AIの性能向上の実例をここまで見てきた。現状を踏まえて、辻氏が「肌で感じている」のは、人間の能力や作業量を前提として成り立ってきた、セキュリティ業界のさまざまな仕組みが機能しなくなっていることだ。
その理由はシンプルで「AIは、人間より圧倒的な速度で、大量の結果を出してしまうからだ」という。
こうした変化による「破綻」には2つのパターンがある。一つは、AIの性能が向上し、人間がやっていた競技や仕事が成立しなくなるパターン。もう一つは、AIが低品質な結果を大量に生成することで、それを人間が処理し切れなくなるパターンだ。
その影響が最も分かりやすく表れているのがCTFだ。CTFでは今や当たり前のようにAIが活用されていることは先ほど説明したが、それによって問題作成の難易度が跳ね上がっている。
Googleが主催する「Google CTF」の2026年の大会では、「AIに解けない難易度の問題を作ることができなくなった」として、一般的な予選の開催を断念。決勝戦にはあらかじめ招待したハッカーを呼ぶ形式になったという。
「GoogleですらAIに解けない問題を作ることを諦めてしまった。私は以前『CTFはAIによって終わりました』とポストしたことがあるが現実になっている」(辻氏)
辻氏によると、国内のトップエンジニアたちも「もうAIに勝てる人間はほとんどいない」と口をそろえて言っているという。AIによって競技自体の面白みが失われ、引退するプレイヤーが続出しており、コミュニティーが終焉に向かっているのだ。
さらに生々しいのが、脆弱性報奨金制度(バグバウンティ)やセキュリティコンテストだ。AIの脆弱性探索能力が向上した結果、今度は「見つけた脆弱性をどう処理するか」という側で問題が起きている。
バグバウンティでは、研究者らが脆弱性を見つけて報告し、最終的なトリアージはベンダー側が判断する。つまり、AIを使って大量に脆弱性候補を生成できるようになると、報告する側のコストは下がる一方、受け取る側の負担は増大する。
例えば、データ転送ツール「curl」のプロジェクトには、AIで作られた低品質な脆弱性レポートが大量に送られるようになり、プロジェクト側が対応に追われている。「Node.js」のバグバウンティでも、脆弱性報告が急増し、報奨金の予算が底をついて一時的にプログラムを閉鎖する事態になった。
辻氏自身が体験した事例はさらに強烈だ。
AIによる脆弱性探索では、複数のAIが似たような思考パターンや探索傾向を取る。そのため、未修正の脆弱性が1つ存在すれば、世界中のハッカーがAIを使って同じものにたどり着くこともある。
「例えばFirefoxのバグバウンティでは、私がAIで発見した脆弱性と同様のものを20〜30人が報告していた。Firefoxの担当者からすれば、『またあのバグの重複だ』となり対処しなければならないので、非常に不毛な状況だ。しかしバグハンター視点では少し話が変わる。仮にレポートの内容が不正確でも、バグハンター側にはほとんどペナルティーがないため、100件送って1件でも『当たり』を引ければ報奨金で大もうけできる」(辻氏)
AIによるバグバウンティのゴールドラッシュが起きている今、バグハンターたちはスピードを重視するあまり、不十分な検証で我先に脆弱性を報告する。そしてこの尻拭いをするのはサービス開発の担当者だ。彼らは報告を受けた手順を一件ずつ確認しなければならず、疲弊はピークに達している。
こうした問題を受けて、国内のバグバウンティでも対策が始まっているという。辻氏によれば、サイボウズの報奨金制度では、報告内容を実際に検証したことを示す動画の添付を求め、さらにその動画をAIで作成することまで禁止するルールが追加された。
AIによって脆弱性を見つけることが簡単になった結果、今度は「本当に人間が検証したのかどうか」を証明しなければならなくなった。これはなかなか皮肉な状況だ。
AIによって脆弱性の発見が容易化した影響はセキュリティ人材の評価にも及んでいる。
これまでバグハンターや脆弱性研究者にとって、CVEの取得件数は一つの実績として分かりやすい指標だった。しかし、AIによって脆弱性探索そのものが自動化されていけば、その数字だけでは「その人が何をできるのか」が分からなくなる。
辻氏は、CVEの取得実績をエンジニアの能力評価に使うことにも疑問を呈す。
「かつてCVEの取得は、対象ソフトウェアの内部構造を深く理解し、高い技術と論理的思考力を持っている証拠だった。しかしAIでCVEにつながる脆弱性を見つけられるようになった今、履歴書に書かれているCVEの実績は、技術力の証明としては全く当てにならない」(辻氏)
辻氏によると、採用活動をする中で、CVEを複数所持するエンジニアから応募が殺到しているが、実務を任せられるレベルに達している人材はほんの一握りだという。
「私が最近提唱しているのは『CVE-2024以降(2024年以降に採番されたCVE)は、個人の脆弱性発見能力を保証しない』というルールだ。履歴書に『CVE-2025』や『CVE-2026』と書いてあっても、それは『私は男性です』『私は女性です』という属性情報と同等であり、技術的なスキル証明としては何の価値もない」(辻氏)
ただ、これはCVEという仕組み自体に価値がなくなるという話ではなく、セキュリティエンジニアの「価値」を測る物差しが変化しているということだろう。つまり「CVEを取得した」という結果と、「その脆弱性を自分で理解し、解析し、発見した」という能力を切り分ける必要が出てきたということだ。
AIがコードを読み、脆弱性候補を見つけ、PoCまで作る。そうなれば、人間に求められるのは「何件見つけたか」だけではない。「AIが出した結果が本当に正しいのかどうか」「なぜそのバグが発生したのか」「どこまで悪用可能なのか」「この知見を別の問題に応用できるのかどうか」といったこれまでの「成果物の数」だけでは測れない能力が、むしろ重要になる。
AIによって変わったのは、ゼロデイ脆弱性発見のスピードだけではない。脆弱性を攻撃に使える状態に持っていくまでの時間も、急速に短くなっている。
脆弱性を悪用するには、修正箇所を特定し、ソースコードを読み込み、周辺知識を調べ、PoCを作り、検証するといった作業が必要だった。ところが現在、パッチが公開された瞬間にAIに差分を読み込ませれば、脆弱性の場所を特定し、必要な知識を調べ、PoCまで生成できる。
「パッチを見れば、AIは『あ、ここが直ったバグだな』と分かる。そこを狙うエクスプロイトをすぐに作れてしまう」(辻氏)
つまり、パッチの公開そのものが攻撃者へのヒントになる。いわゆる1デイ、Nデイ脆弱性の「秒速悪用」が現実になりつつあるという。こうなった以上、防御側も従来の「脆弱性が見つかってパッチを提供される」という受け身の対応だけでは追い付けない。
これに対して辻氏が示す答えはシンプルで、攻撃者より先にAIを回すことだ。
攻撃者はソースコードを持たないブラックボックスの状態から脆弱性を探す。一方、製品開発者や利用企業は、ソースコードや設計、導入するソフトウェアを把握している。つまり防御側は、より多くの情報を持ったホワイトボックスの状態でAIを使える。これは防御側の大きな優位性だ。
「攻撃者に見つけられる前に、自分たちでAIを使って見つければいい。攻撃者のAIと防御側のAIが拮抗する状態を作る」(辻氏)
この考え方はベンダーだけに求められるものではない。辻氏は今後、ソフトウェアを「使う側」にも責任が問われるようになると考えている。
「『他社から購入した製品だから大丈夫』『OSS(オープンソースソフトウェア)だから仕方ない』といった“誰かのせい”という言い訳はもう通用しない。『なぜ導入する前にAIスキャンをしなかったのか』と問われる時代が来る」(辻氏)
強い者でも、賢い者でもなく、変化に適応できる者が生き残る。
AIエクスプロイト時代の「適者生存(Survival of the Fittest)」とは、攻撃者の進化を待つことではない。防御側が先にAIを取り込み、自らの防御プロセスを変えられるかどうかだ。辻氏が最後に示したのは、そんな適応競争の始まりだった。
さくらインターネットで583アカウントに不正ログイン 「顧客領域」まで到達
「サイバー攻撃は日々高度化・複雑化」は聞き飽きた? 企業が陥る「複雑化のわな」
RBACもままならないのに「もう古い」 AIエージェント時代に迫られる権限管理の再設計
平和ボケの代償? ニチレイショックの裏で進行する“ド級のデータ漏えい”Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.