開発現場は日々の仕事の場であるとともに、学びの場でもある。先輩エンジニアが過去に直面した困難の数々、そこから学んだスキルや考え方を紹介する。
こんにちは。アクセンチュア・テクノロジー・ソリューションズの新楽です。今回は、プロジェクトの「掛け持ち」についてお話ししたいと思います。
SE(システムエンジニア)として数年の経験を積み、プロジェクトのリードとして仕事をするようになってきたころ、3つのプロジェクトを同時に任されたことがありました。そんなに規模の大きいものではありません。6人のプロジェクト、3人のプロジェクト、1人のプロジェクトでした。こういった掛け持ちがこの業界にどのくらいあるのかは分かりませんが、複数の仕事が一気に来るなんてこと、よくありませんか?
私にはあります。私の仕事のスタンスが基本的に「断らない」だからかもしれませんが……。頼られる(頼まれる?)と弱いのです。
それに選んで仕事をすることを、あまりカッコいいとは思えないのです。以前、「それはぼくの仕事じゃないから……」とか「ぼくはJavaしかやりたくありません」のようなことをいっている光景に出くわしました。ポリシーを持って仕事をするのも、プライドを持って仕事をするのもいいと思いますし、そういう姿勢について批判する気はありません。しかしそのとき、第三者である私の耳には「ぼくにはできないので……」といっているように聞こえてしまったのです。それに自分で仕事の幅を狭めてしまっているようで、とてももったいないことだとも感じました。
だからというわけではありませんが、私の場合、仕事に関しては「来るものは拒まず」という姿勢を貫き通します。さらに自分からも仕事を取りに行きます。特に、「無理じゃない?」と思われるような内容であればあるほど、「おいしい」と感じます(必ず最初に成功のイメージをつくっておくことがミソです)。
今回は、その姿勢があだとなって訪れた試練についてのエピソードですが……。
5〜6年ほど前の9月ごろのことです。当時所属していた会社で、某メーカーの基幹システムリプレースのプロジェクトが始まりました。カットオーバーは翌年の3月予定。私は「けっこう厳しいけど、まぁ何とかいけるか……」と感じていました。
と思っていたのもつかの間、データウェアハウスの構築コンサルティングを行ったことのある製造業のクライアントから、「ちょっと相談に乗ってほしいんだけど」と電話がありました。聞くと、「全社で散らばっている経費などのデータをデータウェアハウスに集めて、商品別の損益計算書を作成したいという話が経営企画室から上がっているのだが、どうしたらいいか?」というものでした。
詳しく聞いてみたところ、かなりアグレッシブな、しかも経営側の案件ということで、とても興味深い内容でした。損益分岐点や限界利益など、それまでの私のキャリアの中ではあまりなじみのなかったことを考える仕事でしたので、私はどうしても自分の手でやりたくなってしまったのです。そこで営業とともに見積もりや作業スコープの調整を行い、この案件を正式に受注しました。カットオーバーは、翌年の4月予定でした。ということで2プロジェクトの並行作業が始まりました。
1つ問題がありました。製造業のクライアントは少し場所が離れていて、移動にはロマンスカー(小田急電鉄)を使用する必要があったのです。最初は移動時間がもったいないと思っていました。しかし話が進んでくるにつれ、ロマンスカーでの移動時間は貴重な「考えを整理する場」兼「頭の切り替えの場」になりました。考えをまとめるには、ロマンスカーは最高でした。そんな状態でしたが、どうにかこうにか年を越すことができました。
そして年明け早々、大きな試練(?)がやってきたのです。以前に基幹システムを導入したクライアントにデータウェアハウスを導入しようという話が営業から出ました。そこで取りあえず、営業とデモンストレーションに伺うと、「あれっ?」というくらい簡単に受注できてしまったのです。納期は3月末で……。
「こういうときは、そんなものか……」と、私は勝手に納得していました。
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