会社は家族のようなもので、同僚は親や兄弟のようなもの。そう思っている人は多いのではないだろうか?
世間では、「顧客第一」とか「顧客満足」(が大事だ)とよく言うし、少し前には「お客さまは神様です!」などとも言ったものだ。しかし、自分の真の顧客が誰なのかを正確に理解しているビジネスパーソンは案外少ない。
読者は「自分の顧客が誰なのか」意識的に見極めたことがおありだろうか。恥ずかしながら筆者は、30代の半ばぐらいまで、自分の真の顧客を正しく捉えていなかった。
日本のサラリーマンの多くは、自分の会社のこと「ウチ」と呼ぶ。これは、仲間意識を醸成する効果もあってそれ自体が悪いことではないのだが、自分の真の立場を見えにくくする。
「ウチの(会社の)人」は疑似的に家族のような親しい仲間であり、共に戦う戦友だ。彼らには強くあってほしいし、全力を尽くさない人は仲間と認め難い。時には、役に立っていないと思う同僚を「給料泥棒!」などとなじるのが、魂の熱い企業人の常だ。
しかし、冷静に考えてみると、同僚を泥棒だと非難しても、彼がよりよく働くようになるとは限らない。むしろ逆効果であることが多いのではないか。
自分としても、会社としても、高い成果を上げようとするなら、同僚には気持ち良く働いてもらう方がいいはずだ。腹立ちをぶつけることに気晴らし以上のメリットはないのだが、「ウチ」の中に安住しているとついついこのことを忘れがちだ。
実は、多くのサラリーマンの真の顧客は、上司や同僚である。エンジニアの場合は、特にそうしたケースが多いのではないだろうか。
筆者は、かつて外資系の証券会社で、アナリスト的な仕事をしていた。調査や研究に携わるエンジニアと立場的に似た仕事だろう。一方、職場としての外資系証券の特徴を一言でいうなら「クビのある職場」で、緊張感を伴う日々だった。
職場では、社外のお客さまはもちろんのこと、それ以上に社内の上司筋に当たる人たち(外資系では「レポートライン」と称する)が自分にとっての顧客であるのが現実だった。自分ではいい仕事をしていると思っていても、彼らを満足させなければ職自体が危ないし、ボーナスを評価するのも彼らだ。
外資系証券の後に日系の証券会社に転職したのだが、その時に、職場の同僚に対して、過去に日系の会社に勤めていたときには味わったことのない気分を感じた。
率直に言ってその会社には、仕事ぶりや仕事上の知識に不満を感じるレベルの同僚が少なくなかったのだが、20代のころのような同僚に対する怒りが湧かなくなった。むしろ、自分が彼らの役に立って喜んでもらうにはどうしたらいいかと考えるようになったし、彼らの役に立つ機会があることを喜ぶ気持ちが芽生えていた。
たぶん筆者は、このときに自分の実質的な顧客を実感レベルで理解したのだと思う。
エンジニアの読者は、技術の機微や価値を理解しない同僚(上司や部下を含む)をくだらない人間だと思うことがあるのではないか。たぶん、自分の技術と能力に自信がある人ほどそうだろう。
しかし、もう一歩踏み込んで考えるなら、同僚たちが完璧に優れていたなら、彼らに提供できる付加価値はごく限られたものになるはずだ。極端なケースを考えると、自分は彼らに必要とされないかもしれないし、他人で十分置き換え可能な存在かもしれない。周囲の同僚に無理解や能力の不足があることは(程度問題だが)、自分にとっては、むしろありがたいことでもある。
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