのサービスで、例えば1台当たり7GBのプランだと、1000台で7000GBをシェアできる。一部のスマートフォンが100GBを超えて使っても、全体で7000GB以内ならOKだ。
上述のようにPC1台当たり平均60GB/月のデータ転送量だとすると、7000GBで110台余りの端末が5G接続を利用できる。月間データ量が10GB程度のPCなら700台収容できる。
5Gオフィスを実現する場合、全てのPCをデータ通信無制限にするのではなく、トラフィックの少ないPCはスマートフォンが持っているデータ容量をシェアリングで有効活用して、5Gテザリングで接続するのが得策だ。
牧野フライス製作所はオフィスで5Gを使う環境が整っている。データ通信無制限権利付きのPCやUSBテザリングを使って本格的な5Gオフィスに発展することを期待したい。
企業とキャリアがWin-Winで電波対策できるかが鍵
HP eSIM ConnectやUSBテザリングを使って、企業が使う全てのPCを常時5G/4Gでネットワークに接続する5Gオフィスの構成は図2の通りだ。
図2 5Gオフィスの構成例
MU(Master Unit):親機、電気信号を光信号に変換
HU(Hub Unit):中継器、光ケーブルを中継してRUに接続、電源供給
RU(Remote Unit):子機、光信号を電気信号に変換、アンテナを接続
VoLTE(Voice over LTE):4Gによる電話サービス。5Gでは電話は使えない
5Gは周波数が高く、ビルの外部にある基地局からの電波はビルの内部まで届かない。そのため、牧野フライス製作所の厚木事業所のように、オフィスビル内に基地局を設置し、電波を各フロアに配布するためにMUやHUからなるアンテナシステムDAS(Distributed Antenna System)を設置しなければならない。
基地局設備やDASは通信事業者がサービスのために所有するものであり、その設置費用は通信事業者が負担するのが原則だ。しかし、サービスで得られる収益と設置費用を総合的に見て採算が合わなければ、通信事業者は費用の全額を負担できない。
例えば、「HP eSIM Connectを使った5年間データ通信無制限のPCを1000台オフィスビルで使いたいから、基地局とDASを設置してほしい」とKDDIに依頼したとする。KDDIが得る収益は1000台×750円/月=75万円/月、5年間で4500万円だ。恐らく、KDDIはこの収益では採算が取れないだろう。基地局やDASの機器、設計、工事の費用は、4500万円では到底まかなえない。
しかし、この企業が社員全員にスマートフォンを貸与して電話やアプリケーションを使わせているとすると状況は一変する。KDDIがスマートフォンから得られる収益を2000円/台/月と仮定すると、2000円/台/月×1000台=200万円/月、5年で1億2000万円となる。HP eSIM Connectの収益4500万円と合わせると1億6500万円だ。これだけの収益があれば、基地局やDASの費用を負担しても採算が取れる可能性がある。
基地局やDASの費用負担は通信事業者が100%負担するケースばかりではない。ユーザー企業が20%とか、30%負担することもある。「5Gオフィス」を実現すれば、企業は自社でネットワーク設備を持ち運用するコストを大幅に削減できるので、基地局やDASの費用の一部を負担しても十分な経済効果が得られるから負担するのだ。
通信事業者はスマートフォンに加えて、PCがeSIMを持つことで収益が増え、基地局やDASの費用の一部を企業に負担してもらうことで採算性も良くなる。
企業と通信事業者がWin-Winの関係で5Gオフィスを実現できるのだ。
月額換算750円で5年間データ通信を無制限で使える権利が付いたPCの登場で、「5Gオフィス」の実現性は著しく高まった。高価なネットワーク機器や固定回線を自社で持つことをやめ、不安定なWi-Fiの運用から解放されて、安定性が高く高速なキャリア5Gによるネットワークへの移行の検討をしてはいかがだろう。
筆者紹介
松田次博(まつだ つぐひろ)
情報化研究会(http://www2j.biglobe.ne.jp/~ClearTK/)主宰。情報化研究会は情報通信に携わる人の勉強と交流を目的に1984年4月に発足。
IP電話ブームのきっかけとなった「東京ガス・IP電話」、企業と公衆無線LAN事業者がネットワークをシェアする「ツルハ・モデル」など、最新の技術やアイデアを生かした企業ネットワークの構築に豊富な実績がある。本コラムを加筆再構成した『新視点で設計する 企業ネットワーク高度化教本』(2020年7月、技術評論社刊)、『自分主義 営業とプロマネを楽しむ30のヒント』(2015年、日経BP社刊)はじめ多数の著書がある。
東京大学経済学部卒。NTTデータ(法人システム事業本部ネットワーク企画ビジネスユニット長など歴任、2007年NTTデータ プリンシパルITスペシャリスト認定)、NEC(デジタルネットワーク事業部エグゼクティブエキスパートなど)を経て、2021年4月に独立し、大手企業のネットワーク関連プロジェクトの支援、コンサルに従事。新しい企業ネットワークのモデル(事例)作りに貢献することを目標としている。連絡先メールアドレスはtuguhiro@mti.biglobe.ne.jp。
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