「電気自動車」と「自動運転」への流れの中、自動車産業は大きな変革を迎えている。特に「自動運転」は、半導体産業を巻き込んで自動車自体の在り方を変えそうだ。そんな中、NVIDIAがいち早くレベル5(完全自動運転)を目指す基盤を発表した。
想像するに自動車産業の人々は、近年難しい判断を迫られているように思われる。自動車産業の世界市場では、いわばグループリーグは終わり、いまや決勝ステージというべき大メーカーのグループ同士の決戦が進展しているようだ。「ここで判断を誤れば生き残れない」という認識を持っている方々も多いのだろう。ただ、これは互いに手の内を知った業界内の動きであって、誰かが勝ち、誰かが負けるかもしれないが、自動車産業全体としての浮沈がどうこう、という話ではないように思われる。
これに対して不気味なのが、一見、技術的なテーマに見える「電気自動車」と「自動運転」の2つではなかろうか。
「電気自動車」は、欧州などで法制化がどれだけ実現するのか、懐疑的な意見も多い。しかし、もし電気(モーター)が内燃機関を駆逐していくとしたら、その不気味さは製品のコスト構造とサプライチェーン側に大きな影響を与えそうだ。
これまで長い年月をかけて自動車産業は、完成車メーカーを頂点としたピラミッド状の巨大な産業構造を構築してきた。流れている「お金」も巨大だ。しかし「電気自動車」は、その中にちょっと毛色の違うメンツ、すなわち電池やらモーターやらを加えなくてはならない。そうした新しいメンツの取り分は小さくない。「お金」の総量が変わらなくても、それを誰がどれだけ「分捕る」のか配分は大きく変わり得る。
不幸にもサプライチェーンから弾き飛ばされる既存の部品メーカーも出て来るだろう。完成車メーカーだって、うかうかできない。携帯電話からスマートフォン(スマホ)への変化で、あれだけいた日米欧の携帯電話メーカーの名前がほぼ一掃されてしまったことは、他山の石といえるだろう。
「電気」への移行が急激だと、どこかの国の新興メーカーが安さを武器に世界市場を席巻し、旧世界の主要メーカーがたたき出される可能性だってなくはない。しかし、「電気自動車」だけでは、自動車市場そのものは現在の市場とそれほど変わらないと予想できる。車メーカーはどこの国でも、車のオーナーでもある運転者に車を売れる。売る車が内燃機関から電動に代わるだけである。市場の中の大きな部分である「自家用車」の販売という構図は維持できるはずだ。
ところが「自動運転」はどうだろうか。「自動運転」を追い求めていけば、最終的には人間は全く運転に介在する必要がない。ただ、行き先を指定するだけ、という姿になる。まさに輸送機械の「目的」が達成される(運転がすること自体がお楽しみという目的がどこまで残るかは分からないが)。
しかし、そのとき、「自家用車」の販売という市場は成り立つのだろうか? 自宅やオフィスの延長として快適でプライベートな空間を確保しておきたい、という点では残りそうでもある。だが、移動という目的に限ってしまえば、一日に数十分から数時間使うだけの機械を所有しておく必然性は大幅に低下するのではないか。
日本以外では、いまでもUber(ウーバー)のようなサービスが人気だ。今のところ、Uber類似サービスのビジネスモデルは自家用車とその運転手を前提としているようだが、運転手が要らないのであれば、それも変わってきそうだ。個人が自家用車を所有する必然性は低下し、自家用車市場は縮小し、自動車製造業は配車サービスビジネス対象のB2B産業か、自分らが配車サービスを主とする産業に変わる可能性だってある。「自動運転」は、技術革新であると同時に、自動車市場そのものを大きく変える可能性があるのだ。
外から見ていと、自動車産業の人々は、そういった不気味さをよく認識していて、たとえ変化は避けられないにせよ、自分らの市場を自分らでコントロールし続けたいと願って布石を打っているように見える。しかし、その変化を捉えて前面に躍り出たい、と考えている新参者もまた多い。その筆頭に挙げられるのが、最近、自動運転に傾倒しているNVIDIAである。
自動運転といってもいろいろレベルがあることはよくご存じだと思う。最近の新車にはかなりの割合で、自動ブレーキなどが搭載されているようなので(筆者宅の軽自動車にも装備されているくらいだ)、人間の操作の手助けをする「レベル1」は「すでに普及」しているといってよいだろう。つまりは、装着の設定がないと自動車のセールスに差し支えるくらい一般化し、ほぼ標準装備になりつつあると言っていいのではないか。
その次の比較的限定的な局面で、機械に運転を任せてしまう「レベル2」から「レベル3」についても、各社の開発は相当に進んでいる。多くのメーカーが商品化している段階だ。しかし、このステップを便利だと思うか、局面が限定的でかえって不便と思うか、安心して任せられると思うのか、まだ不安なところがあると思うのか、ユーザーの受け取り方はいろいろあり得る。
普及は進むのだろうが、正直、レベル2や3というのは、中途半端な感じが否めない。0から1へのステップは、ごくごく限られた局面でめったに発動されない機能とはいえ、「機械が人に代わって判断して操作する」という点では、エポックメーキングなステップであった。
それに比べると、レベル1から2、そして3というのは、必要とされる技術レベルにはレベル0から1よりも大きなギャップがある割に、人と車の関わりという点ではレベル0から1への方向の「延長」でしかなく、実はそれほど本質的な発展はないのではないかと思われる。
ようやくレベル4に至って、自動運転らしい自動運転に行き当たる。目的地を指定すればそこに連れていってくれるようなレベルである。現段階で自動車メーカー各社の開発の前線はここにあるものと考えている。しかし、このレベルでも人間の運転者という存在は必要だし、ハンドルもブレーキも必要だ。既成の自動車という概念の範囲内じゃないかと思う。
ところが、ここに来てNVIDIAは「レベル5」、つまりは全てがお任せというレベルを開発するための基盤にする、という前提で発表を行った(25社を超える企業がNVIDIA CUDA GPU上でレベル5のロボタクシーの開発を推進)。プラットフォーム名は開発コード名で「Pegasus(ペガサス)」という。実態は、発表済みの車載向け最新SoCであり、ARMコアとVolta(ボルタ)世代のGPUの集積であるXavier(ザビエル)2個と、単体GPU(新世代ということなので現行のVolta世代の次に当たる世代ということなのだろう)2個を搭載した「ナンバープレート大」の基板である。
GPUといっても、仕事はAIのための推論計算だ。推論計算は最近の流れに乗って、8bit幅の計算能力を大幅拡充している。float型(32bit)からHalf float(16bit)への変化も速かったが、16bitから8bitも流行になると一気である。すでに昔の意味でのGPUとは大きく異なった存在になってきている。
このPegasus、今すぐに販売というわけではない。2018年の話のようだ。それでも今、発表したのは、車関係のショーで、先行してレベル5という目標をいち早く示すことで、開発の主導権を確保していきたいというもくろみがあるのだろう。実際、Pegasusに「乗って」レベル4、レベル5の自動運転の開発に手を挙げているベンチャーが多数あるようだ。
そのうちどれだけが生き残るのか分からないが、開発が先行しているというNVIDIAのポジションは、何者にも代えがたく有利となるに違いない。実際に量産になるときには、また次の世代の半導体プラットフォームになっているのかもしれないが、いずれにせよ、こうした動きは既存の自動車産業の枠組みから一歩踏み出した動きに見える。
さて、群がり起こる新参者どもの登場に、既成の自動車産業の人々は、外で使役しようと試みるのか、内に飲み込むのか、それとも戦うのか、無視するのか、どうさばくのだろうか。
日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス マルチコアプロセッサを中心とした開発を行っている。
「頭脳放談」
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