タブレットPC向けのAtom「Z670」のリリースを読んで思ったことを述べる。このプロセッサの何がムーアの法則と関係があり、何が新しいのか。
インテルが新しいAtomプロセッサの製品ラインの発表をした。まぁ、そろそろ新しいものが出てよい頃合であったように感じるので、それ自体は順当なところで特段の驚きもない。しかしプレスリリースのサブタイトルの末尾にある「and Move Faster than Moore's Law(「ムーアの法則」を上回る)」というのを読んでちょっと「突っ込み」を入れたくなった次第だ(Intelのニュースリリース「New Intel Atom Processor for Tablets Spurs Companion Computing Device Innovation」)。「Atomプロセッサの製品ラインアップを強化するために、今後3年間で3つの新しいプロセス技術を採用し、『ムーアの法則』を上回るペースで新製品を市場へ投入予定」というのだ。
まずはみなさん知ってのとおりの「ムーアの法則」だが、その名を聞くと何か分かったような気になるのだろうが、最近、あまりにも広く引き合いに出し過ぎているのではないだろうか。「ご本家」Intelのマーケティング担当者もかなりそういう傾向があるように見える。マスコミに注目してもらえるように、ついつい今回の発表の末尾にもわざわざ書かないでもよい蛇足な一文を付け加えたのかもしれない。
もともとムーアの法則は、半導体の集積度(初期の対象はメモリの集積度だったはず)の時間に対する向上のレートを示す経験則として出されたものである。半導体の開発などというものに関わる1つ1つのアクションは、個々の会社の個々のエンジニアの仕事にまでミクロに分解できる(端的にいえばサボっていれば遅れる)。ところが、「業界全体」としてマクロに眺めてみるとある一定のレートで向上していくように見えるという、ある意味、経済学の法則と一種通じるものがある法則である。いってみれば「マクロ経済」の法則だ。それがメモリだけでなく、プロセッサやそのほかいろいろに適用可能なのであちこちに使われるようになったのだ。
「マクロ」な経験則だから、業界トレンドのロードマップを検討する際にムーアの法則を考慮に入れるのは自然だと思うのだが、個々の製品などに適応するのには適さないと考えている。ぶっちゃけ、「ある製品」をマネージメントしている誰かがお金をつぎ込んで、よいプロセスとよいエンジニアを使って集積度を上げると決断すれば、その製品の集積度は上がるし、そうしなければその製品の変化はない。本来、法則を使って説明するような事柄ではないはずだ。逆にいうと、わざわざ「トレンド以上の速さで進化します」といわなければ誰かが納得しない何かがあるのだろう、とも勘ぐれるわけである。
そういう目で今度のAtomプロセッサを見てしまうと、いろいろ疑問がわいてくるのだ。だいたい、Atomプロセッサは「ネットブック」という「新たな」カテゴリの新市場を切り開いたはずであった。しかし、ネットブックの現状を見ると、その登場前に一部のマーケティング担当者が恐れたとおり「ノートPC」の価格下落のトリガを引いてしまったのはもちろん、一度は狙って獲ったはずの「いつでもどこでもネットにつなぐ」というコンセプトの市場を後から登場したiPadなどのタブレットやスマートフォンにあっという間に持っていかれてしまっている。それで今回、明確に「タブレット」を狙ったAtomプロセッサの登場と相成るわけだが、この辺、先をとったつもりがいつの間にか後手後手に回っているような感じがありありである。確かに「インターネットで動画を見る」軽量プロセッサとしては新しくなって「よく」なっているようにも見える。しかし、わざわざリリース文書に蛇足な一文を加えたくなったのは何故か?
昔のAtomの関係資料を引っ張りだしてみてみよう。まだ、Atomの名もネットブックなどという名もなかった2008年の年頭のISSCC(International Solid-State Circuits Conference:国際固体素子回路会議)でのちに「Atom」になるプロセッサが登場している。製造プロセスは45nm、最大動作周波数2GHzとされていたが、その数カ月後に量産版のAtomが発表された際は、動作周波数が最大1.86GHzまでのラインアップとなっていた。シリーズの売れ筋は、動作周波数1.6GHzで消費電力2.5W、組み込み向け主力製品の消費電力は2Wということであった。
これと比べると、今回の新Atomプロセサッサは、基本となるプロセッサ部分はほとんど変わらず(製造プロセスも45nmのまま)、単にグラフィックス機能が搭載されたことによる集積度アップがほとんどであるように見える。昨今、プロセッサよりはグラフィックスの方が性能上は重要であるから、大きなアドバンテージだといえばそうなのだが、「ワンチップにしただけかい!」という気もするのだ。
メモリ・バスが速くなったのもプラスだが、グラフィックスを載せたのなら当然だろう。それでいて消費電力は3W。グラフィックスのようなデカブツを搭載した割に0.5〜1Wプラスで済んでおり、トータルなシステムとしては消費電力が下がっているともいえるが、絶対値として大きく下がったわけでもない。また、スペース・ファクタの小ささも売りにしているようだが、これは前のAtomプロセッサでもネットブック向けと比べての話であって、同じ前のAtomプロセッサでも組み込み向けとしてアナウンスされていたシリーズとは大差がない。粗探し的に見ると、結構苦しい説明が多い感じがする。前のAtomプロセッサが登場した際の「驚き」に比べて、今回の以下同文的な売りの少なさに、ついつい「蛇足な一文」を付け加えたくなった気持ちが分かるような気になってきた。
今回、後手に回った感じでタブレット対応を前面に打ち出してきたIntelではあるが、多少なりとも地道に取り組む気配を見せているのが組み込み市場への対応である。Atomプロセッサの初めての発表時に、組み込み向けに長期間(といっても7年だが)の供給を打ち出したが、今回もそれを踏襲し、医療向けなどの組み込みアプリケーションにどうぞお使いください、というスタンスである。流行でどっと風向きの変わるコンシュマー市場に振り回されずに、我慢して細かいところから市場を広げていけるか? そのあたりを注視しているのは一人や二人ではあるまい。それならば「蛇足」な修飾など、いらなかったと思うのだが……。
日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部を経て、現在は某半導体メーカーでRISCプロセッサを中心とした開発を行っている。
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