Appleがプロセッサの製造をIntelへ委託するという報道が波紋を広げ、Intelの株価が急騰している。かつてMacのプロセッサを供給していたIntelと、独自の道を歩んだApple、そしてモバイルの覇者となったArm。激動の半導体業界を生き抜く3社の深く複雑な因縁の歴史を解き明かす。
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Intel・Apple・Armの深い因縁Intelの株価が上がっているようだ。2026年3月末に40ドル近くにまで下がった株価は、5月1日には130ドルまで上がり、原稿執筆時点では110ドル前後で推移している。公式の発表は何もないのだが、Appleが自社のプロセッサ(Armコア)の製造をIntelに委託するという話がメディアで報じられているためのようだ。現在は全量をTSMCに製造委託しているため、この報道が事実であれば大きな方針転換となる。
現時点では、何をどれだけ製造するのかは全く不明だ。しかし米国政府がIntelに莫大な補助金を突っ込んでいるので、「国策だからIntel使え」という圧力がかかっての話であることはまず間違いないだろう。
報道の内容からすると、今回の話は既存のTSMCに製造委託していた「Appleシリコン」と呼ばれているチップ群の一部をIntelの製造に差し替える「だけの」話のようだ。製造委託元が製造委託先を変更するというのは一部の人に面倒な仕事が発生するが、よくある話でもある。
鳴かず飛ばずのIntel Foundry(Intelの半導体製造部門)にとっては、いい話であろうが、米国政府の圧力だとすればApple側にしたら少し迷惑な話かもしれない。IntelがAppleの要求するコストパフォーマンスを満たせることを祈るばかりだ。
実はApple、Intel、Armの3社の絡み、というか因縁は深い。その辺りをご存じない若い人も増えていると思うので、今回は3社の歴史を「絡み」の部分に着目して眺めてみたい。
創業の古さという点で、まずIntelから話を始めよう。創業は1968年のことだ。Shockley Semiconductor Laboratory(ショックレー半導体研究所)の研究スタッフであったGordon Moore(ゴードン・ムーア)氏やRobert Noyce(ロバート・ノイス)氏など8人が、所長のWilliam Shockley(ウィリアム・ショックレー)氏の開発方針と対立、8人の一部がFairchild Semiconductor (フェアチャイルドセミコンダクター)を設立した。Shockley博士がトランジスタをサンフランシスコ南方のサンタクララ・バレーに持ち込んで起業してから、約10年後のことである。その後、さらにFairchild Semiconductorから独立して創業したのがIntelだ。
Shockley以前に「シリコン」バレーは存在しなかった。Intelがブレークしたのは日本の電卓メーカー「ビジコン」から委託を受け、世界初のマイクロプロセッサ「4004」を開発・製造したことにある。
同社は急速に規模を拡大し(といっても当時の半導体業界の大きさは現在と比べものにならないほど小さい)、Appleが創業した1976年頃には、当時の半導体業界において大手の一角を占めるようになっていた。
本当の話かどうかは定かではないが、創業前のAppleとIntelの接点に関するエピソードが語られている。Appleの共同創業者であり、Apple Computerの設計の中心人物であったStephen Wozniak(スティーブ・ウォズニアック)氏(当時まだ十代だったと聞く)が、自身の考えるコンピュータのCPUとしてIntelの「8080」を使いたいと考え、当時のIntel本社へ赴いたという(今のIntel本社ではなくサンタクララによくある2階建てのビルだ。そこにバスで行ったと聞く)。ところが、Intelの営業担当には相手にされず、8080のサンプルすらもらえなかったらしい。おそらく「子供は帰れ」という対応だったのではないかと想像する。当時のIntelの体質からすれば、さもありなんという話だ。
当時、Intelは日本円で数百万円する開発ツールの販売をもって「デザイン・ウィン(Design Win)」と称していた。デザイン・ウィンとは、主に半導体業界などで用いられる用語で、設計段階から製品を採用してもらい量産オーダーを獲得することを意味する(デザイン・ウィンによって営業担当者の成績にカウントされる)。
サンプルといっても当時は1000個単位などが普通であり、当時のWozniak氏にとって手の届く価格ではなかったはずだ。仕方なくサンプルが手に入ったMOS Technology製の「6502」を使い、Wozniak氏はApple I、Apple IIを設計した。そしてApple IIは、黎明期のパソコン業界で大ヒットを記録することになる。都市伝説の類いではあるが、Intelの「B2Bな大口案件優先体質」を物語るエピソードだ。もしIntelの営業担当者が、お愛想で数個だけでも8080をWozniak氏に渡していたら、歴史はどうなっていただろうか。
さて、Apple IIの大成功で名を成したAppleだが、16ビットの世界に入るにあたり、CPUとして選択したのはIntelの宿敵ともいえたMotorola(半導体部門は今やNXP Semiconductorsの一部になっている)の「68000」だった。Intelの8086/8088がIBM PCに採用されて数を伸ばしている最中のことである。68000を搭載したMacintosh(現在のMacの先祖)はグラフィカルユーザーインタフェース(GUI)を備え、カッコよいことこの上なかった。
しかし、Appleは1990年代前半で68000系のCPUを見限ることになる。68000系の開発スピードが、x86や台頭してきたRISCに比べて後れを取るようになったからだ。
そしてAppleはRISCに目を向ける。目を付けたのはIBMのPowerアーキテクチャだったようだ。しかし、フラグシップというべきMacintoshを放したくないMotorolaは、68000のRISC版ともいえる「88000」を開発し、Appleに猛プッシュをかけた。結果的には、88000の外周りにPowerのコアを搭載した「PowerPC」というチップ(MotorolaとIBMの共同開発)がMacintoshに搭載されることになった。この時点くらいからAppleはCPUの設計にも深く関与するようになったと思われる。
AppleがメインストリームとしてRISCのPowerPCを選択した頃、RISC業界の主戦場はワークステーションであった。Sun Microsystemsには「SPARC」、ハリウッドのコンピュータグラフィックスで一世を風靡したSilicon Graphicsには「MIPS」、そしてIBMには「Power」という具合だ。
この時代、Intelも「i860」とか「i960」といったRISCプロセッサをリリースしており、i960は数だけ見ればRISC業界トップを走った(用途はレーザープリンタのエンジン)こともあるのだ。しかし、結局消えていった。もうかるx86のビジネスに比べ、売り上げが細いラインを切り捨てていくのが、Intelの習性となっていた。
一方、そんな激戦のRISC業界の片隅で、1990年にArmも誕生している。英国の教育用のコンピュータメーカー「Acorn Computers」からのスピンオフであった。
大手半導体メーカーが殴り合っているような「主戦場」のワークステーションを避け、小型軽量のCPUを目指したのだ。さらに自社ではチップを製造せず、IP(半導体の設計など)を販売する戦略を採用した。想像するに自社で大規模なチップを作るようなリソース(人と金)がなかったからだろう。実はArmの創業時にAppleも出資という形で深く絡んでいた。
そんなArmとAppleの絡みが明らかになったのは、Appleにしたら黒歴史かもしれないハンドヘルド端末(PDA)「Newton」の発表であった。当時、各社からPDAと呼ばれるデバイスが相次いで発表されたが、商業的に成功したといえるのは「Parm(パーム)」くらいで、他は死屍累々の市場となった。しかし、その裏でスマートフォンの下敷きとなる技術開発が進んでいたのだ。
AppleのNewtonも話題にはなったものの、大きなビジネスにはならず終焉を迎えた。Armも終わったかと見えたが、Armは別のチャンスをつかんでいた。欧州の携帯電話の規格「GSM」である。
1990年代の携帯電話は、日、米、欧で規格がバラバラであったが、市場として最も進んでいたのは欧州だった。何せ携帯電話という概念自体、北欧の自動車電話が発祥である。NokiaやEricssonなど北欧のメーカーがリードして開発が進んでいた。
そこでベースバンドチップとして採用されたのがArm(当時はARMとつづっていた)だったのだ。欧州に本拠を置いていた地理的優位性もあったのではないかと思う。1990年代も後半になると世界各国の携帯電話関係の会社が英国ケンブリッジのArm本社へ日参するような状態となる。
他にも似たような小型軽量RISCプロセッサはあったのだが、Armの一人勝ちだ。また、AppleもNewtonの失敗を乗り越え、Armを使ったモバイルデバイスに入れ込んでくる。音楽プレーヤーの「iPod」だ。
スマートフォンの立ち上がりの前にAppleとIntelが協力していた時代を触れておかねばならない。PowerPCを採用したAppleだったが、次第にPowerPCのコストパフォーマンスがx86に劣るようになってきたと感じていたようだ。過去にもCPUアーキテクチャを大胆に変更してきたAppleだけに、変更の決断は素早かった。
他社の開発方針などに振り回されず、自社の判断で開発を進めたい(かつコストパフォーマンスを最優先する)というAppleの体質がよく表れている。Steve Jobs(スティーブ・ジョブズ)氏の指導力のたまものだろうか。
21世紀に入ってから約15年間、AppleはIntel製x86をMacに搭載してきたのだ。この時代は、Intelのx86のコストパフォーマンスが他を圧倒していた時代である。同時にIntelは極めてもうかるx86/x64の主力ラインに傾倒し、他の「煩わしい」案件を避ける傾向が顕著になっていった。
交渉事なので詳細は不明だが、この時代の最初の頃、Appleは自社で設計するシリコン(初代iPhone用だった)をIntelに製造委託することを交渉していたようだ。しかし成立には至らなかった。もし成立していたら、Intel Foundryの今の苦境はなかったであろう。
そこで再びArmが登場する。iPhoneにはArmコアが採用され、製造はSamsung Electronicsが受け持ち、その後にTSMCへと移っていった。なお、iPhone向けの通信開発部隊はIntelの該当開発部門をAppleが買収したと聞いている。スマートフォンというデバイスの可能性を見極められなかったばかり(当時もうかって大口なx86ばかりに目が向いていた)にIntelは目の前のチャンスを逃し、AppleとArmは勝者となり、Intelは苦境を迎えることになったのだ。
しかし、ここにきて新な動きもある。Armはその成功の鍵であった「自社では設計するのみで製造せず」という方針を変え、一部ではあるが自社製造(もちろん製造は委託ではあるが)に踏み出した。これが成功するかどうかは興味深い。
一方のIntelは、長年の恩讐を超え、宿敵であったAMDと共同でx86/x64アーキテクチャの更新に乗り出している。次の時代がどうなるのか楽しみだ。
日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス マルチコアプロセッサを中心とした開発を行っている。
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