全米屈指の経営改善のスペシャリストとして知られ、テニス選手としても活躍する、OptivaのCEO、Danielle Royston(ダニエル・ロイストン)氏。世界を飛び回る彼女は、もともと経営者になりたかったわけではなく、「エンジニア一筋」のキャリアを目指していた――そんな彼女が語る転身のきっかけと、全てのエンジニアに向けたメッセージとは?
グローバルを股に掛けたキャリアを築いてきたIT業界の先輩にお話を伺うインタビューシリーズ。今回はGo Abekawaに代わり、編集部の高木がテレコム企業向けBSS(Business Support System:ビジネスサポートシステム)を扱うカナダ企業「Optiva(旧社名:Redknee Solutions)」のCEO、ダニエル・ロイストン(Danielle Royston)氏にお話を伺う。
ロイストン氏がCEOに就任して以来、Optivaは、オンプレミス中心だったBSS製品をクラウド化。この活躍が評価され、同氏はSaaS業界の女性トップリーダーベスト50の6位にランクインしている。
編集部、高木理紗(以下、高木) 今日はよろしくお願いします。まずはエンジニアになる前から始めたいんですが、あなたはどんな子どもでしたか?
ロイストン氏 子どものころは、頑張り屋でしたね。水泳とテニスをやっていて、勉強にもスポーツにも熱中していました。
高木 コンピュータには、当時から興味があったんですか?
ロイストン氏 1982年、私が12歳のとき、父が家にAppleの「IIe」を買ってきたんです。それが初めてのPCでした。
そのPCで、私はアスキーアートのような絵を描くことにはまり、独学でBasicを学びました。プログラミングは学校の勉強よりも楽しかったですね。何というか、奥が深くて。大学に進学するころには、自分は本当にプログラミングが好きだと気付いていました。それで、スタンフォード大学のコンピュータサイエンスに進みました。
高木 当時、コンピュータサイエンスに進む女性は少なかったのでは?
ロイストン氏 本当に少数派でした。卒業式の日でさえ、周囲の男性に「君、本当にコンピュータサイエンス専攻だったの?」と何度も聞かれました。私は女性でしかもメキシコ系でしたから、特に珍しがられたんだと思います。
ただ幸運なことに、私は、コンピュータサイエンスや数学で修士や博士の学位を取った母方の叔母たちを見て育ったので、自分の進路は不可能でも変でもないと分かっていました。
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