Intelのx86が誕生して約40年たつという。x86プロセッサは、互換プロセッサとの戦いでもあった。その歴史を簡単に振り返ってみよう。
Intelがx86の「だいたい40歳」のニュースリリースを出してきた(Intelのニュースリリース「X86: Approaching 40 and Still Going Strong」)。めでたく「誕生日」を祝うものかと思ったところ、ビジネス上の意志(それも強い)を複数の相手に一気に伝える、という意図を持ったニュースリリースのようであった。
さすがに名指しはしていないが、伝えたい相手とは、Snapdragonプロセッサ上で動作するWindows 10を製品化しようとしている、QualcommとMicrosoft、該当のSnapdragon製品を採用しようとしている複数の機器メーカーであることは間違いないだろう。「やるならやってみろ、反撃(法的な手段)するからな!」という意図がストレートに伝わってきたニュースリリースであった。こういうときにはこんな風に書くのだな、と妙に納得のいくものである。
だいたいのあら筋をなぞろう。まずはIntelのx86がパーソナルコンピュータ(PC)への道を切り開き、Intelはx86の命令セットアーキテクチャを40年近くの長きに渡って守り育ててきたことを述べる。一度、VLIWに行きかけて、その横でAMDがやっていたx86の64bit化の評判が良かったので、慌ててx86に力を入れ直したことなどはおくびにも出さない。
MMXにはじまり最近のAVX-512くらいまでの命令セットの拡張を列挙し、その最後に暦年に対する、x86の命令数と関連特許数のグラフを掲載している。このグラフがなかなかよい。最近、x86の命令が増えすぎて記憶できなくなったのは歳のせいかと思っていたが、そうでもなかったようだ。グラフを見れば、何と3500を超えている。覚えきれないわけである。
そして、MMX時代の特許数の少なさ、その後の積み重ねの多さである。そして過去に振り落としてきたx86互換チップベンダーの数々を実名を挙げて列挙。その中でも「最後の」Transmetaは「エミュレーション」でやってきたが、これにIntelは特許を武器に対抗して返り討ちにしたことを述べ、とくに実名を挙げない相手に来るなら来てみろ、という感じでまとめている。なかなか戦闘的な文章だ。
Intelは、40年に渡るx86の「闘争」の歴史を振り返っているが、多少手前みそに過ぎる感じもする。その辺りの知っているつもりの年寄りとして、いくらか補足させてもらおう。
まずは、最初のx86である8086が登場する頃の状況からである。若い衆は知らないだろうが、当時はどこかの半導体会社のチップの回路を別な会社が勝手にコピー(デッドコピー)して売る、ということが普通に行われていた。どこかの国の話ではない、日本の大手半導体会社もやっていたのだ。これには半導体に関する回路配置に関する法整備などが世界的に追い付いていなかったという背景がある。
この頃、Intelのプロセッサも登場するたびにコピー品が出回るような状況下にあったのだが、当時のIntelはあまり特許を持っていなかった。そこで新しい製造プロセスで次々と新製品を出す、というのが基本策になっていた。
回路からコピーするのであれば、まずオリジナルが出荷され、それを解析してという手順だからコピー品の出荷までにはタイムラグがある。どんどん新機能の新製品を出していけば、先端の高額なチップの市場は確保できる(ただしボリュームゾーンは取られる)という感じだ。
その後、そんな無法状態は解消に向かい、法律も整備されデッドコピーは消えていった。しかしそこでx86には2つの強力な挑戦者が登場する。一方は日本のNEC(日本電気)であり、他方は同じシリコンバレーで「軒を接する」ような場所に本社があったAMD(Advanced Micro Devices)である。
まずはNECである。今では忘れられているが、当時、日本の半導体はまさに日の出の勢いだったことに注意してほしい。そして、NECは自社独自の「パソコン」であるPC-98シリーズでバブルに乗って拡大する日本市場を押さえていたのだ。
そんなNECが8086に対抗するVシリーズ(8086に直接に対抗するのはV30)を出してきた。これは8086と命令セット互換性に、自社独自の拡張を施し8086より高性能化したもので、コピーではなく独自設計である。NECとIntelは、法廷闘争に突入する。
ただ、時代は日米貿易摩擦の最中であった。今に比べたら半導体産業全体の規模は、はるかに小さかった。その小さい産業の中の小さな一部品の戦いなのだ。摩擦解消へと動く政府の暗躍(?)もあって、「アメリカから買うものがプロセッサくらいしかないのだから買ってやれ」という流れの中、NECはV30の販売は継続できたものの、流れはIntelに渡った(後からみれば日本半導体の挫折はこの辺りから始まっている)。
次にAMDの場合は、当初、Intelの協力者であった。「小さな」Intel一社では供給に不安があるのでセカンドソースを求める機器メーカーの要求に応えるため、IntelはAMDにx86系の設計情報を出し、製造権を与えていたのだ。いわば公式のコピー品だ。
しかし、AMDは「セカンド」に甘んじてはいなかった。Intelと同じ回路なのに、製造プロセスを工夫して、Intelより動作クロックが高い製品を売り始めたのだ。ご存じのように、プロセッサの世界では速い動作クロックにプレミアムが付く。当然、Intelは警戒する。
結局のところ、AMDは80286世代まではIntelの設計をもらっていたが、それ以降は袂を分かって競合者となって今に至っている。それだけ拡大するプロセッサ市場をみんながおいしく思い始めたということである。
結果、Intelのx86と命令セット的な互換性をとりつつ、独自設計で工夫をこらした各社の互換製品が登場することになる。始まりは、Chips and Technologies(C&T)の80386互換チップだった(C&TはのちにIntelに買収される)。IntelとC&Tはこの互換プロセッサについて「話し合い」をしていたが、その最中にIntelはC&Tを訴えている。
第2のx86互換メーカー「Cyrix」(のちに台湾のVIA Technologiesに買収される)が製品を出す直前のことである。IntelはC&Tというより、Cyrixの鼻先に先制攻撃をかけるために、あのタイミングでC&Tを訴えたと筆者は思っている。
なぜ、IntelがCyrixを警戒したかというと、裏にTI(Texas Instruments)が付いていたからだ。単にTIは、大手半導体メーカーというだけではない。会社設立当初からしばらくは特許が弱かったIntelは、有力な半導体メーカーとはクロスライセンス契約を結んでいた。その契約の詳細はつまびらかではないが、x86の互換機を法的に問題なく製造できるメーカーがいくつかあったのだ。
そのようなメーカーの一社がTIであった。TIはのちに自社製でx86互換市場に打って出る。また、IBMの半導体部門もx86互換機市場に参入する。拡大するx86の市場は多くのベンチャー企業、大手半導体メーカーを引き付け、ほとんど世界中の半導体メーカーが参入を狙っていたような状況が出現する。
AMDに買収されたNexGenや、Intelのニュースリリースに名前が出たTransmeta、SiSに買収されたRise Technologyなど、実際に製品を作って売るところまでたどり着けたところだけでも片手ではきかない。社内で設計、試作くらいまではしたが表に出なかった会社も多数ある。張り巡らされたクロスライセンスの隙間を縫って、Intelはあちらこちらで訴訟を続ける一方で、次々と新製品を出し続けた。
腰の入っていない会社は訴訟リスクで断念したが、最も有効だったのはIntelの新製品投入である。性能を上げ、新機能を追加する。それに対抗するためには互換機メーカー側も膨大な設計投資をしなければならない。しかし、互換機は「割安」の用途中心であり、先行するIntelに比べたら利幅ははるかに小さいのだ。
結局、利益が出ない、という点でAMDおよびVIA Technologies以外はx86市場から脱落した。その際、Intelの訴訟戦略は、単独で決定的な成果を上げたわけではないが、時間稼ぎと側面援護にはかなり成果を上げていると思う。
そして今度は、Qualcommが相手となるのだがどうか。Intelのニュースリリースからうかがえる「武器」は、最近のSIMD系の命令セットに関するものに限られることが分かる。
何せ40年である。基本的な命令セットに関する特許は切れているはずだ。じゃあ、QualcommはSIMD命令を使わなければ大手を振ってやれるじゃないか、と思うところだろう。
しかし最近のコンパイラの吐くコードを見れば、たとえスカラーの演算でもSSE命令など使っている(元のx87系の浮動小数点命令が使いにくいためだろう)。そのため、SIMD命令を避けて今日的なアプリケーションは動かないのである。ただ、SIMD系の命令でも古いものは特許が切れている可能性もなくはない。
争点になるような部分がどのくらいあるのか。また、Qualcommは「やる気」なようだが、Microsoft、そして機器メーカーが付いてくるのか。Microsoftは昔もこの手の話で腰砕けになった前歴があるようだ。機器メーカーにしても迷うところじゃないだろうか。すぐに決着がつくのか、つかないのか、やじ馬には面白いことこの上ないが、当事者は胃が痛くなるだろう。
日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス マルチコアプロセッサを中心とした開発を行っている。
「頭脳放談」
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