医療分野におけるブロックチェーン利用を推進する、国立保健医療科学院 研究情報支援研究センター長の水島洋氏に、日本での実現可能性や今後の展望を聞いた。
この記事は会員限定です。会員登録(無料)すると全てご覧いただけます。
これほどまでに、ネットワークによる高度な情報化が進化した現代社会だけに、病院のサーバなどに保存されている自身の医療情報(治療歴、検査結果、薬歴など)にアクセスできるようにならないものかと、思うことがある。還暦を過ぎ医療機関のお世話になる機会が多くなっているだけに、そういうことを考えてしまう。
例えば、筆者の場合、数年前の検査で見つかった肝臓の数値悪化を契機に、以後、飲酒を最小限にとどめ、定期的に検査を行っている。数値の推移をさかのぼりつつ、安心して飲酒(?)できる日を楽しみにしているのだが、今は、受診の際、担当医に手渡された検査結果の出力紙をスマートフォンのカメラで撮影しEvernoteにアーカイブしている。このような手間をかけなくても、自身の医療情報が一元的に蓄積されているクラウドのような領域にアクセスすることで、情報をいつでも閲覧できるような仕組みがあって然るべきだと思うのだ。
例えば、公的年金の過去記録を閲覧できる「ねんきんネット」。ここでは、学校卒業後の23歳以降、所属した組織名が一覧できる。途中、自営業として国民年金に切り替わった期間もあるなど、過去の自分を一気に振り返ることができ、いろいろな感情が去来する。「これまでの保険料納付総額(総合計)」なども分かるので、ならば健康で長生きし、この合計額以上は受給してやろう、という気持ちにもなる。これと同様に、医療情報の過去ログを一覧する仕組みがあれば、少なくとも自分自身の健康に対する意識は高まるのではないだろうか。
このような、誰もがアクセス可能な医療情報のデータベースを、ブロックチェーンを利用して構築する動きがある。ご存じのように、ブロックチェーンとは、分散型台帳技術で、ビットコインのような仮想通貨の運用基盤として誕生した。最近では、仮想通貨だけではなく、「改ざん耐性を備えた高セキュリティのデータベースや処理システムを低コストで構築できる」点に注目が集まり、ビジネスの分野においても、導入に向けた動きが活発化している。
医療分野におけるブロックチェーン利用を推進するのは、国立保健医療科学院 研究情報支援研究センター長の水島洋氏。水島氏は、ブロックチェーンの医療分野への活用を、前述のような国民の医療情報管理にとどまらず、「医療品のサプライチェーン、薬事申請、医療機器の保守、管理やデータ認証、患者の研究参加、医療費の支払いといった分野で導入すべき」と訴える。
ただ、ブロックチェーンにこだわらなくても、ねんきんネットや「マイナポータル」のように、既存のデータベースの上に、患者自身でアクセス可能とする仕組みを作り込めば事足りるように思うのだが、それでは不十分なのだろうか。「確かに、既存のシステムに対し国民のアクセス権を付与する、という考え方もある。しかし、従来型の中央集権的なデータベースの仕組みだと、特定の管理者に全権を委ねることになり、コンセンサスを得にくい。国民自身が医療情報を自律的に管理可能な仕組みを構築することを視野に入れたら、ブロックチェーンへの期待は高い」(水島氏)という。
「医療情報を自律的に管理する」というのはどういう意味であろうか。「治療歴、検査結果、薬歴に加え、スマートフォンやウェアラブル端末で取得した心拍や運動量といった日々のヘルスケア情報などを自ら管理し、自分の判断で、それを主治医に提供したり、紹介先の病院などに開示したりすることができる」仕組みがそれに当たる。
つまり、このようなシステムにブロックチェーンを導入することの最大の強みは「透明性と安全性に尽きる」(水島氏)のだという。自分の医療情報にどの機関がいつアクセスしたのか、といったことが全て記録され、それをポータルサイトで確認できるようになる。そして、その記録自体、不正に改ざんが行えないので、国民も自分の医療情報を安心して預けることができるというわけだ。
確かに、個人情報の扱われ方に敏感な日本国民にとってブロックチェーンは最適解なのかもしれない。例えば、マイナンバー導入におけるプライバシー議論を思い出してほしい。マイナンバーに反対する人々の理由に、行政機関からの情報漏えいや個人のプライバシー侵害といったものがある。データベースの閲覧が全て記録され、サイバー攻撃に対し高い堅牢(けんろう)性を備えるブロックチェーンであれば、このような懸念に対し一定の解決案を提示できるのではないだろうか。
これは、余談だが、2017年の春、総務省の高官にインタビューした際、「政府そのもののスマート化(行政手続きなど)にブロックチェーンを導入する」という議論があると教えてくれた。仮にこれが実現すれば、自衛隊日報問題、森友、加計問題、桜を見る会などにおける、文書やデータの隠蔽(いんぺい)、改ざん、捏造(ねつぞう)が事実上不可能になるか、全て記録されることになり、政治や行政の分野でも極めて高い透明性が確保されると期待される。ただ、その場合も一部の政治家は「(ログの)内容を明らかにすれば、不正侵入などを助長する恐れがある」と逃げるのかもしれないが……。
医療情報システムにおけるブロックチェーンの成功事例がある。エストニア共和国だ。この北欧の小国における電子政府の成功事例はあまりにも有名だ。行政全体をITにより管理する仕組みにおいて、ブロックチェーンを導入しているという。国民は、このインフラの上で、eID(国民識別番号)カードを、EU域内の身分証明、公的身分証明、運転免許証、健康保険証、電子投票時の投票券、会社の登記などの証明書として代用できるそうだ。
同様に全国の医療機関のシステムもこのインフラに接続されており「医療記録、患者の来院履歴などが、全国どのような病院からも閲覧可能」(水島氏)という。さらに、2015年からは、省庁をまたぐシステム連携も実施されており、自動車免許の更新時に電子カルテの認知症情報を参照するといった利用例もあるという。このように、国民が政府を信頼して自分の情報を預けている背景には、ブロックチェーンの透明性と堅牢性にその一端があることは間違いない。
ただ、良いことずくめではないようだ。というのは、ブロックチェーンは、データの消去や訂正を行うと、それらの行為も全て記録されてしまうからだ。例えば、過去の病歴や診療履歴などの中には、人によっては消去して忘れてしまいたい事例を抱えている場合もある。ただ「そのような情報は、自分だけしか閲覧できないように設定することも可能」(水島氏)だという。配偶者にも見せたくない情報があれば、それもマスクすることが可能だそうだ。
エストニアの電子政府の話をすると、必ず出てくる反論に「人口規模が違い過ぎる」というものがある。1億2000万人の日本に対し、エストニアは、132万人だ。だが、これについても「システム構築に人口規模は関係ない。サーバの容量やIDの桁数が多くなるだけの話で、日本でも同様のことは可能だと思う」(水島氏)と反論する。
ただ、ビットコインのインフラという意味もあり、ブロックチェーンには、負のイメージが少なからず付いて回る。投機の対象であるが故の乱高下、マイニング競争における電力消費などが問題視される。
最近では、環境意識の高まりから電力消費が批判にさらされることが多い。ケンブリッジ大学が公表したビットコインの電力消費に関する報告では、「毎時2万863テラワット」を消費しており、これは世界の電力消費の0.4%(推定)を占めているという。驚いたことにフィンランドやパキスタン一国の年間の電力消費と肩を並べるレベルだという。
このような負のイメージについて水島氏は、「ビットコインのようなパブリック型のブロックチェーンではなく、許可されたものだけがノードを接続できるプライベート型の構築を目指している。プライベート型であれば、情報の共有範囲を限定したシステムの構築が可能となり、効率化が実現可能なのでマイニング競争もなく、今のビットコインに付きまとう、負の面は、払拭(ふっしょく)可能」と約束する。
では、ブロックチェーンによる医療データベースはいつ実現するのだろうか。
現状は、医療機関などからの情報を集めるための標準化が厚生労働省で検討されている段階だという。ただ、マイナンバーのように行政が国民の情報を一元的に集約することへの抵抗感が強いだけに、エストニアのような形で医療データベースを構築するのは、この国ではかなりハードルが高いのは事実だ。実は、「現在の個人情報保護法の下でも、国の組織が全国民の医療情報を同意なく実名入りで集めることは可能ではないだろうか」(水島氏)とのことだが、「国民の反発を怖がって、その先の一歩を踏み出せない」状況だという。
現状、学術系の分野で医療ブロックチェーンに積極的な姿勢を示しているのは、水島氏をはじめする一部の関係者だけだそうだ。多くの医療関係者がこの分野に関心を持ち、国民が自らの医療情報を安心して預けることができるインフラが整うことを期待したい。
音楽制作業の傍らIT分野のライターとしても活動。クラシックやワールドミュージックといったジャンルを中心に、多数のアルバム制作に携わる。Pure Sound Dogレーベル主宰。ITライターとしては、講談社、KADOKAWA、ソフトバンククリエイティブといった大手出版社から多数の著書を上梓している。また、鍵盤楽器アプリ「Super Manetron」「Pocket Organ C3B3」などの開発者であると同時に演奏者でもあり、楽器アプリ奏者としてテレビ出演の経験もある。音楽趣味はプログレ。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.