Huaweiの新しいスマートフォン「Mate 60 Pro」は、衛星通信に対応するなど、意欲的なものとなっている。カナダの調査会社が、この「Mate 60 Pro」を分解、中国国内で製造した「Kirin 9000s」というプロセッサを搭載していることを明らかにした。中国製造の「Kirin 9000s」が意味するところ、そしてその後の方向性について、筆者が想像たくましく考察してみた。
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「Proud to be Nasdaq Listed(ナスダック上場を誇りに思う)」というタイトルのメールが届いていた。Armのニュースレターである。ソフトバンクグループ傘下の半導体設計会社「Arm」の再上場を知らせるものだ(Armは、ロンドン証券取引所とニューヨーク証券取引所に上場していたが、2016年にソフトバンクグループが買収、上場を廃止していた)。
頭脳放談「第261回 NVIDIAによるArm買収の破談、その間にRISC-Vの足音が……」でも書かせていただいたが、NVIDIAによるArm買収が各国の規制当局などの反対もあって頓挫した後、方針転換しての再上場である。売り出しは成功ということだろう。それにつられてソフトバンクグループの株価も上昇し、ひいては日本株全体にも好影響というのだから立派なものである。
しかし、一般には依然として「Armって何?」的な扱いは変わっていないようだ。どうも「AI=NVIDIA」という刷り込みが浸透したためか「NVIDIA向けにCPUを売っている半導体会社」みたいな認識もあるように見える。間違いではないが、どこまでArmを理解しているのか怪しい。今も昔もArmのメイン市場といえば「スマートフォン(スマホ)」で、そのうえArmは「設計会社」なのだが……。
さて、そのスマホ市場でだが、中国国内市場向けの「謎の製品」が話題になっている。Huawei(ファーウェイ)の「HUAWEI Mate 60 Pro」という機種である。
米国政府にたたかれて、国際舞台から引っ込んだ形のHuaweiの中国国内向け製品が注目を集めるのは、それが搭載しているSoCが理由である。「Kirin 9000s」という。
現在、米国政府が行っている、先端半導体製造技術の中国移転や先端半導体の輸出規制は厳しく、Huaweiとその傘下の半導体会社「HiSilicon(ハイシリコン)」は、台湾の半導体製造会社「TSMC(台湾積体電路製造)」で製造していた先端半導体製品の調達を絶たれていたからである。
そのため、5G対応機種の量産は難しいのではないかと予想されていた中で、出てきた新機種である。当初、規制前の在庫をやりくりして出してきたのではないかともうわさされていたようだ。
ところが、カナダの調査会社「TechInsights」がそのスマホを手にいれて分解し、中国の大手ファウンドリ「SMIC(Semiconductor Manufacturing International Corporation)」の製造だとするレポートを出したことで一気に話題になったのである。
中国国内では米国の規制を打ち破って、先端プロセスの量産に成功したとして大盛り上がりであるようだ。ただし、HuaweiもHiSiliconも、SMICも今のところ、このKirin 9000sについては公式なプレスリリースは一切出していない。中国国内の報道でも国外の報道を引用するような形が多い。
この「Kirin 9000s」であるが、完全な新製品というわけでもない。オリジナルのKirin 9000は、規制前にHiSiliconが設計し、TSMCの5nmプロセスで製造されていたオクタコアのSoC製品である。当然のことながら、Arm Cortex-Aシリーズを搭載し、3種の異なるArmコアを併用している。
これが米国の規制によりTSMCで製造できなくなってから、3年ほどたっている。それが中国国内のファブで製造できるようになったというのだから、米国の規制を打ち破ったと中国国内で熱狂する向きがあるのもうなずける。「3年遅れに迫った」と。
ただし、間接的な情報からはTSMCの5nmより、若干劣る7nm相当ということだ。Armコアの構成に変更はないが、周辺回路は新設計されている部分があるという。SMICプロセス上でHiSiliconが設計し直している、ということだろう。
筆者はプロセスの専門家ではないので判断がつかないのだが、製造装置の輸入で締め付けられているSMICだが、保有している製造装置を駆使すれば、製造できるレベルではあるらしい。ただ、無理をして作っているとすると、イールド(収率)が落ちる(大量には出荷できない)のではないかと思うのだが、一般に販売されるMate 60 Proという製品に搭載されていることから、イールドやコストを度外視して作ったチャンピオンチップ的なものでもなさそうである。
今回のチップには、SMICが規制のかかっているオランダの「ASML」の製造装置から脱却すべく、独自に研究をしているらしいリソグラフィ装置が使われたわけではなさそうだ。しかし、中国国内では自前装置への今後への期待が大きいようである。リソグラフィ技術も自国内で確立すれば、米国の包囲網を完全に断ち切れるという期待だ。
さて、そのSMICだが、シリコンファウンドリとしてはTSMC、Samsung、UMC、GlobalFoundriesに次ぐ5位に位置している。売り上げ的には、TSMCがダントツで、2位のSamsungはその半分にも満たないが、Samsungは自社ブランド製品も持っているのでファウンドリ専業ではない。
その下のUMCとGlobalFoundries、そしてSMICは売上的には近くて3位グループという感じである。SMICは21世紀初頭の創業だ。
そういえば、創業間もないときに、上海のSMICの工場へ見学に行ったことがあったことを思い出した。視察団の末座でできたばかりの新鋭工場を見てまわったのだ。建屋はできていて、一部のラインは既に量産に入っていたが、まだ製造装置の据え付けなど拡張作業が続いていた。
当時の日本の半導体産業は、今ほどショボくれていなかったが、バブル崩壊後10年以上経過し、なかなか思い切った設備投資もできなくなっていた。そこで「新興の中国ファブのご利用はいかがですか?」という売り込みの一環での見学だった。景気のいい話がなかった当時の日本半導体と比べると、イケイケどんどんというすごく前向きな感じだったことだけは覚えている。
しかし、その当時から先端技術が中国に渡らないようにするという米国の意思はあり、最先端からすると2世代くらい前のプロセスしか作れなかったはず。以来20年、その規制の打破に臥薪嘗胆(がしんしょうたん)してきたはずである。どこまで迫ってきたのか恐ろしい感じがする。まあ、内情を正直に言わない、情報を出さないということ自体が、その恐ろしさを演出することになると分かっているのだと思うが。
ここでKirin 9000sに戻ろう。あくまで米国の包囲打破、を狙う場合を想像してみよう。プロセスは「できそうだ」(実際の内情はどうだか分からないが)、となったら次は何か?
筆者だったらArmコアはマズイと思う。Armは今も英国の会社だが、そういまやNasdaq上場会社なのだ。英国ケンブリッジにある本社を動かすことはないと思うが、このところの状況をみると、米国へ重心が移動ギミであるかのようにも思える。米規制当局により締め付けられる可能性は中国側も当然認識しているだろう。
というより、反対の立場なら中国は確実にそうするだろう。当然、自立を目指すことになる。自然な流れとしては、中国国内設計のRISC-Vコアという選択肢が最有力と思われる。中立国スイスに組織があるRISC-Vインタナショナルがオープンな仕様のみ管理しているRISC-Vベースで国内設計、国内製造であれば完全に自立可能だからだ。
そういう点で、Kirin 9000sというのは、既存の設計ベースを一部流用してプロセスの出来を確認するための習作的なもの、という位置付けなのかもしれない。本命はさらに改良したプロセス上の完全自立の設計であると考えていてもおかしくない。
当然ながら、かなり費用がかかる大プロジェクトである。しかし、かの国の思考回路的に、先端半導体が安全保障上の重点項目であるとなれば、最近の不動産バブル崩壊の処理や大水害の復旧に目をつぶってでもお金を回すことだって考えられる。
電子デバイスが自国内で製造できないがために、グダグダなロシアの軍需産業などを見れば、中国はその轍(わだち)を踏まないと決意しているに違いない。Kirin 9000sは「つなぎ」なので、「謎」のままでいいと思っている可能性もある。多分、本命がその後ろに隠れているのだ。
それ(筆者の妄想の産物かもしれないが)が出てくると、ここ20年ほど続いたスマホのArm独占に風穴があく可能性さえある。迎撃するArmには頑張ってもらわないとならない。ニッポンの株価まで背負っていることが明らかになってしまったのだから(笑)。
日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス マルチコアプロセッサを中心とした開発を行っている。
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