高木 スタンフォードを卒業した後は、どうなりましたか?
ロイストン氏 実家に近いテキサス州オースティンに引っ越し、デベロッパーとしてIBMで1年半働きました。その後、Trilogyという会社に転職したんですが、そこで最初に担当した仕事が、今でいうセールスエンジニアでした。当時の私は、そんな役割があることさえ知らず、自分はずっとソフトウェア開発の仕事をするものだと思っていたので、最初は断ろうとしました。すると彼らにこう説得されたんです。
「いいかい、君は良い意味でエンジニアとして普通じゃない。強いコミュニケーションスキルがある。技術や製品について正確に理解していて、ビジネス面でも顧客と良いつながりを築ける人材は、いわば『紫のリス(Purple Squirrel)』だ。珍しくて貴重なんだよ」
それで目が覚めましたね。今思えば、“プログラマーからシニアプログラマーになって、プロジェクトマネジャーになって……”という、一本道のキャリアに縛られていたんだと思います。
高木 なるほど。でも、その当時はまだ「エンジニア」だったわけですね。
ロイストン氏 コードを書く技術寄りの仕事でした。その次に、当時CEOだったJoe Liemandtが新入社員を育成するために開いていた「Trilogy University」というプログラムにリーダーとして参加したことが、大きな転機になりました。毎日朝8時から真夜中まで働くようなきつい4カ月間でしたが、その後Joeから「君の仕事ぶりが気に入った。このプログラムを自分から引き継いでほしい」と言われて、人事に異動したんです。
高木 その時、抵抗は感じなかったのですか?
ロイストン氏 確かに、技術の仕事から離れたくなかったので、最初はその話を断りました。
当時、Javaが新しく出たので、彼に「今は異動できません。Javaを習得したいので」と言ったら、彼に「プログラミング言語を習得した経験があれば、新しい言語も学びやすい。異動先の仕事がうまくいかなかったら、いつでもエンジニアに戻っていいから、それからでも遅くないんじゃないのかい?」と言われ、「まあ、確かに、そうですね」と、うまく丸め込まれてしまいました。それから今日まで、とうとうJavaを学ばないまま来てしまいましたが……(笑)。
高木 実際、エンジニアから人事に転身してみてどうでしたか?
ロイストン氏 異動したばかりのときは、「私は一体ここで何をしているんだろう」と思っていましたが、結果的には最高の仕事になりました。
他の業界と違い、ソフトウェア企業にとっては、成功の決め手も、何より重要な財産も「人」だという貴重なレッスンを得たからです。どこでもいいので、ソフトウェア企業のP/L(損益計算書)を見れば、年間経費の60〜80%は、従業員の人件費が占めているはずです。
私はすっかり人事の仕事に魅了されて、合計で10年間、TrilogyからFreescaleという企業に転職した後も、人事の仕事を続けました。
高木 そこからどうやって、経営改善(turnaround)専門のCEOになったのですか?
ロイストン氏 2008年に、Joeが「Trilogyに戻って、経営改善専門のCEOをやらないか」と声を掛けてきたんです。彼はちょうど、M&Aで8社目を買収したところでした。
私は、これから人事の道を究めようとしていたので、当然断りました(笑)。そうすると彼はいつもの調子で、「まあ、人事の仕事はいつでもできるじゃないか。新しい仕事がうまくいかなかったら、いつでも戻ればいいよ」と言うんです。結局そのオファーを受けて、2009年には、最初の会社のCEOになっていましたね。
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