Cracked Engineerは成立する? AIエージェントの時代でも「仲間」が必要な理由及川卓也からエージェント時代の開発者たちへ(8)(1/2 ページ)

「1人でユニコーンを作れる」というAI時代の言説を、毎日のように耳にします。こう見えてコミュ障気味のところがある私には、その響きに正直、憧れる気持ちもあります。ただ最近、あらためて気付かされました。AIエージェントを優秀な作業担当者として迎え入れる時代だからこそ、人間の仲間が要らなくなることはないのです。

» 2026年05月12日 05時00分 公開
[及川卓也Tably株式会社]

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「コンピュータに向かうだけで仕事になる」と憧れる気持ち

 「1人でユニコーンを作れる」「Cracked Engineerが時代を変える」──近頃、米国の起業家やテック媒体から、AIエージェントを駆使した個人開発の物語が毎日のように流れてきます。Cracked Engineer(クラックド・エンジニア)は、ゲーマースラングの「cracked(神がかり的にうまい)」を転用した呼び方で、AIを駆使する突出した個人エンジニア像を指します。@ITでも2026年1月に解説記事が公開されていますので、ご存じの方も多いかもしれません。

 正直に告白すれば、こう見えてコミュ障気味のところがある私にも、その響きに憧れる気持ちはあります。1人で完結できるなら、どれだけ楽だろう、と思ってしまうのです。

 そんな憧れを抱きつつ、ふと思い出すのは、これまで何度か受けてきた相談のことです。5人ほどでしょうか。時期はばらばらですが、就活を控えた学生、新卒のエンジニア、職種の変更を考えるアラサーの方──年代も立場もまちまちですが、口にする言葉は不思議なほど似ています。

 「他人と話すのが苦手なので、コンピュータに向かうだけで仕事になりそうなソフトウェアエンジニアを目指したいです」

 私は自分がコミュ障なことも忘れて、ソフトウェア開発の現場がコミュ障の溜まり場になったらたまったもんじゃないと内心思いつつ、できるだけ優しく次のように答えました。

 「ソフトウェア開発は個人プレイではありません。設計、レビュー、運用、顧客対応──どれ1つをとっても、誰かと関わらずには前へ進めません」

 では、AIエージェントが登場した今、この答えは変わったのでしょうか。

 結論を先に言えば、私の答えは変わっていません。むしろ、AIエージェントが優秀になればなるほど、その答えは私の中で強くなってきました。今回はそんな話をしたいと思います。

「1人の天才」が作った時代も、実はチームだった

 少しだけ歴史を振り返ります。

 私の世代にとって、「1人でソフトウェアの世界を変えた人物」といえば、ビル・ゲイツ(Bill Gates)とスティーブ・ウォズニアック(Steve Wozniak)でした。ところが、実態を見直すと、「1人の天才」の神話は思うほど単純ではありません。

 1975年のAltair BASICを作ったのはゲイツだ、とよく語られます。しかし厳密には、ゲイツ、ポール・アレン(Paul Allen)、モンテ・ダビドフ(Monte Davidoff)の3人の仕事でした。大半のコードはゲイツですが、アレンはPDP-10上で8080プロセッサのシミュレータを用意し、ダビドフが浮動小数点演算を担当したのです。役割分担こそが、あの突破力を生みました。Apple I(1976年)も、回路と基本ソフトはウォズニアックが単独で設計したとはいえ、スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)の説得があったからこそ会社になりました。ライナス・トーバルズ(Linus Torvalds)はLinuxを公開し、世界中のボランティアと協働しています。

 少しだけ個人的な告白をすれば、私はこの中では特にゲイツに憧れていました。まだ高校生だったころの私でも天才として知っており、「ソフトウェアで世界を動かす」という夢がそこにありました。まさかその後、社会人になって2社目に彼の会社に入り、さらには彼自身のレビュー(「BillGレビュー」として知られる技術レビュー)を受ける機会を得ることになるとは、当時の私は思いもしませんでした。

 では、AIエージェントがあふれる2026年に、最も「純粋に1人」に近い人物は誰でしょうか。「Indie Hacker」と呼ばれる働き方の象徴、ピーター・レベルズ(Pieter Levels)氏です。彼の「Photo AI」は月商で約13万8000ドル。RemoteOKやNomad Listを含めて完全ソロで運営し、外部資本ゼロ、社員ゼロ。ただし忘れてはならないのは、彼のソロ運営はAIより前から成り立っていたこと。AIエージェントは彼にとって追加のレバレッジにすぎないのです。

 歴史も現在も教えてくれるのは、「1人の天才」神話のほとんどが「突出した1人+それを補完する数人」だった、という事実なのです。

AI時代になって、チームは不要になったのか

 それでは、いよいよ本題です。AIエージェントが成熟してきた今、本当にチームは不要になったのでしょうか。

 象徴的な発言を振り返ります。2024年2月、OpenAIのサム・アルトマン(Sam Altman)氏は 「テックCEOの友人たちで、最初の1人ユニコーン──従業員なしで10億ドル規模の企業を作る人物──が何年に出るかに賭けている」と語りました。

 また、2025年2月3日、アンドレイ・カーパシー(Andrej Karpathy)氏は「vibe coding」という言葉を提唱し、わずか1年後の2026年2月には自らそれを「時代遅れだ」と否定して、「agentic engineering」(エージェントを指揮・監督するスタイル)への移行を提案しています。さらに2026年に入ると、この流れは「Cracked Engineer」にまで進みました。AIの出力をうのみにせず、複数のエージェントを並行して指揮し、寝ている間も作業を回し続けるエンジニア像です。まだ、この言葉自体生まれたばかりのため、新しい時代のエンジニア像としてポジティブに受け入れている論調もある一方、Cracked Engineerを礼賛した記事を出した同じメディアがすぐ後に批判的な記事を出すなど、Cracked Engineerの神話は、米国のテック媒体内部でも、早くも揺らぎ始めているのかもしれません。

 確かに、作業担当者として、AIエージェントはめちゃくちゃ優秀になりました。コードを書くだけでなく、テストを書き、デバッグし、ドキュメントまで整える。Y Combinator(YC)のCEO、ギャリー・タン(Garry Tan)氏は2025年3月、「YCの投資先の4分の1が、コードの95%をAIで生成している」と語っています。それを束ねて指揮できる強い人間が1人いれば、それだけでチームに匹敵する出力が出せる──そういう時代に、確かに入ったのです。

 ここで、本連載の第4回を思い出してください。私は「AIエージェントは『同僚』ではない」と書きました。AIを擬人化すると、チームは静かに壊れていく、という論旨でした。今回もこの立場は変わりません。AIエージェントは、優秀な作業の担い手──作業担当者──ではあっても、私たちの「同僚」ではないのです。

 そして、人間のメンバーの役割は、ただの作業担当者ではない。AIが作業を引き受けてくれる時代だからこそ、人間に残る役割が改めて見えてきます。

人間を「スポンジ」にする罠と、孤独の弊害

 人間を1人にして、AIに対峙させ続けると何が起きるのか。少なくとも、2つの問題があります。

 1つは、AIから「責任を吸い取られる」役にされてしまう問題です。

 2026年4月16日、日本経済新聞「経済教室」面に、慶應義塾大学の山本龍彦氏が「AIにおける『スポンジ人間』化を回避せよ」という論考を寄せました。米コロラド大学のマーゴット・カミンスキー(Margot Kaminski)氏らが提唱した「責任スポンジ」論を紹介しながら、山本氏は警告します。AIの意思決定プロセスに人間を組み込むHuman-in-the-Loop(HITL、人間が制御ループの中にいること)という設計思想の下で、人間はAIから責任を「スポンジのように」吸い取るだけの形式的な存在になってしまう、と。

 AIの評価を過剰に信頼する自動化バイアス、AIを批判的に吟味する力を失うスキル・フェード、AIから逸脱すると「不審な行為」と見なされ説明責任を問われる外部的プレッシャー、効率性の名の下に時間的コストとして否定される人間の関与──こうした構造的な力が働き、人間がAIを守るために潰れる「モラル・クランプルゾーン」と化す、と言うのです。

 AIの利用についての倫理は、近年さかんに語られています。私自身、最近「プロダクト倫理」という本を書いたのも、その関心の延長にあります。プロダクトを作る側、つまりプロダクトマネジャーやエンジニアが、自律性・透明性・公正性・安全性という4つの原則をどう実装するか──「作る側の倫理」を中心に論じた本です。

 ただし、山本氏の論考が突きつけているのは、その裏側にある倫理問題です。プロダクトを「作る側」の倫理を整えても、AIを「使う側」に立つ人間の尊厳もまた、構造的に脅かされている。両方の倫理が同時に扱われなければ、AI時代の責任の所在は宙に浮いてしまうのです。

 もう一つの問題は、孤独です。

 大きなモニターに並ぶ複数のターミナルを相手に、たった1人でそれを監視し続ける──これは、感情を持つ人間として辛くないでしょうか。AIに話しかけても、AIは仲間として返してくれるわけではありません。エイミー・エドモンソン(Amy Edmondson)氏が提唱して以来よく知られる「心理的安全性」、つまり「ここで何を言っても安全だ」と感じられる場が組織の生産性を左右するという研究がありますが、これは定義上、ソロには存在しない概念です。誰にも何も言えない世界に、安全性という言葉は要りません。

 責任を1人で吸い取らされ、声をかける相手もいない。AIエージェントがどれだけ優秀になっても、この構造的な辛さは、人間の側に残り続けるのです。

AI時代に、どんな仲間を選ぶのか

 スポンジ化と孤独。この2つは、人間が1人でAIに対峙することから生まれる構造的な問題でした。では、どんな仲間と組めばよいのでしょうか。

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