GitHubが実践するオープンソース式マネジメント法GitHub創設者が語る“軌跡”

1月30日、Open Network Labは「GitHub創設者が語る“立ち上げから利用者300万人までの軌跡”」をテーマにイベントを開催した。そこで語られたGitHubの歴史や社員の採用方法、マーケティング術などをレポートする。

» 2013年02月12日 13時00分 公開
[太田智美,@IT]

 Open Network Labは1月30日、「GitHub創設者が語る“立ち上げから利用者300万人までの軌跡”」をテーマに、イベントを開催した。GitHubとは、ソースコードを共有し、複数の人とコラボレーションしながら作業できるWebサービスだ。今回のレポートでは、GitHubのCOO ピージェー・ハイヤット(PJ Hyett)氏とCIO スコット・チャコン(Scott Chacon)氏が語るGitHubの歴史や社員の採用方法、マーケティング術などを紹介する。

GitHub COO ピージェー・ハイヤット(PJ Hyett)氏 GitHub COO ピージェー・ハイヤット(PJ Hyett)氏

 GitHubのミッションは、「1人で作業するよりも複数の人とコラボレーションしながら作業した方がいい。人のために、技術者のためにステキな環境を作ること」だ。GitHubは、2008年4月に「コラボレーションできる環境を作りたい」という夢を持った3人の想いが集まり始まったプロジェクトである。それから約5年経った現在では、300万人のユーザー数と500万のリポジトリが登録されている。

GitHubユーザー数成長グラフ GitHubユーザー数成長グラフ

GitHubのはじまり

 創業者の1人、ピージェー氏がプログラミングを始めたのは14歳のときである。ピージェー氏の父がパソコンを買ったことがきっかけで、「自分でいろんなものを作ってみたい」と好奇心が生まれたそうだ。

 共同創業者のクリス・ワンストラス(Chris Wanstrath)氏と出会ったのは、「CNET Networks」で働いていたときであった。ピージェー氏とクリス氏は当時、Rubyを使ったプロジェクトやバグ、プラグインなどの情報を専門に発信するブログを立ち上げ、それが話題となりサンフランシスコのRubyコミュニティの中で名前が通る存在だったという。

 しばらくすると、2人は大企業で働くことに飽きてしまった。そこで立ち上げたのが、「Err Free」というRubyのコンサルタント会社である。「Err Free」で働く彼らの名刺には、面白い仕掛けがあったそうだ。ピージェー氏の名刺の裏には「DYNA」の文字が、クリス氏の名刺の裏には「MITE!」の文字が記されており、2人の名刺が合わさると「DYNAMITE!」という文字が浮かび上がった。「自分たちが自分たちのボスでいたい」という想いで始めたコンサルタント会社では、このような遊び心も加えながら自分たちが“自由であること”を目指していた。

「Err Free」のころの2人の名刺 「Err Free」のころの2人の名刺

 しかし、それは叶わなかった。昔を振り返り、ピージェー氏は「コンサルというものは、クライアントが自分の上司になったことと同じだった」と語る。プロジェクトの中には、犬向けのソーシャルネットワーク構築の依頼などもあり、乗り気になれないものがいくつもあったそうだ。彼らが望んでいた“自由”は、コンサルタント会社という形では実現不可能なものだった。

 それに気付いた2人はコンサルタントをやめ、自分たちが作りたいと思うサービスを作ることに専念した。そのとき、初めて作ったプロダクトが「FamSpam」というサービスだ。家族向けのメーリングリストのようなイメージで、1つのメールアドレスに写真を送ると、メーリングリストに入っている家族に写真が届くといったものだ。しかし、作っているときは楽しかったもののまったくお金にはならず、継続は困難だった。

 ちょうどそのころ、ピージェー氏はバーでお酒を飲みながらRubyについて語る会「Ruby Meetup」を楽しみにしていたという。ここで出会ったのが、3人目の共同創業者トム氏だ。トム氏とバーで話しているときに、「GitHub」のアイデアが生まれたそうだ。トム氏はデザインもできたため、「GitHub」という表記やフォントデザインもこの出会いがきっかけで決まったという。しかし、もともとGitHubは、サイドプロジェクトとして始められたものだった。「LOGICAL AWESOME」という社名のもとで、たくさんあるプロジェクトの1つとして平日の夕方以降と週末だけで進めていたという。

 GitHubの転換期が訪れたのは、「GitHubがなくなっては困る」と、あるユーザーからお金の話を持ち込まれたときだった。「Engine Yard」というRubyのホスティングサイトがパートナーシップを結んでくれたことも、大きな出来事だったという。運営にあたり、人件費の次に高いコストがホスティングだ。このパートナーシップでは、「Engine Yard」のロゴをGitHubのサイト下に張るだけで、無料で使わせてもらえるというもので、Ruby MeetupでたまたまEngine Yardの創業者と出会い実現した。

 最初の2年間はオフィスがなく、カフェや自宅で作業をしていた。必要なコミュニケーションは、グループに特化したチャットサービス「Campfire」とGitHubだけで行っていた。バーチャルオフィスのような形で活動し、良かった点が2つあった。1つめは、自分たちのサービスであるGitHubを改善すればするほど自分たちの作業効率が上がり、ユーザーにとっても使いやすくなっていったという点、もう1つは、オンラインコミュニケーションを密にとることで、非同期にGitHubを動かせたという点だ。現在も、GitHubでは顔を合わせての社内ミーティングは1つもないという。すべてオンラインで決めてオンラインで実行されるという文化があり、出社する必要もない。サンフランシスコに住んでいる社員も、半分の人はまったく会社に来ることなく自宅から作業しているそうだ。

GitHubの成長戦略

 GitHubのβ版最初のローンチでは、招待制がとられていた。招待された人は他の10人を招待でき、そこで招待された人はさらに10人誘えるといった仕組みだ。これが偶然にもバイラルを生み出した。

 2008年4月10日、ついにパブリックローンチされた。ピージェー氏はその日を振り返り、「何かが壊れたり、バグが出たりすることなども一切なく、すべてがスムーズにいった。RubyのオープンソースプロジェクトがGitHubにホスティングされたのもローンチした日だった。すべてがうまくいきすぎてしまったので、友人を誘ってバーで飲んでいたんだ」と話す。

 3人の創業者は、チームビルディングを非常に大事にしており、Podcastを3人で配信したり、Gitのmeetup「gitdown」を定期的に開催している。gitdownでは、毎回ゲストが来てお酒を飲みながらGitに関するプレゼンテーションを行う。これがドリンクアップに進化し、そこで出会ったのがスコット氏だという。ピージェー氏はスコット氏について、「彼は本当に頭がよくて、Gitに関してものすごい知識を持っている。3人の創業者よりもGitのノウハウを持っていた。彼に出会ってすぐに、『この人はGitHubに入るべきだ』と思った」と語った。

GitHub CIO スコット・チャコン(Scott Chacon)氏 GitHub CIO スコット・チャコン(Scott Chacon)氏

 GitHubが成長していくにつれ、キャッチコピーも変化していった。当初のキャッチコピーは「リポジトリホスティング」であったが、だんだんとGitHubがプロジェクトよりも人にフォーカスしていったことに気付いたという。GitHubにホスティングされているプロジェクトに、人がどのようにかかわっているのかといったところにフォーカスしていく中で、「ソーシャルコーディング」というキャッチコピーが生まれてきたという。

 「GitHubがここまで成長した理由は、面白いオープンソースのプロジェクトがGitHubに載ったことにある」とスコット氏は考えている。「例えば、GitHubはYouTubeのプログラマ版だと考えている。YouTubeでは、面白い動画があると拡散される。ユーザーは、YouTubeを見たくてサイトを訪れるのではない。面白い動画がそこにあるから訪れるのだ。それと同じで、GitHubでは面白いプロジェクトがたくさんホスティングされると拡散され、GitHubに来てもらえる。それが、GitHubのマーケティングだ」(同氏)。

 こうして広まったGitHubだが、今では当初予想もしなかったような使い方もされている。例えば、新しいブログを投稿するときに、pull requestでブログを修正したり、税金管理を行っていたりする。中には、ドイツの法律をGitHubにホスティングし、「どうしたらドイツの法律を良くできるか」と議論しているユーザーもいるそうだ。

給与体制と「+100」投票制度

 GitHubをローンチした当時、創業者の3人は他の仕事をすべてやめた。そのため、半年間は給料がない状態が続いた。GitHub自体をマネタイズしていたためお金は少しずつ入ってきていたものの、コンサルタントをしていたころの額からはほど遠いものだった。

 スコット氏を採用したのと同じ時期にようやく給料を払えるようになったが、ごくわずかだった。そこで編み出されたのが「毎月目標設定をし、売り上げ目標が達成できたらそれに応じて給料を上げていく仕組み」だ。これを続け、1年後にはコンサルタント時代に稼いでいた額と同じくらいの収入が入るようになったという。「その日はローンチした日と同じくらいうれしかった」と、ピージェー氏は話す。

 また、GitHubのマネジメント体制も興味深い。スコット氏は「マネジメントがオープンソースになっている」と例える。「皆が好きなときに関われて、どこからでも作業でき、新しい機能を追加するときや改善するときは皆で決める」というオープンソースのやり方を、そのままGitHubのマネジメント法にしたそうだ。大企業のマネージャのように、上から下に命令を送るような人は作らず、日々プログラマーが課題を出して解決策を生み出したり、自分が関わりたい場所を提示し、皆で決めるといった方法だ。

 驚くことは、GitHubがパブリックローンチされた2008年から、誰も辞めていないことだ。しかし、「社員が辞めないことをKPIにしているわけではない」とピージェー氏は言う。人を採用する際、自分たちが信頼している人からの紹介を一番大事にしているのだそうだ。同氏は「優れた人が会社に入ると、その優れた人が他の優れた人を呼び込む」と主張する。採用のプロセスも、できる限りその人のことを知ることに重点を置き、フローも決まっていない。現在、社員は約160人だが、6割はサンフランシスコに住んでいない。採用過程で彼らと直接話をするときは、飛行機やホテルの手配をGitHub側で行うという。そうすることで、採用したい人のポテンシャルを上げられるのだそうだ。

 採用方法もユニークで、面接に関わった人全員が投票するシステムだ。投票は「-1」「+1」「+100」の3つがある。採用したくない場合は「-1」、採用していいという場合は「+1」、メンターとして責任を持って採用したいという場合は「+100」を投票する。このような方法により、皆に好まれ、質の良い人がGitHubに入ってくるという。

 住んでいる場所も仕事をしている場所もバラバラだが、GitHubでは同じ空間で働いている以上に強いつながりがあるように感じた。

(おまけ)手作りのお面を作ってきた参加者がいたので、筆者も借りてGitHubのキャラクターOctocatになりきってみた (おまけ)手作りのお面を作ってきた参加者がいたので、筆者も借りてGitHubのキャラクターOctocatになりきってみた

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