――しかし、IT業界では、大企業に買収されたスタートアップが、その後事実上消え去ってしまう例に事欠きません。
Casado氏 (ヴイエムウェアによる買収以降の)4年間は、私の人生で最も難しい時期でした。成功には3つの要因が必要だったと考えています。最も重要なのは、経営陣からのサポートです。(CEOの)Pat Gelsinger(パット・ゲルシンガー)氏、(プラットフォーム担当シニアバイスプレジデントの)Raghu Raghuram(ラグー・ラグラム)氏は素晴らしかったです。2人は私たちに投資をしてくれた一方で、放っておいてくれました。
第二に重要なのは、事業チームメンバーのコミットメントです。私は買収完了の翌日にヴイエムウェアを退社することもできました。しかし、私はこの会社に残り、Niciraの社員の大部分も残りました。ヴイエムウェアにもともといた(ネットワーク製品開発の)チームも加わりました。皆、コミットしてくれたのです。そのおかげで、ビジネスを前に進められました。
第三の点ですが、買収される前に、Greene氏に相談しました。「買収されることになると思います。アドバイスをください」と聞くと、「一番重要なのは、セールスチームを維持することよ。製品が革新的であるほど、別の会社の営業チームは売ることができないから。VMware vSphereを売ることに慣れている人がネットワーク仮想化を売るのは難しい」と答えてくれました。そこで、買収交渉の初期は(元CEO)Paul Maritz(ポール・マリッツ)氏、その後Gelsinger氏に、「専任の営業チームを持ちたい」と訴え、受け入れてもらいました。これも成功には欠かせないことだったと思います。
とはいえ、(買収から)4年経ち、振り返ってみると、事業が失敗する可能性はいくらでもありました。運に恵まれた点もあったと思います。正直に言って、私がこれまでやってきたことの中で最も難しかったです。Nicira時代より難しいと感じました。
――テクノロジストとしてやってきた人の中には、ビジネス上の数字とにらめっこするのが嫌いな人もいると思います。カサドさんは2年前にネットワーキング・セキュリティビジネス部門の事業責任者になったわけですが、抵抗はなかったのですか?
Casado氏 それは2008年の経験にさかのぼります。その頃は私が実質的にNiciraを経営していました。最初のCEOは教授で、大学に戻りましたから。2008年に株式市場が大暴落したとき、私は自分の一挙手一投足、自分の全てのエネルギーを、経営につぎ込まなくてはならないと認識しました。
とても怖いと思った時期でした。2007年ごろは、資金を出してくれる人がいくらでもいました。それが突然、誰も金を出してくれなくなり、預金は会社を1年半持たせるくらいしかなくなっていました。それまでに私は多数の友人を説得して、Niciraに入ってもらっていました。結婚し、子が生まれ、家を買った人もいて、私には責任がありました。経営に集中しなければならないと考えたのはそのためです。
その後、スティーブ・マレイニー(Steve Mullaney)氏をCEOとして迎え入れました。しかし、その頃には、「ビジネスを考えないテクノロジーは的外れだ」と思うようになりました。ヴイエムウェアに来て2年間は(ネットワークの)CTOを務め、その後ジェネラルマネージャーになりましたが、そのころにはビジネスがテクノロジーを推進するのだと信じていました。ジェネラルマネージャーとして、責任を持ってテクノロジーを成功につなげていくという行為に、大いに満足を感じてきました。
それでも、2008年の経験がなければ、(ジェネラルマネージャーの仕事を)うまく務めることはできなかったと思います。テクノロジストはリスクの高いアイディアを生み出す人種ですが、ビジネスリーダーは非常に現実的でなければならないからです。特にヴイエムウェアくらいの規模の企業になると、四半期単位で考えなければなりません。
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