高橋氏は「ITSSは参照に使うための辞書です」と強調する。人材育成担当者であってもすべてを暗記する必要はない。必要に応じて参照し、判断の目安にすればいい。
社内に抱えるITエンジニア全員をレベル1から7に割り当てられるとは限らない。「すごく優秀なITエンジニアでレベル3と考えてください」と高橋氏はいう。一般的にITエンジニアの9割がレベル1から3に当てはまるという。「すべて独力でできる」のがレベル3以上と定められていて、「あの人は何でもできる」と目されるITエンジニアですらレベル3となることが多い。
1人で何でも解決できてレベル3なら、レベル4以上はかなり貴重な存在と考えていい。該当者が少ないのに分類されているのも、ITSSが辞書だからだ。誰が「すごいITエンジニア」「それよりもっとすごいITエンジニア」「究極のITエンジニア」なのか。漠然とした言葉だけではなく客観的な指標で定義している。
ちなみにレベル7のITエンジニアはあまり存在しない。国内で数人ほどと考えられる。企業の枠を超え、IT業界や市場に高い影響を及ぼすことができるほどの存在だ。先進的なサービスを開拓し、市場をリードするほどパワフルでなくてはならない。使い慣れた言葉を使うなら名実ともに「エバンジェリスト」となれるほどの存在といえるだろうか。
しかし実情はまだ混沌(こんとん)としている。まだ導入側に理解不足があるようだ。企業がよく理解しないまま導入してしまい、悪影響や悲劇をもたらしているケースもある。これはITSSそのものの完成度ではなく、導入する側の問題だろう。高橋氏は「中身を良くする責任は活用側にあります」と指摘する。
ITSSは、インストールすればすぐに使えるパッケージソフトのように簡単なものではない。「標準」と名が付くので便利でそのまま使えるような、または国が定めたのでそのまま使わないとまずいようなイメージがあるが、それは違う。
ITSSを活用し普及させるためには、導入側がITSSをよく理解し、人材育成についての考えをまとめておく必要がある。最近では成果主義が進んできた背景もあり、人事はどういう指標でITエンジニアを評価すればいいか悩んでいることが多い。そんな状況でITSSを見て「これが新しい階級制度か!」と飛び付いてしまう企業もあるそうだ。これは明らかに誤解である。
そのほかにも多くの誤解がある。例えば職種や専門分野は人物像ではない。ITSSには「固定的な役割や職務のモデル化をまず行うのではなく、市場において顧客が必要とするスキルをまず浮き彫りにして、そのスキルの標準化を行う」とある。順番に気を付けなくてはならない。
また必要に応じて参照すればいいのであって、達成度や熟達度の項目をすべて評価する必要はない。むしろ利用側は自社に合わせて項目を吟味し、取捨選択する必要がある。
導入したある企業ではすべての達成度や熟達度を評価しようとしたため、不必要な項目まで評価し、結果として多くのITエンジニアが評価を落としてしまったという。ビジネス上関係ないものまで評価する必要はない。
ITエンジニアにとって、現状は厳しい。評価する側がITSSをよく理解しないまま、ITエンジニアを評価しようとすることがある。評価することだけが目的になってしまうこともある。
ITSSの目的は評価することではなく、ビジネスに貢献ができる人材の育成だ。まず客観的な実力を測り、そこから先のステップに続けなければ意味がない。高橋氏は多くの企業の導入事例を目にしてきたが、残念なことに多くが「理解不足」であるそうだ。ITSSを導入して成功している企業はまだほんのわずかのようだ。
こうした理解不足は「企業がITエンジニアの人材育成を重要視していない」ためと高橋氏はいう。企業によっては人材育成担当は閑職であり、通常の業務ができない人材に割り当てる役職だと考えている。企業内のITSS推進者が思慮不足なら、ITSS導入で成功する可能性はかなり低い。
不当な評価をされれば、ITエンジニアのやる気は停滞する。ITエンジニアがネガティブになればスキルアップなど望めるはずもなく、業務にも悪影響を及ぼし、悪循環に陥る危険性もある。
高橋氏は、ITSS導入以前に「戦略目標の達成に向けた人材育成についての理解が不足しています」と指摘する。理念や方針が定まっていないから迷走してしまう。結局従来の枠組みと大して変わらないものが出来上がり、ITSSを導入する意味がなくなってしまう。
ITSSでは業界や業務の知識や経験、細かい要素スキル、ヒューマンスキルまでは記述していない。だからといってITエンジニアにそれらが必要ないというわけではない。
企業で必要な人材像とは、辞書そのままの人物ではない。そうした人材像は企業ごとに異なるものだ。企業ごとにサービス内容や事業形態は異なるから、そうなるのは当然といえる。たとえ同じ肩書きや呼び名だとしても、企業ごとに責任範囲や必要なスキルは異なる。しゃくし定規にはいかないのだ。
大切なのは企業ごとに目標にふさわしい人材モデルをきちんと描くことだろう。そのうえでITSSの定義からどれを取捨選択するか、足りないものをどう補うかを考える。ITSS推進者はこうしたことをきちんと定め、経営者から現場責任者、ITエンジニアまでに理路整然と説明できなければならない。
高橋氏は、ITSSスキル領域の共通スキルをできる限り活用し、業界知識、業務知識、取得資格、要素技術、パーソナルスキルなどは独自にスキル定義を追加するべきだと説く。ITSSはITエンジニアが仕事をするための共通スキルの定義と、成果を評価するための達成度指標を定義したものである。これらが参照モデルとして提供され、共通化されたベースを基に自由に選択・追加できることに意義がある。
企業がITSSを導入するに当たって、ITエンジニアはどう構えるべきか。理解度の低い企業の担当者がITSSをそのままの形で人材評価に使おうとしたり、企業間比較を目的にしたりと、手段を目的と取り違えた運用がされる恐れがあるときは要注意だ。立場上難しいかもしれないが、不適切であることを指摘できるようにしよう。
それよりも重要なのは、ITSSを自分のキャリアパスを考えるためのツールとして理解し、活用することだ。自分が持つスキルのうちどれが強みとなるのか、何が不足しているのかを認識するツールとして使う。そして何よりも目標を持つことだ。自分は何を目指したいのか。キャリアデザインのツールとしてITSSをとらえるのだ。
実際にはITエンジニアは会社員であることが多いので、企業との間でうまく折り合いを付けていく必要がある。企業が経営課題を達成するために必要とする人物像「こんなITエンジニアが欲しい」と、ITエンジニアが描く個人のキャリアパス「こんなITエンジニアになりたい」との調整だ。客観的な指標を基にこのことを話せるようになると、企業とITエンジニアの双方にとってメリットがあるはずだ。ITSSとはそのために使うべきものなのだ。
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