第110回 ITの海にある境界線が動くとき頭脳放談

組み込み分野進出の次の一手として、IntelがWind Riverを買収。このニュースにIT業界の潮目の変化を感じる。Wintelの次に来る時代は?

» 2009年07月27日 05時00分 公開
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 2009年6月の話なので、少し旧聞に属するが、Intelが組み込みOS大手のWind River Systemsを買収するというニュースが流れた(インテルの「インテル コーポレーション ウインドリバー システムズを約8億8400万ドルで買収へ)。以前にも書いたが、Atomでようやく本腰を入れて、組み込み用途を開拓する気になったらしいIntelである(「第104回 ネットブックの裏側に見えるIntelの戦略」参照のこと)。「多分、組み込みLinuxに注力していくためだろう」といった論評が流れたし、それを否定する気もないのだが、Intelだけでない業界全体の「潮目」の変化も感じさせるニュースに思えてならない。

IT業界のトルデシリャス条約の次にあるもの

 はるかな昔のことになる。覚えているのは年寄りばかりのはずだが、Intelはプロセッサのアプリケーション開発者用に開発マシンやインサーキット・エミュレータ(In-circuit emulator:マイクロプロセッサの機能をエミュレートするテスト/デバッグ用ハードウェア)、OS、アセンブラ、コンパイラから、もちろんエディタなどに至る一切合財を売っていた時期がある。IBM-PC以前の話だといえば、その古さが分かるだろう。マイクロプロセッサも草創期で、プロセッサ・ベンダ自らがその手のソフトウェアまで用意しなければ使えなかった、という事情もある。そのころ新規の顧客アプリケーションにプロセッサが採用されたことを示す「デザイン・ウィン」という言葉は、「開発ツール一式」を売った、という行為と同義であった。そのころのアプリケーションといえば、まず組み込みである。

 それが、PCといえばIntelプロセッサになり、OSといえばMS-DOS(Windowsの歴史も古いが、Ver.3以前は実質使い物にならなかった。本来の意味で使えるOSになったのはWindows 95以降だろう)が市場を支配するようになり、サードベンダ各社から良質な各種の開発ツールが出るようになったころ、Intel自身はそのような「組み込み開発周り」の商売からは一歩引いて前面に出なくなった。しかし、いまだに「最強」のコンパイラを出しているし、Intelがソースである各種のミドルウェアなども存在するから、実はソフトウェア・ベンダとしての実力はそれなりにあるはずだ。

 あまり表に出なくなった理由としては、「Wintel(Windows+Intel)」と合体して呼ばれたとおり、プロセッサはIntelが、ソフトウェアはMicrosoftが、それぞれ「世界を制覇」するという覇権のあり方にもあったのだろう。MicrosoftとIntelの間に、「トルデシリャス条約*1」のような双方の境界線を明示する約束の存在は知られていない。だがポルトガルが東洋を、スペインが西の新世界(アメリカ)をと、大西洋の真ん中で世界を分割したのと同様の力関係が働いていたように想像する。OSや開発環境はMicrosoftが仕切り、Intelはプロセッサやチップセットなどを仕切るといった具合だ。

*1 1494年6月7日にスペインとポルトガルの間で結ばれたヨーロッパ以外の新領土の分割方式に関する条約。


 ところが、一度はWintelが制覇した世界もこのところ徐々に変化しつつあるように見える。すでに切り取り放題に「征服」できるような大陸(市場)はない。その上、MicrosoftのOS覇権は揺らぎつつあるように見える。Windows 7の前評判は高いようだが、もしかすると「7」がいまのOSビジネス・モデルの最後の世代になるかもしれないように思える。

 それにしてもMicrosoftこそ、長年、コンシューマ市場とか、モバイル市場とか「組み込み」用途を狙ってWindows系OS(Windows CE)をプロモートしており、それなりに使われてきたものの、市場を制覇したとはまったくいえない状況である。外から見ていても「もたもたし過ぎていて」、得意の「独占」ビジネス・モデルに持ち込むタイミングを逸してしまっている。このところのGoogle Androidのもてはやされ方などを見ていると、Microsoftは自分のところ「固有の」ビジネス・モデルか「自分のところの内部事情」に長年に渡ってこだわっていた間に、後から出てきたモノに持っていかれそうな感じである。

 IntelもすでにPC向けプロセッサでぼろもうけできた時代は去り、「新たな収益モデル」の構築が迫られて久しい。これからはハードウェアやOSだけでなく、サービスまで一体化し、そのくせ製品そのものがWebにおける「マッシュアップ」概念そのままに『マッシュアップ』されて成立してきそうな雰囲気である。既存の枠組みというものが壊れかけているのだろう。その中でWind Riverの買収は、とりあえずの一手という感じもしないでもない。いままでどおりの組み込みOS商売がしたくて買収したのではあるまい。

ネットの海を支配するのは誰だ

 昔を振り返れば「トルデシリャス条約」体制も、線引きの妙(ポルトガルは知っていたのだというもっぱらのうわさであるが)で新世界アメリカの中で線の東にはみ出ていたブラジルへ「合法的」にポルトガルが進出し、後にスペインが「東洋」区分のはずのフィリピンを植民地にして崩れていく。ところがそのころには、新興のオランダやイギリスが、ポルトガルとスペインの世界分割に割り込んで、両国の覇権を削り取っているのだ。

 変なたとえだが、このところの業界の動きというのはそんな時代の騒乱に当てはめてみたくなる。この後に続くのは「7つの海」を支配したイギリスの海洋覇権ならぬ、ネットの海を支配するGoogleなのだろうか。

 それにしても気になるのがWind Riverの従来の製品ライン「VxWorks」である。組み込み業界では定番で、その堅牢さ具合に「熱狂的な」支持者も多いと聞く。当然、今後も継続はされるであろうが、「帝国」の傘下ともなればWind Riverの力点も変化する可能性がある。コアなユーザーはしっかり捕まえているが、「プロプライエタリ(独自の)」なソフトウェアの広がりには限界があるからだ。全体戦略の中に埋没してしまうのか、逆に強力な「尖兵」として先頭を進むのか今後の動向が気になるところである。

 しかしなぁ〜、OSだのフレームワークだのいわずに勝手気儘に作れた時代はよかった。全体が見えていたし。いまでは組み込みも自分の持ち場以外は見えない世界になっているのではないだろうか。世界戦略の「一環」でどこかの砂漠で誰とも知れぬ敵と打ち合っているような感じだろうか……。

筆者紹介

Massa POP Izumida

日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部を経て、現在は某半導体メーカーでRISCプロセッサを中心とした開発を行っている。


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