「反逆」の手書きハイパーテキストタブレット、「enchantMOON」の内覧会に行ってきた世界にagainstしたい

ユビキタスエンターテイメント(UEI)が開発を進めてきた、独自OS搭載のタブレット「enchantMOON」がついに予約受け付け開始に。ハックスリーの『すばらしい新世界』やジャック・デリダのエクリチュール論まで飛び出した内覧会の模様をお伝えする。

» 2013年04月23日 22時01分 公開
[星暁雄,ITジャーナリスト]

 2013年4月23日、ユビキタスエンターテイメント(UEI)は開発を進めてきた独自OS搭載のタブレット「enchantMOON」の予約受け付けを開始し、併せて報道関係者らを集めて「内覧会」を開催した。その模様は、enchantMOONという製品の成り立ちを知る上で興味深い内容だったので、今回の記事ではこの会の雰囲気を中心にお伝えしたい。

 まず、enchantMOONについて簡単にまとめておこう。

 enchantMOONはAndroidと高速JavaScript仮想マシンをベースとする独自OS「MOONPhase」を搭載し、「手書き」のノートの機能、ハイパーテキストオーサリング機能、ビジュアルプログラミングの機能を搭載したタブレット端末である。デジタイザを搭載し、専用のペンを使い、OS内部の作り込みを含め「書き味」にこだわった作りとなっている。ペン入力を基本とすること、画面の基調が「ほぼ真っ黒」であること、UI(ユーザー・インターフェイス)要素を最小限に留めた「No UI」コンセプトを採用することなど、さまざまな点で、現在の主流となっているiPadやAndroidタブレットのタッチUIのトレンドに逆らったコンセプトを貫いている。

「手書き」「書き味」にこだわったenchantMOON

 価格は3万9800円(税込み、送料別)。現在、「アスキーストア」にて予約受け付け中だが、受け付け開始後1時間で予定販売数を越える注文を集めたという。enchantMOON公式サイトでも4月23日正午に受け付けを開始したが、「受け付け開始から30秒で」(UEI清水氏)ダウンしてしまった(ただし数時間後にはシステムを作り直して受け付けを再開している)。

これまでとは異なる、もう1つのコンピュータを

 UEI代表取締役社長兼CEOの清水亮氏は、「enchantMOONは同社の研究開発組織ARC(秋葉原リサーチセンター)を設立したときから構想していた」と明かす。

 そして清水氏は、enchantMOONの公式サイトで公開されているプロモーションビデオについて語り始めた。プロモーションビデオの最後に表示されるメッセージは、「私は不幸になる権利を主張する」というもので、これはオルダス・ハックスリーの小説『すばらしい新世界』から引用したものだ。

 プロモーションビデオに登場する「緑色のリンゴ」は、Android(緑色のアンドロイドがマスコット)とAppleにかけたもの。enchantMOONは、AppleのiPadやAndroidタブレットのような、指先で操作するタッチUIの世界とは異なるコンピュータである。

 「世界にagainst(反逆)したい。もう1つのコンピュータが作れないか」(清水氏)。

 そして清水氏は、enchantMOONのスペックなどには一切触れずに、人の思考とは何か、人は「新しいことを考える時には必ず紙とペンで考える」のはなぜか、といった話題についてを語り続けた。

UEI代表取締役社長兼CEOの清水亮氏

 歴史を振り返ってみると、コンピュータ・ハードウェアの変化の振れ幅が大きいこと、そして「ソフトウェアに対して本当に真剣な人は、独自のハードウェアを作るべきだ」というアラン・ケイの言葉を引用する。

 つまりenchantMOONは、この世界の主流のトレンドへの「反逆」である。そして同時に、清水氏が考える方向へソフトウェアを進化させるために必要なハードウェアであるわけだ。

デリダと『すばらしい新世界』とティンカー・ベル

 この日の内覧会では、UEIのCPO(チーフ・フィロソフィー・オフィサー)の肩書きを持つ作家/批評家の東浩紀氏、イラストレータ/漫画家の安倍吉俊氏、UEIのCVO(チーフ・ビジョナリー・オフィサー)の肩書きを持つ映画監督の樋口真嗣氏らが登壇し、それぞれenchantMOONとの関わりについてのトークを繰り広げた。

UEIのCVO(チーフ・ビジョナリー・オフィサー)を務める映画監督の樋口真嗣氏(左)、イラストレータ/漫画家の安倍吉俊氏(中)、UEIのCPO(チーフ・フィロソフィー・オフィサー)の肩書きを持つ作家/批評家の東浩紀氏(右)

 東氏は、哲学者ジャック・デリダの「エクリチュール」論を引き合いに出しつつ語った。UEI清水氏がスティーブ・ジョブズがiPhoneの発表で唱えた「スタイラス(ペン)不要論」に反論したことに注目し、「哲学の世界では、もともと書くことは話すことの代替で、書くことに依存すると頭が弱まるという純粋主義の発想が、ソクラテス以来存在する」と語り、ジョブズのスタイラス不要論をこの「純粋主義」の文脈に位置付けた。

 「一方、そのような純粋主義にはあまり意味がないんじゃないか、と言った人がジャック・デリダ」と続け、清水氏による「紙とペンで人は考える」という主張とデリダのエクリチュール論を、東氏はあっさり接続してしまった。

 1984年、Apple Macintoshの発表時に使われた有名なコマーシャルフィルムは、映画監督のリドリー・スコットが監督し、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』をモチーフにしていた。これに対しenchantMOONのプロモーション・ビデオは、オルダス・ハクスリーの小説『すばらしい新世界』をモチーフにしている。これを提案したのは東氏である。

 「(Macintosh発表時の)『1984年』を越えるキャンペーンをやるとして、どう今の時代のディストピアをイメージすればいいか」「『1984年』が旧ソ連的な全体主義のディストピアなのに対して、『すばらしい新世界』は資本主義的なディストピア。モノがあふれ、それゆえにものを考えなくなり不自由になった世界」「僕たちが今いる世界は、『1984年』より『すばらしい新世界』に近い」と、enchantMOONのプロモーションビデオに対する思想的な種明かしをした。

 ちなみに『1984年』と『すばらしい新世界』は日本でもディストピアSFの古典としてよく知られており、早川書房が刊行した『世界SF全集』の第10巻にはこの2作品が並んで収録されている。

 イラストレータの安倍吉俊氏は、「試作のときとペンタッチが違う」と言いながらenchantMOONの最新版を操作してみせた。安倍氏はデジタルガジェットのデザインをする機会を一度逃したことがあり、その時は「夢に出るぐらい悔しかった」とのことだ。今回のenchantMOONでは「ちょうど自分が欲していたもののデザインを頼まれた。運命を感じた」。

 映画監督の樋口真嗣氏は、enchantMOONのUIデザイン上の「こだわり」に言及した。enchantMOONの画面では、文字列を手書きで書いて、それをペンで丸く囲むとそのキーワードに関する次の操作を表示するUIを採用している。

 「デモを見て感動したのが、(手書きの文字列を)ペンでぐるっとやった(囲んだ)とき、(ディズニーのアニメーション作品『ピーター・パン』に登場する)ティンカー・ベルみたいにして(注:「フェアリー・ダスト」と呼ぶ小さな光り輝く粉がまき散らされるような効果のこと)、と言ったら、できてた。打ち合わせで言った時には『できません』と言われてがっかりだったんだけど」。enchantMOONの開発現場では、ギリギリの追い込みが行われていることがうかがえる発言だった。

 また樋口氏は「プロモーションビデオは、俺じゃなくて湯浅くん(湯浅弘章氏)が撮っている(注:クレジットでは「映像監督 湯浅弘章、総統括 樋口真嗣」となっている)。『可能性の物語』なので、可能性がある若い人に撮ってもらいたかった」と強調する。合わせて「まだタイトルは明かせないが、ある有名なロボットアニメを実写する話が進んでいる。湯浅氏はその監督の1人」と、聴衆の関心を未発表の新作映画プロジェクトに引きつけて見せた。

 この後、UEIのCHO(チーフ・ホビー・オフィサー)である前田靖幸氏が、前職の時代に手がけた「ミニ四駆」の事例を紹介、enchantMOONにも搭載されているビジュアルプログラミング環境、「前田ブロック」(enchantMOONでは「MOON Block」)のコンセプトにも「改造できる」「大人と子供が競い合える」などの共通点があることを紹介した。

「ミニ四駆」と「前田ブロック」の共通点

 以上、内覧会の様子を簡単にレポートした。

 enchantMOONは、既成のコンピュータには似つかない「何か新しいコンピュータ」を作り出そうとする試みである。enchantMOONが今後どのような評価を得るのかはまだ分からない。それでも、日本国内からこのように技術的にもビジネス面でも野心的な試みが登場したこと、そして予定出荷数を1時間で達成するほどの注目を集めたことは、記憶に留めておきたい。

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