第261回 NVIDIAによるArm買収の破談、その間にRISC-Vの足音が……頭脳放談

NVIDIAによるArmの買収が取りやめとなった。買収発表から約1年半、Armの周辺にはさまざまな動きがあった。その1つがArmの対抗となるRISC-Vの台頭だろう。なぜ、買収が破談となったのか、なぜArm対抗としてRISC-Vが注目されているのかをまとめてみた。

» 2022年02月18日 05時00分 公開

 2020年9月にNVIDIAによるArmの買収が発表されてから、各国の規制当局が審査を行っていたが、どこも厳しい結果になりそうと報道されていた(NVIDIAのArm買収に関するプレスリリース「NVIDIA、Armを400億米ドルで買収」)。この暗雲たなびいていたNVIDIAによるソフトバンクグループ傘下のArmの買収が、ついに取りやめとなった。

 2022月2月8日にNVIDIAとソフトバンクグループによる契約解消のプレスリリースが出ている(ソフトバンクグループのプレスリリース「NVIDIAによるArm株式取得の取りやめ、Arm上場へ」)。今後はArmの株式上場を目指すそうである。

 プレスリリース文を読めば、両者の間に対立が生じたわけでなく、依然両者の関係は良好と読める。NVIDIAがソフトバンクグループに支払った先払い金は返金されることなくソフトバンクグループおよびファンドの利益として計上されるとのことだ。その代わりNVIDIAは20年の間、Armを使える権利を得たらしい。

なぜNVIDIAのArm買収は解消されたのか

 解消に至った理由は、「規制上の大きな課題」と書かれている。詳しいことは書かれていない。ことここに至って原因をあれこれ探っても後の祭りである。しかし、あえて妄想たくましく、やじ馬根性で考えるに、主要国の規制当局、そして買収の影響をモロにかぶることになる半導体各社を見渡して、賛成しそうな組織が見当たらなかったのが原因だろう。新型コロナの影響もあると思うが、規制当局の審査が1年以上もかかっている点にも、この買収劇の難しさが透けてみえる。

 まず、Armの本拠地の英国の規制当局からすれば、米国の半導体企業の傘下になることで先々英国における雇用や税収が減少するのではないかという恐れを持っていたのではないだろうか。また、Armが英国ケンブリッジに本拠を置いていることで、英国で関連企業が多数創出されてきた。その流れが止まる懸念も抱いたのだろう。

 目を欧州に転じると、Armコアを使ったマイコンを主力製品としている欧州の半導体企業(例えばNXP SemiconductorsやST Microelectronicsなど)は、彼らとは方向性の異なるNVIDIAにArmが買収されると、自分らのビジネスからArmが離れしまうのではないかという懸念を抱いたに違いない。

 一方、米国国内の半導体各社、例えばAMDやIntelなどのNVIDIAと競合関係にある会社、もちろんQualcommを筆頭とするArmコアを使っている会社も、NVIDIA傘下のArmというのは悪夢だろう。NVIDIAのGPUとArmのCPUが合体したら、まとめてバッサリやられるのではないか、NVIDIA+Armで業界独占されるのではないかと想像するのは当然だろう。

 新型コロナウイルスのせいで、世界の産業の死命を握っているということがあぶり出された感のある、半導体業界における両社のシェアの高さを考えれば各国の規制当局が待ったをかけたくなったとしても想像に難くない。

 当局の中で、本音が少し違っていそうなのが中国だ。いまや米中半導体戦争の真っただ中である。Armが米国企業ということになったら、誰かの一声でArmが米国の武器になって飛んでくることを恐れたとしても不思議ではない。中国が製造している各種製品の中にはとてつもない数のArmコアが含まれているはずだ。米国企業になることだけは阻止したかったに違いない、と勝手に妄想している。

中国の合弁会社「Armチャイナ」の反乱も

 うまくいかなかったNVIDIAによるArmの買収だったが、その買収話が進展しているまさにその横で、内憂外患がArmを襲っていた。内憂(いまや外患なのかもしれないが)は、中国の合弁企業「安謀科技(Armチャイナ)」が、Arm本社のコントロールを離れ暴走した(している)一件である。Armチャイナが、中国国内でのライセンス権を持ったまま独立を宣言してしまったのだ。

 報道されている断片的な経緯を読むと、昭和の時代にあった日本の田舎の同族企業によるドタバタ劇を見ているようだ。まっとうな資本主義国のそれも大企業の企業統治からするとあり得ない経緯である。日本ではあまり報道されていないがハッキリいってソフトバンクグループ傘下のArmに起こった最大のやっちまった案件、もしかするとNVIDIAによる買収が流れた件より後々Armに対するダメージは大きかったのではないか。

 この問題が起こるまで、ArmはIP(知的財産権)のトップ企業として自社IPの管理には非常に注意を払い、世界中をほころびのない権利関係で覆う努力を続けてきた。そこに蟻の一穴どころか、大穴を開けてしまった事件なのだ。そして勘繰れば、ここにも米中のあつれきが影を落とす。

Armの対抗としてRISC-Vに注目が集まってきている

 ドロドロした内憂に比べると、外患の方がカラリとして分かりやすい。それはここに来ての「RISC-V」の人気ぶりだ。頭脳放談「第256回 AppleもRISC-Vのプログラマーを募集 ところでRISC-Vってどんなプロセッサ?」で取り上げたAppleの件といい、最近Intelがファウンダリサービスと連動するファンドを発表した件といい、Armがドタバタしている間に、流れがArmからRISC-Vへ移ったのではないかという雰囲気が盛り上がっているのだ(Intelのプレスリリース「Intel Launches $1 Billion Fund to Build a Foundry Innovation Ecosystem」)。

 何でも海のものとも山のものとも分からないころは、様子見をしている人が多い。しかし、メジャーな名前が登場し、お金の匂いがしてくると、我先にどっと参入してくるものなのだ。個人的には、ここ数年でRISC-V関連ビジネスが指数関数的に増える時期を迎えるのではないかと予想している。

 RISC-VでのIPビジネスのスタンスはArmの場合とはだいぶ違う。Armの場合、命令セットアーキテクチャを決めるのはArm自身であり、コアのIPを設計するのも基本Armである。ライセンシーに改変権が認められるのは例外的だ。

 一方、RISC-Vの場合、一定の費用を支払えば、誰でも参加することができる「RISC-V International」という団体が、命令セットアーキテクチャを決めている。「RISC-V InternationalのWebページ」を開けば分かるが、ファウンダリサービスに力を入れているIntelが最上位ランクのメンバーに名を連ねるようになった。そしてそのかたわらにはGoogleの名もある。

 命令セットアーキテクチャそのものにライセンスの縛りはないので、規格化されたものをユーザー自ら実装することも可能だ。

 しかし、コストパフォーマンスのよいCPUコアを設計するのはなかなか難しい。多くの会社は専門のIP設計ベンダーからRISC-Vの実装設計を買うことになるだろう。そのRISC-V業界というべき業界で、中心的な位置にいるのが「SiFive」という会社だ(SiFiveについては頭脳放談「第254回 IntelがRISC-Vに急接近、でも組み込み向けは失敗の歴史?」も参照のこと)。ここはRISC-Vの源流であるUCバークレー(University of California, Berkeley)系の人々が多く参加しているらしい。2021年、IntelがSiFiveを買収しようとしたが、会社の方針自体が異なるようで買収には至らなかったようだ。まぁ、Intelが買収したらNVIDIA傘下のArm的にみんなに嫌われたかもしれないのでよかったが……。

 しかし、SiFiveはメジャープレイヤーではあるが、Armのように1社でこの規格を決めているわけではない。他にもRISC-Vコアの開発に乗り出している会社は多い。それどころか、かつての有名どころが夢を再びとこぞって参入してきている。Arm向けのGPUで一時は非常にいいビジネスをやっていたが、その後Armが自社のGPUを出して凋落(ちょうらく)したImagination TechnologiesもRISC-Vに参入した(同社については頭脳放談「第206回 ImaginationはAppleに捨てられ会社を売る?」も参照)。

 また、一時はそのImagination傘下に入っていたRISC業界の老舗であるMIPSも複雑な経緯の後でやはりRISC-Vに再起をかけているらしい(頭脳放談「第250回 数奇な運命をたどる『MIPS』は『RISC-V』で復活を図る?」参照のこと)。同じ命令セットアーキテクチャに複数の実装ベンダーが百花繚乱(りょうらん)状態になりそうだ。当然ベンダー間の競争は激しく、IPを買う側からするとコストパフォーマンスの高い設計を選び放題、ということになる「かも」しれない。まぁ、最終的には1社か2社に落ち着くような気がするが。

 現状、日本でサンプルを手に入れやすいRISC-V機となると、標準機的なSiFive以外は、中国勢の存在感が増してくる。多分、最も安く手に入るのが、中国のGigaDeviceの「GD32VF103」というマイコン製品だ。このチップで使われているRISC-Vのコアは32ビットの整数コアで、ArmでいうとCortex-M0クラスだ。マイクロコントローラー向けでは普及価格帯の機種である。コアを提供しているのは、Nuclei System Technologyという上海の会社らしい。

 しかし、どうも元になっている設計は台湾のAndes Technologyのようだ。中華系の会社間の関係がよく分からない。でも中国本土にも、台湾にもRISC-Vコアで商売をしているIPベンダーはとうの昔に成立しているということだ。なお、Andes Technologyは、なかなか実力ありそうな感じだ。SiFiveを含む数社と並んでIntelファウンダリ上で利用可能なRISC-V IPのベンダーになっている。

 他にも中華系というべきRISC-V機は多い。エッジAI向けにはKendryteがK210というアクセラレータ付きの64ビットRISC-Vデュアルコア搭載製品を出している。これはFPU付だ。ここもまた関係性が不明なのだが、Kendryteの関連で同じロゴマークを使っているCanaanという会社があり、そこがK210のRISC-Vコアを提供しているように思われる。もちろんCanaanもRISC-V Internationalに加盟している。

 また、Wi-Fi、Bluetooth向けの廉価な無線マイコンとして、いまや世界中で定番化した感があるESP32のメーカー「Espressif」も、RISC-Vコアを搭載した新製品を出してきている。中華系のマイコン(シングルチップマイクロコントローラー)デバイスは日本を含む世界中で廉価で売られているようだ。最近の開発ツールの進歩のおかげで、非常に簡単に使い始めることができる。実用という点では組み込み向けの中国勢が先行している印象を受けている。

 これに対して、Armコアでマイコンや、SoCを手掛けてきている欧米日の主要半導体メーカーの場合は、各社各様の事情を考慮せざるを得ないだろう。取りあえず情報収集か、自分の意見を規格に反映させるためにもRISC-V Internationalに加盟はしておくべきだろう。メンバーシップには何段階かグレードがあり、下の方であれば毎年の会費はかなり安いはずだ。実際、RISC-V InternationalのWebページに行けば、参加している会社の数とともに「この会社も入っているの?」とビックリする会社名が並んでいる。もちろん、そこにはNVIDIAの名前もある。

 しかし、いざRISC-V機を市場と投入しようとすると、既存のArmビジネスを持っている会社ほど商品の位置付けに苦しみそうだ。申し訳ないがルネサスエレクトロニクスを例に勝手な妄想を膨らませてもらおう。

 ハッキリ言ってルネサスエレクトロニクスは、Armベースでは出遅れた。欧米各社に比べると周回遅れ、と言ってよいダントツの遅れ方だ。頭脳放談「第259回 日本の半導体産業はどうしてダメになったのか? 今だから分かる3つのターニングポイント」でも書いたが、ルネサスエレクトロニクス社内に本当に立派なコアが複数並立しており、それら製品と市場(顧客)を整理するだけでも大変だったはずだ。

 そこに、Armまで同時投入したら訳の分からない状態になっていただろう、致し方ない。しかし、遅ればせながらルネサスエレクトロニクスもいまや立派なArmベースのマイコンベンダーだ。顧客にはルネサスエレクトロニクスのArmコアが好評だそうだ。

 想像するに、かなり営業努力して、かつての自社コア顧客に押し込んできているのではないあろうか? RISC-V製品をさらに投入すると、その舌の根の乾かぬ内にRISC-V推しか、という反発の声が上がっても不思議ではない。

 しかしルネサスエレクトロニクスは、「Armでは後れを取ったが、RISC-Vではその轍(わだち)を踏まない」と言ったとか。中国勢の動きなど見ているといますぐにでもRISC-Vに舵(かじ)を切らないとまたもや周回遅れだろう。

 ルネサスエレクトロニクスばかりを例に引いたが、多分Armコア主力でやってきたところにはみんな似たような悩みがあるはずだ。どういう仕切りでArmとRISC-Vを並び立たせるのか考えないと既存の顧客、市場を失いかねない。それにArm以上にRISC-V市場はレッドオーシャン化するのは目に見えている。どうするルネサスエレクトロニクスやその他のArmマイコンメーカーたち!

Armが生き残る道は?

 そんな内憂外患こもごも至ってしまったArmの生き残るすべは何か。ここは真正面から「コストパフォーマンスのよいプロセッサIPを供給し続けることだ」と言いたい。Armチャイナは古いコアをかっさらっていったが、新規のものは使えないようだ。自力で新しいものを作る気らしいが、英国Armがそれを上回るコストパフォーマンスのコアを供給し続ければ、顧客離れは防げよう。

 また、RISC-Vも同様だ。現状、主戦場中の主戦場であるスマートフォン向けのプロセッサはArmの独壇場だ。RISC-Vは組み込みの目立たぬところに浸透しているにすぎない。Armがコストパフォーマンスのよいプロセッサを出し続けられれば、スマートフォンやタブレットなどの牙城を守り切る可能性は十分にある。

 そして、そういう例はx86にある。1990年代、RISCに押されたx86はなくなるのではないかと思われた。増築を繰り返したx86の命令セットアーキテクチャは不格好でRISC陣営からの攻撃の的となった。しかし、どっこい実装面の必死の努力により、コストパフォーマンスでRISC陣営を圧倒したのだ。結果、PCやサーバなどにいまだにx86が生き残れている。

 そのとき、主要RISC対x86の主戦場から離れて組み込み用途で伸びたのがArmであった。いまやArmの立場は変わった。RISC-V陣営からはArmの命令セットは増改築を繰り返して汚いといわれるが、そんなことを気にせずに主力のスマートフォンなどを実装で守りきる、ってものだろう。

 やはり歴史は繰り返す。組み込み用途を中心にRISC-Vの浸透は避けられないだろう。追う立場から追われる立場に変わっているのだから致し方ない。NVIDIAの買収がご破算となったところで、心機一転、真正面から行ってもらいたいものである。

筆者紹介

Massa POP Izumida

日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス マルチコアプロセッサを中心とした開発を行っている。


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