インターネットはこうして誕生した−−「何をやっても新しく、何をしても怒られた」Inside-Out

日本で最初に商用のインターネット接続サービスを提供した「IIJ」。提供開始まではさまざまな苦労があったようだ。そこで、当時の現場を熟知する2人の技術者にお話をうかがった。

» 2023年05月01日 05時00分 公開
[IIJ]

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インターネットはこうして誕生した インターネットはこうして誕生した
IIJのイノベーションと言えば、日本で最初に商用のインターネット接続サービスを提供したことが挙げられる。そこで、当時の現場を熟知する2人の技術者、浅羽登志也さん、三膳孝通さんに、黎明期のIIJについてうかがった。

IIJ

本記事は、株式会社インターネットイニシアティブの許可をいただき、「IIJ.news Vol.173(2022年12月号)」の「技術者対談」を転載したものです。そのため、用字用語の統一ルールなどが、@ITのものと異なります。ご了承ください。


執筆者プロフィール

浅羽 登志也 氏

浅羽 登志也
IIJ 非常勤顧問
1992年12月、IIJ入社。バックボーンネットワークの構築、経路制御、他プロバイダとの相互接続などを担当。98年よりクロスウェイブ コミュニケーションズ執行役員を兼務、広域LANサービスの開発を指揮。2004年6月、IIJ取締役副社長。08年にIIJイノベーションインスティテュート(IIJ-II)を設立し、同代表取締役社長を兼務。09年、IIJ副社長を退任。15年8月、IIJ-II取締役。22年2月、IIJ-IIのIIJへの吸収合併を経て現職。現在、軽井沢在住。

三膳 孝通 氏

三膳 孝通
IIJ 技術主幹
1993年4月、IIJ入社。インターネットサービスの立ち上げ、サービス設備の運用、サービス開発などを担当。2004年4月、IIJ取締役戦略企画部長。10年4月、同常務取締役技術戦略担当。12年6月よりJPNIC理事。15年6月より現職。総務省などの研究会に数多く参加。テレコムサービス協会の企画広報委員会長、業界団体の理事や委員なども務める。


インターネットの歴史

 今や電気や水道などと同様、社会の重要なインフラとなっているインターネットであるため、もはやインターネットがなかった時代があったことなど想像できない人も多いかもしれない。

 だが、その歴史は比較的新しく、1960年代から始まった、米軍が核兵器にも耐えられる通信方法として開発を行ったパケット通信技術がベースとなっている。パケット通信技術とは、データを小さな単位に分割して送受信し、複数の経路を使って通信を行うことで、回線が切れてもデータが失われないため、核兵器にも耐えられるとされたためだ。

 米国の国防総省の研究機関であるARPA(現在のDARPA)が開発したARPANETというネットワークで実用化された。ARPANETは、1970年代に米国内の大学や研究所などに接続され、コンピュータ間の通信や情報共有が可能になった。

 その後、1980年代には、現在のインターネットでも標準となっているTCP/IPが採用された。これにより、ARPANETや欧州のEUnet、日本のJUNETなどのネットワークが相互接続され、インターネットが構築されたわけだ。

 しかし、この時点では政府機関や大学、研究機関、一部の企業などに限定されたある意味閉じたインターネットであった。

 これが一般に広がるきっかけは、1990年代に登場したWorld Wide Web(WWW)である。WWWを閲覧するためのWebブラウザとして「Mosaic(モザイク)」が開発された。

 日本ではIIJが、インターネットの商用サービスを開始し、Windows 95がインターネットへ接続する機能を搭載したことで、個人でもインターネットを利用することが可能になった。

 ただ、IIJがインターネットの商用サービスを開始できるまでは多くの苦労があったようだ。その苦労については、以降の対談で明らかにされている。

(デジタルアドバンテージ)

主な出来事
1958年 ARPAが設立される
1969年 ARPANETの運用開始
1973年 Xeroxパロアルト研究所がEthernetを発明
1976年 AT&Tベル研究所がUUCPを開発
1979年 UsenetがUUCPで接続開始
1982年 ARPANETが通信プロトコルとしてTCP/IPを採用
1984年 日本でJUNETの運用開始
1986年 JUNETが海外接続を開始
1987年 商用インターネットサービスプロバイダー「UUNET」を設立
1988年 日本でWIDEプロジェクトが発足
1990年 ARPANETが終了
1991年 CERNのTim Berners-Lee氏がWord Wide Webを開発
1992年 Windows 3.1がリリース
1992年 日本初のインターネットサービスプロバイダー「IIJ」設立
1994年 Netscape CommunicationsがNetscape Navigatorを発表
1995年 Windows 95がリリース
1998年 Windows 98がリリース
インターネットの主な歴史


「何ですか、インターネットって?」

―― お2人は"20世紀最後のイノベーション"と言われるインターネットを、日本でも企業や個人が使えるように汗を流したエンジニアの草分けですが、IIJが創業した当時の状況は、どんな感じでしたか?

三膳:そもそもインターネットが、通信手段としても、それを提供するビジネス業態としても、存在していませんでした。それまでの日本では、通信はちゃんとした企業が“A to Z“で品質を確実に保証して提供するものだった。一方、インターネット通信は“end to end“しか定義できないので、品質保証もできない。「何ですか、インターネットって?」と言われてしまう時代でした。

浅羽:何をやっても新しく、何をしても怒られた(笑)。

三膳:IPという通信プロトコルは、技術的にはメールでも音声でも、種類を問わずなんでも載せることができますが、その自由さが当時の日本では、「これって、まずいのでは?」と言われました。なぜなら、「データ通信はデータだけで、音声や動画を同じプラットフォームで流してはいけない」という国際的な取り決めがあったからです。

今でも覚えていますが、クリントン大統領(当時)の官邸WEBサイトに、Socksという飼い猫が紹介されていて、名前をつつくとニャーと鳴いたのですが、「猫の声は音声だから載せてはダメ」と、一部の人たちのあいだで騒ぎになったりしました(笑)。

在りし日のSocks 在りし日のSocks
写真は「File:Socks the Cat Explores.jpg」(Wikipedia)より。

浅羽:従来、国際通信は二国間協定を締結した国同士で行なわれていましたが、インターネットは「アメリカにつながれば、世界中につながります」という触れ込みだったから、それまでのルールのままだと、僕ら(IIJ)としてはすごく苦しいわけです。結局、二国間協定を全ての国と結ばなくてよくなり、それは幸せなことでした(笑)。国際通信のルールが昔のままだったら、今のようなインターネットは実現しなかったでしょうね。

三膳:アメリカのAT&T社は必要なライセンスを持っていたからサービス追加でよかったけど、IIJは何もないところからのスタートでした。

浅羽:僕は、「日本でインターネットプロバイダのビジネスを始めるための調整は問題なく進んでいる」と言われて、IIJに来た。でも実際は、通信事業を始めるために必要なライセンスも、資金もIIJにはなかったのです!

当時のドキュメント 当時のドキュメント

三膳:「もうサービスを始めるから、急いでIIJに来い」と言われたのが、たしか1992年の夏か秋。それで慌てて前の会社の仕事を片付けて、1993年3月に「来月からお願いします」と挨拶に行ったら、「カネがないから、まだ来るな!」って(笑)。

浅羽:(すでに入社していた)僕らは「やばい、三膳君が来ちゃうよ。お金もないのに……」と大騒ぎしていました(笑)。

―― 鈴木会長の著書『日本インターネット書紀』には「無給を覚悟で」とありましたが……。

三膳:仕方ないよね。(お金が)ないならないで。僕は大学院時代から学術目的だったインターネットの運用に関わっていたのですが、「目的を限定しない、みんなが使えるネットワークをつくる」というプロジェクトを「楽しそうだなあ」と思っていた。つなぐ先を自力で見つけないと入れない、設備の空きがなければ入れない、そういうネットワークじゃないほうがいいなあ、と。 「誰もがインターネットを使えるようにする」というのはとても輝いて見えました。IIJには「給料の心配はない」って言われたんだけど(笑)。

浅羽:さすがに「無給」は覚悟してなかったけど、とにかく面白かったんですよ。可能性を信じるとか、そんな大げさなことじゃなくて。

アメリカではインターネットが先に普及していて、「日本もインターネットをやればいいのに、当然やるよね?」と、ずっと思っていた。当時、OSI(Open Systems Interconnection)や学術情報ネットワークなど、国の施策として整備される"インターネットふうの"ネットワーク構想はありましたが、僕らの活動はまったく草の根的でした。もちろん対抗意識はありましたよ。シンプルなプロトコルで誰とでも簡単につながることができて、こんなに便利なものがあるのに、なんで使わないの! と。

三膳:あの頃のIIJには何もなかったけど、不思議と悲壮感はなかったよね。

浅羽:やることはたくさんあったから。実験したり、勉強したり、それをセミナーで話してお金を稼いだり。

三膳:もちろん情シスなんてないから、自分のパソコンはパーツを集めてきて組み立てて、ネットワークケーブルや電源ケーブルも自作して、各々、段ボールや袖机のうえに乗っけて、仕事をしていた。

浅羽:でっかいCRT(ディスプレイ)の箱を机にして(笑)。

三膳:約款もみんなでつくったね。読み合わせして、TeXで書く作業を何度も繰り返して。ひな形なんてないし、僕らは法律も知らないから、「なんで約款がいるのかなあ?」ってところから始めた。

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