プログラマーがプログラマーとして人生をまっとうできたら……それは幸せなことかもしれない。
本連載は、エンジニア参加型メディア「エンジニアライフ」から、@IT自分戦略研究所編集部が独自の視点で選んだ“良”コラムを転載するものです。
市井のエンジニアが人生の人生の節目節目で考えたことをつづる本連載。シーズン1は、“一介の職業エンジニア”松坂高嗣さんがエンジニアのキャリアを解説した。本日より始まるシーズン2は、複数のエンジニアたちが、エンジニア生活のリアルをお届けする。
50歳になりました。
50年って半世紀じゃないですか。めっちゃ大げさな感じがしますよね。高校生のころ、50歳って言ったら大人を通り越しておばあちゃんくらいのイメージありましたが(実際、孫持ちでもおかしくない年だし)、いざ自分がなってみると、中身が高校生のころから全く変わってなくてがくぜんとします。
2015年は足の調子を悪くしまして、12年ぶり5回目の手術を受けたため、入院とリハビリで3カ月間、プログラマーをお休みしてました。
(なんでそんなに手術をやっているのか、というお話は「自分の稼ぎで喰っている」というコラムに書いたので、気になる方は読んでね)
こんな不安定材料を抱え込んでるのに、「正社員はどうも向いてない」とか言ってフリーランスになっちゃった私ってどうなんだろう、と自分でも思います。何も言われないけれど、親や友人たちに結構、心配かけちゃってるかもしれないな、とちょっと反省してます。けれど、後悔はしていないです。
休業していた3カ月間、入院していた期間以外は、リハビリと散歩(これもリハビリの一環ですが)とアニメとマンガと小説の日々を過ごしていました。本当に幸せな日々でした。アニメとマンガと小説だけで、全く退屈せず何カ月も過ごせる自分を再確認しました。コードとか1行も書かなかったし(←ダメプログラマー)。
それでも、足の調子がよくなってきたら、さすがに仕事をしないわけにはいきません。お金を稼がないと、いろいろとまずいことになるのです。
そんなわけで、次の仕事を探すことになりました。手始めに入院前までお仕事をいただいていた会社に「そろそろ働こうと思うのですけど、お仕事ありますか?」と打診したところ、「じゃあ、戻ってきて」と言っていただけたので、就活は1日で終了しました。
お仕事をいただけるって、本当にありがたいことですね!
そんなわけで、3カ月のブランクを経て、プログラマーに戻りました。アニメとマンガと小説の日々は最高に幸せでしたが、プログラマーに戻ってみれば「プログラミングやっぱり楽しい!」とテンションが上がるわけです。がしがしコードを書いて、定時で帰って、のんびりお風呂入って、しっかり睡眠を取るという、なかなかに楽しくて落ち着いた日々です。
それでふと思ったんです。「プログラマーという職業を選んでいなかったら、今、こんなに穏やかに日々を過ごせていたのかなあ」と。
いろいろと考えてみましたが、どうにもプログラマー以外の職業についている自分が想像できませんでした。この年までプログラマーしかやってこなかったから、もはや他の選択肢が想像できなくなっているのかもしれません。
でも、今、プログラマーの自分しか想像できないのなら、プログラマーになってよかったのだろう、と思います。
プログラマーという仕事はステキです。足が悪かろうが、年を食おうが、それなりの能力を示せば、それなりの道を探せるだけの、多様性があるのです。それなりの厳しさはありますし、誰にでも歩ける道ではないと思うので、誰にとってもステキというわけにはいかないでしょうが。
そう考えると、当時マイナーだったプログラマーという職業を選択した高校3年生の私って先見の明があったなあ、と感心します。「プログラマー? 何それおいしいの?」状態だったのに、プログラマーになると決断した度胸はなかなかのものです。自画自賛です。
そして、プログラマーという仕事を好きになるまで、プログラマーを続けてくれた以前の私はなかなかにがんばったよなあ、と感心します。プログラミングが訳分からな過ぎで涙目な状態を持ちこたえた根性はなかなかのものです。自画自賛です。
「自画自賛ばっかりじゃね〜か」とお思いでしょうが、自画自賛と「週刊少年ジャンプ」を心の糧に生きているので、そっとしておいてください。
そんなこんなで、50歳になってもまだプログラマーやってます。
未来の私が「50歳の時の自分はよくやってくれた」と自画自賛できるように、がんばって働いています。
そこそこ元気で、それなりに幸せです。
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