ユーザー企業がシステムの設計・開発を依頼するとき、そこには経営的な判断が存在する。顧客の「経営戦略」をとらえたうえでシステムを設計・開発できるITエンジニアになろう。
本連載も8回目を迎え、ようやく第1回に出題した問題の解答例を示す段階までやってきた。これまでの解説はいわば、この解答を理解するための少々長いプロローグだと思っていただきたい。
まず、前回に学んだ「全社ポートフォリオ」作成のための3つの視点を復習する。
これらの視点を考慮しながら問題を解き、続いてポートフォリオ理論について解説する。ポートフォリオ理論は、事業ポートフォリオを考えるうえで、ある種の教訓を与えてくれるだろう。
最後に、多くの事業をポートフォリオとして管理する「多角化企業」と「単一事業体企業」を比較する。これを全社戦略の結びとして、次回からは全社戦略の中で組み上げられた各事業の事業戦略に話を移していく。
東京都中野区に拠点を持つ中野グループは、傘下に5つの事業会社を保有しているとする。あなたは、この中から3社を選んで買収し、新たに複合企業体を形成することができるとする。手元にある情報はこれだけだ。さて、どの3社を選ぶのが最適だろうか? カギとなる要素は何で、何を基準に3社を選べばよいのか?
会社名 | 事業 | 売上高(百万円) | 経常利益(百万円) | 特徴 |
---|---|---|---|---|
中野マーケット(株) | 高級スーパーマーケット | 31,342 | 261 | 中野に根ざした高級食材スーパーマーケットとして、一定の知名度と集客力を誇る。百貨店・鉄道系傘下の企業との競争は激しさを増しているが、数店ある各店舗ともリニューアルは終了しており、安定的なキャッシュフローが期待できる。地域へ流入する若年世代の取り込みと、売上高経常利益率の改善が課題。 |
(株)中野リストランテ | イタリアンレストラン | 15,097 | 195 | 食材を厳選した伝統的なイタリアン料理を提供するレストランチェーンを展開している。各店舗を違うコンセプトで作り上げているため、地元のみならず遠くからやってくるリピーターも多く、デフレの影響を最小限に抑えている。一方、顧客の要求に十分に応えられるような接客教育には時間を要する。現店舗の改装は2009年に終了し、長期化するデフレ対策として、よりカジュアルな新店舗「カジュアーレナカノ」の展開を検討中。 |
(株)中野ヴァン | 酒輸入 | 10,507 | 587 | 現地で大量に直接買い付けすることによって、高品質・低価格を可能にしており、購買者からは好評を博している。最近ではサッカーワールドカップ南アフリカ大会の影響で、これまで手掛けていなかった南アフリカやチリなど非ヨーロッパ地域の商品に注目が集まっている。これらの地域の商品を手掛けることで事業拡大が見込まれるが、新規生産者開拓には買い付けから販売まで長期間を要することが問題点として挙げられる。 |
中野オフィスクリーニング(株) | ビル清掃 | 2,102 | 105 | オフィスビルのフロアおよびトイレの清掃を事業の中心とする。最近では警備・外壁の清掃・植栽管理などに事業を拡大している。地元の企業とは年間契約が多く、収益は変動が少ない。初期投資は不要で、キャッシュフローも安定している。現状では地域の雇用の確保にも一役買ってはいるが、景気が向上すると人材確保が困難になる。 |
中野ケアサービス(株) | ケアセンター | 23,535 | 688 | 訪問介護などの在宅介護サービスと、老人ホームなどの居住介護サービスを柱とする介護事業を総合的に行っている。居住介護においては通常の居住施設に加え、介護に必要な設備の敷設が義務化されており、多額の初期投資が必要となる。とはいえ、高齢化社会の進行と、介護保険の成熟化から、今後成長が見込まれる分野である。 |
中野グループの特徴から、ドメイン、コア・コンピタンス、キャッシュバランスの切り口をいくつか考えてみよう。そしてそこから、複合企業体を作る3社を選んでほしい。
中野グループ各事業の内容と特徴から、当てはまるもの、当てはまらないものに印をつけたのが下の表である。
※キャッシュバランスについては、各事業がどの時期にあるかを●で表した
ドメインでは、「高級食材・料理の提供」「豊かなリタイア生活」「インターナショナルな文化」といった切り口が、コア・コンピタンスでは「良い食材の目利き」「喜ばれる接客」といった切り口がそれぞれ高い点数を得た。すなわち、これらをキーワードにすれば、親和性が強く、共通項の多い事業を営めることを意味する。
ドメイン |
コア・コンピタンス |
キャッシュ バランス |
|||||||||
高級食材・料理の提供 | 豊かなリタイア生活 | インターナショナルな文化 | マンパワーの活用 | 良い食材の目利き | 消費者ニーズへの感度 | 労働者のシフト調整 | 喜ばれる接客 | 需要大(投資必要期) | 戦略次第 | 需要少(投資回収期) | |
中野マーケット(株) | ◎ | ○ | ◎ | ● | |||||||
(株)中野リストランテ | ◎ | ○ | ◎ | ○ | ◎ | ◎ | ◎ | ● | |||
(株)中野ヴァン | ○ | ◎ | ◎ | ○ | ● | ||||||
中野オフィスクリーニング(株) | ○ | ◎ | ◎ | ● | |||||||
中野ケアサービス(株) | ◎ | ○ | ○ | ◎ | ● | ||||||
点数 | 7 | 6 | 6 | 5 | 9 | 4 | 4 | 6 | - | - | - |
従って、5C3=10通りの組み合わせのうち、下記のどちらかを選ぶのが正解である。
なお、キャッシュバランスについて述べると、中野マーケットは投資回収期にあるから、ここから潤沢に上がるキャッシュフローをリストランテの新規店舗展開や、ヴァン(ワイン)の買い付けに充てるのもよいし、リストランテの店舗展開を控えめにして、確実に資金需要の高いケアサービスに投資してもよい。
さて、投資に関して「リスク」と聞くと、何を思い浮かべるだろうか。
大半の人は「リスク」=「損をすること」だと考えるが、投資理論の世界では「不確実性」を意味する。
損をすることをダウンサイドリスクだと定義すれば、期待した以上に得をすること(アップサイドリスク)もまた、理論上は同種のリスクなのである。年利率0.3%の国債に投資すれば、1年後には確実に0.3%の利益が上がる。この場合、リスクはゼロで、これを無リスク資産と呼ぶ(将来にわたって無リスク資産といえるかは怪しいが……)。銀行預金もほぼ無リスク資産だと考えてよい。
株式の場合はどうだろうか。東証の平均配当利回りは2%だが、配当(インカムゲイン)は企業業績に依存して不確実だし、ましてや株式自体の価値(キャピタルゲイン)も値上がりまたは値下がりする。仮に1年後の平均期待リターンが2%だとすると、2%になる確率が一番高いが、−1%になるかもしれないし、5%になるかもしれない。不確実性ゆえに、銀行預金よりはるかに高い2%の配当がもらえるのである。
一般的に、同じ平均期待リターンに対しては、リスクが低い方が好まれる。では、どうやってリスクを下げればよいだろうか。分散投資をして、できるだけ相関の低い、逆相関になっているような資産を組み合わせるのである。
同じ期待リターンを持つある資産Aと資産Bの変動に関して相関係数が−1だった場合、Aが値下がりすればBが値上がりする。Bが値下がりすればAが値上がりして、お互いのダウンサイドリスクを打ち消しあう。従って、資産AあるいはBを単体で持っているよりも期待リターンに対するリスクは小さくなる。このように、分散投資効果を数学的に解析したものを「現代ポートフォリオ理論」(Modern Portfolio Theory:MPT)と呼ぶ。
しかし、この考え方は事業家が事業ポートフォリオを組むのとはまったく逆の発想であると気付くだろう。事業家は、相関性のある事業でリターンを高めることを狙うのである。誰もが不動産業者であった苦い1980年代を経験し、選択と集中がキーワードになった1990年代が過ぎ、いまでは「事業家は相関性のある事業でリターンを増やすことを狙う」という考え方は定着してきたようにも見えるが、まだまだ実践が追いついているとはいえない。自社のポートフォリオを見たときに、経営陣は、自分たちが投資家ではなく、事業家であると胸を張っていえるだろうか。再考してみてほしいものだ。
全社戦略とは相関性の高い事業を、現在および未来のキャッシュバランスに注意をしながら1つの会社という枠組みに入れて切り盛りすることであった。東証一部上場企業などを見れば、いずれも相関性の高い複数の事業を持った多角化経営で切り盛りしていることがうかがえる。一方、中小企業ではその多くが、単一事業体である。
そこで生じる疑問は「中小企業も多角化すべきか、大企業は単一事業体になるべきか?」という点であろう。そもそも、2つの事業体の経営はどちらがうまくいきやすいのだろうか。
その比較をした資料が下の図である。
これは、ビール会社のROEとビール事業への経営集中度(全社の売上高におけるビール事業の売上高の比率)を表したものだ。
ここから分かることはとてもシンプルだ。つまり、相関性が高い事業を束ねたところで、多角化企業の経営は単一事業体企業の経営よりも難しいということだ。キリンやアサヒの経営陣が、ハイネケンやアンハイザー・ブッシュ(バドワイザーが有名)の経営陣よりも賢いわけでないならば、経営集中度を上げてROEを高めることが、株主の期待に応えることになるといえるだろう。
皆さんも将来、全社戦略を考える立場になった暁には、そもそも論として一度、この事実を思い返してほしい――多角化事業は単一事業より難しい。
しかし、米系企業が捨て去ったコングロマリット的発想が、日本企業の中ではいまだ根強く支持されているのは、日本固有の事情があるからだと筆者は考えている。日本では労働者という人的資源のほか、資金やモノ(不動産・動産を問わずに)の流動性がまだまだ低い。例えば、土建業から介護事業への人の移動が起こらなかったり、環境を対象とした新規ビジネスへの投資が進まなかったりと、社会全体の新陳代謝がなかなか進まない。
従って、企業が、流動性の低い外部から新たな経営資源を調達するのではなく、企業グループの中で資源の流動性を上げていこうと考えることは、効率が若干下がったとしても、一定の合理性があるといえるだろう。
筆者は、社会環境を考え、ある程度の多角化を認めるが、基本的には単一事業体による経営がより簡単であると主張する。しかしながら、投資家的ポートフォリオではなく、事業家的ポートフォリオによって個々の事業以上の価値を全社として創造できる可能性を否定するものではない。GEなどはその最たる範といってもよいだろう。
※これは筆者のつぶやき程度に流してもらえれば結構なのだが、政府が成長戦略として強い経済力を標榜(ひょうぼう)するならば、派遣切り禁止などの労働市場の固定化を促すのではなく、やるべきことの方向性は……もう、ここまで読んだ皆さんであれば察しがつくだろう。グローバル時代の大競争の中ではさらに流動化を促し、餅は餅屋に任せて、社会全体として効率性を高めていかなくてはいけないのだ(当然セーフティネットは流動化とセットで必要だ)。
全社戦略の考え方、実際の難しさ、それにも負けず成功している会社があることを分かっていただけただろう。ここで、全社戦略は終了となる。
いよいよ次回からは、事業戦略だ。お楽しみに。
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松浦剛志(まつうらたけし)
京都大学経済学部卒。東京銀行(現 三菱東京UFJ銀行)審査部にて事業再生を担当。その後、グロービス(ビジネス教育、ベンチャー・キャピタル)、外資系ベンチャー・キャピタルを経て2002年、戦略・人事・会計を中心とするコンサルティングファーム、ウィルミッツを創業。2006年、業務改善に特化したコンサルティングファーム、プロセス・ラボを創業。現在は2社の代表を務める傍ら、公開セミナー、企業研修の講師を務める。セミナーテーマは「経営戦略」「会計と財務」「問題解決」「業務改善」。
木山崇(きやまたかし)
2000年、東京大学工学系研究科修了。シティバンクを経て、外資系証券会社に勤務。日本証券アナリスト協会検定会員。ウィルミッツ、プロセス・ラボのアドバイザーとしても活躍。
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