エンジニアが向かう“べき”方向など、決まってはいない。人生は一度きりだから、やりたいことを精いっぱいやろうじゃないか
いきなりですが、ぼくには「エンジニアはどこへ向かうべきか」を客観的に語ることなど、できそうもありません。未熟で、不安定で、何をするにも力不足で、見本になれるようなところなど、どこを探してもなさそうなのです。
この記事の執筆を依頼されたときに、それでも書くことにした理由は、「人生一度きりだから」という気持ちが生じたからです。
人の向かう方向、つまりは「生き方」についての考え方を語る機会など、今後一生、来ないかもしれない。ならば、最初で最後かもしれないこのチャンスに乗っかって、何か一つ書いてやろうと思ったわけです。
このように、ぼくはいつしか、「人生一度きりだから」という言葉が行動原理になってしまっているようなところがあります。ぼくの周りにいる人は、ぼくがその言葉を発したのを何度か耳にしていることでしょう。
人生は一度きりだから、やりたいことを精いっぱいやって、自分の人生に満足して死にたい。人生に選択肢が現れるたびに、そういう想いが後押しする方向を選ぶようになりました。
だからぼくはこの記事で、「エンジニアはやりたいことをやり、満足して死のう」という、ただそれだけを主張しようと思います。
しかし「やりたいことをやる」のは、簡単なようでとても、とても難しいことです。
かくいうぼくも、やりたいことを日々幾つ諦めていることでしょう。
ただ、「やりたいことをやる」人生に日々トライしている、という自負だけはあります。そうした日々の中で失敗を重ねてきた経験から、ぼくなりに考えたことを幾つか語ろうと思います。
恥ずかしながらぼくは、「起業したいから」起業してしまった人間です。
確たる目標がないまま独立してしまい、その後「やりたいこと探しをする」という、本末転倒な起業家人生を歩んできてしまいました。自分は何をしたいんだろう、そんな問い掛けを自分に対して何度発したことか、数えきれません。
そういう経験を踏まえて言えるのは、「自分はこれから何をすべきだろう」「自分の本当にやりたいことって何だろう」と自分に問い掛け始めるのは、あまり良くないシグナルだということです。
この問いは、問い掛けられたその瞬間から、答えるのが猛烈に難しい問いになってしまいます。その問いに答えを出そうと何度も何度も自分に問い掛け、何とか文章にまとめてはみるものの、時間を置いて見返してみると、やはりどこかずれている…… こんなことに多くの時間を費やしてしまった時期があり、とても後悔しています。
そもそも、「人間が何かを成したい、始めたい」という根源的な欲求を、言葉で問おうとすることそのものが誤っているのではないか、と今では考えています。先の問いは、問うことそのものが誤ってるのではないか、と。
「やりたい」という気持ちは、「欲求」です。理屈よりも先に、理屈抜きで沸き上がってくるものです。
「欲求」という言葉はちょっと微妙なニュアンスを伴っているので、ともすれば抑えたりしなくてはならないもの、というイメージを抱く方もいらっしゃるかもしれません。しかしぼくは、その欲求こそが新しいことに取り組むための活力の基であり、達成した時には大きな満足感を得られる、素晴らしいものだと思っています。
もし、「やりたいこと探し」に心当たりがある人がいたら、そんなことを考えるのは今すぐやめて、自分が今楽しいと思えることに時間を使った方が有意義だと思います。それこそが、「今、あなたが」やりたいことなのですから。
どんな小さなことでも、くだらないことでも、夢みたいなことでもいい。
英語を話せるようになりたい、物を作れるようになりたい、技術力を向上させたいなんて「誰が見ても素晴らしい」欲求もあれば、彼女が欲しい、遠くに行きたい、お金が欲しい、人に注目されたいなんていうのでも、同様に素晴らしい。ぼくなんて、今でも小説家になりたいとか、シンガーソングライターになりたいとか、結構本気で思っています。
そんな「やりたい」を素直に肯定して、やれることからやればいい。やってみて、三日坊主で終わったって、何がいけないというのでしょう?
自分のやりたいことに向かって行動を起こしてみた、そういう小さな満足感が、人生の満足につながる。今では、そう思っています。とにかく行動あるのみです。
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