スマートフォン(スマホ)アプリにおけるインディ(個人)開発者のお話をしよう。副業での開発であるにもかかわらず、そのアプリを企業に持ち込めば、そのまま買い取ってもらえるのではと思える程のクオリティーを実現した事例を紹介する。
本コラム連載「ものになるモノ、ならないモノ」では久しぶりとなるのだが、スマートフォン(スマホ)アプリにおけるインディ(個人)開発者のお話をしよう。今回は副業での開発であるにもかかわらず、そのアプリを企業に持ち込めば、そのまま買い取ってもらえるのではと思える程のクオリティーを実現した事例の紹介である。
筆者も、本業以外の部分で、趣味の延長線上でiOSの楽器アプリを開発しているので、個人の副業開発者には、ついついシンパシーを感じてしまうのだ。今回、ご登場いただく「bismarkさん」の場合、本名が知られてしまうと本業の各方面に支障を来すということなので、ハンドル名でご登場いただく。bismarkさんの副業歴は長く、2016年には、海外からの大きな仕事が決まったことをきっかけに、副業状態のまま個人事業者として法人成りした。
今回、bismarkさんが開発したのはiOS版の音楽プレーヤー「scylla」(スキュラ)。シンプルなUIで簡単明瞭な操作にこだわった音楽プレーヤーだ。無料でダウンロード可能だが、アプリ内課金でハイレゾやFLACファイルの再生機能を追加することもできる。さらに、ハイレゾ再生に対応したUSB DAC(Digital to Analog Converter)を接続すれば、それ相応の音質を堪能することも可能だ。
大きな特徴は、前述のシンプル操作に加え、iOS端末内にある「ミュージック」アプリのライブラリはもちろん、iCloud Drive、Dropboxといったインターネットのストレージ上に保存してある音楽や、ハイレゾの音楽ファイルを統合的に扱える点にある。特に、圧縮音源とハイレゾ音源を同じプレイリストに混在できる機能は、珍しいのではないだろうか。その他にも、「ミュージック」が対応していないFLACの再生や曲名、アーティスト名の読み上げ機能といった特徴も兼ね備えている。
アプリの紹介はひとまず置いておき、筆者としての興味は、まず「副業での開発」という部分に向く。昨今は政府主導による「働き方改革」や「創業・新規事業創出の推進」が叫ばれ、兼業・副業の促進も取り組みの1つとして挙げられている。ただ、政府がそうやって旗を振っても、実態は追いついていない。2017年2月にリクルートキャリアが公表した「兼業・副業に対する企業の意識調査」によると、「兼業・副業を禁止している」企業は77.2%にのぼる。
上場企業に限って言えば、「認めており、届け出も必要ない」企業が 1%、「認めているが届け出または許可制」企業が17.9%とある(日本経済新聞社・日経リサーチ、2017年1月発表)。以前と比較すると年々寛容にはなっているそうだが、日本は総じて兼業・副業には慎重な社会であることが分かる。bismarkさんの会社(本業の方)は、「副業は禁止ではないが、届け出が必要。ただ、申請が面倒なので黙っている」と耳打ちする。
実は筆者の周辺には、bismarkさんのように本業の業務で日々スマホアプリを開発しているのに、アフターファイブや週末に自宅で自分の好きなアプリを開発している人が複数いる。@ITの読者の中にも多くいると勝手に想像しているのだが、いかがだろうか。
筆者の場合、本業は音楽制作業であり、副業のアプリ開発は異なる分野なので、“副業感”が強く気持ちのリセットができる。一方、友人や知人の副業アプリ開発者に関しては、いくら自分の好きなアプリを作っているとはいえ、会社でゴリゴリとSwiftやKotlinでコードを書いて、夜や週末にも自宅で同じことをするのは、仕事を持ち帰っているようで、気持ちの切り替えができるのだろうかと他人事ながら心配してしまう。
ただ、その心情は別のところにあるようだ。受託でアプリ開発を行う企業のあるプログラマーは筆者に次のように吐露する。「会社で業務として行う開発は、さまざまな制約の中で進めているので、試したい新しいフレームワークがあってもそうそう試せるものではない。そういったものを自分のアプリでトライしている。そのような経験が業務に生かせる場面もあり、自分の評価にもつながる」
そういえば、アプリ開発の経験をキャリアパスの武器として転職を成功させた知人プログラマーもいた。筆者が2009年にリリースした最初のiOS(当時はiPhone OS)アプリは、小さなSIerに務める若いプログラマーと組んで開発した。もちろん、彼にとっては副業である。
彼はJavaが得意なプログラマーだったが、そのとき初めてObjective-Cによるアプリ開発に挑戦し、アプリを無事にリリース。その実績を引っ提げて超有名な一部上場ネット企業へ転職した。そのネット企業が、ちょうどスマホのアプリ対応を進めていたこともありグッドタイミングでのチャレンジだった。副業の実績が彼の評価を高めたわけだ。
ちなみに、本コラムの主役であるbismarkさんの場合、本業の方では、プロジェクトをマネジメントする立場に就きコードを書く機会がめっきり減ったしまったことで「自分の時間を使ってコーディングすることでフラストレーションの解消になる」と笑う。コーディング大好き人間というのはそういうものであろうか。とても興味深いのは、コーディングが最もはかどるのは、片道約1時間の通勤電車の中だという。「神奈川県の奥地から都心まで通っているので朝は必ず座れる。ほぼ毎日、音楽を聴きながらコーディングしている」という。
こういう話を聞いていると、ふと頭に浮かぶのがGoogleの「20%ルール」だ。@ITの読者には今さら説明は不要であろう。「週間勤務時間のうち1日分を自ら取り組んでいるプロジェクトに費やすことを許す」という有名なGoogle独自の企業文化である。GmailやGoogleマップは、そのようなプロジェクトがきっかけになったという。
Googleがこのルールを取り入れた理由はさまざまであろうし、他でたくさん語られているが、これはエンジニアの心情や特性を知り尽くしているからこそのマネジメント手法なのではないのか。ちょっと意地悪な見方をすれば、資本家が労働者の剰余価値(マルクス経済学でいう不払い労働による価値)を搾取するための有効な方法とも思える。
エンジニアは、自分の好きなプロジェクトを成功させるために、20%ルールの枠を超えて、アフターファイブや週末など自分の時間をプロジェクトの開発に費やすであろうことを知っているからこそのマネジメントの一手法といえるのではないか。資本家のずる賢いやり方と見るのは物事を斜めに見過ぎているのであろうか。
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