続いてテーマは「製造の現場とIT」に移った。ここで成迫氏が指摘したのは“ソフトウェアというものに対する日本企業の認識”だ。
「日本のものづくりの現場では、最初の設計段階で『いかに量産化できるか』を現場と一緒に考えて設計します。量産が難しければ設計を考慮する。改善活動も現場主導で回し、設計にまでさかのぼる。それがソフトウェアになると、いきなり『コーディングをアウトソースする』という話になってしまう。内製化やDevOpsなどは、こうした問題に対する揺り戻しだと感じています」
斎藤氏も「DXの本質は、ビジネスのソフトウェア化、ビジネスのコード化です。コードの上でビジネスが動く以上、コードこそがビジネスコアになる。内製化するか否かという議論ではなく、(ビジネスコアである以上)社内で取り組むしかないということです」と指摘した。
だが、「日本企業の多くはまだそうした認識には至っていない」(斎藤氏)のが現実だ。これに対して及川氏は、「ITリテラシーについて言えば、欧米企業の場合、経営トップがエンジニア出身であったり、エンジニアリングに理解があったりする点が大きく影響しているのではないか」とコメント。
「ビル・ゲイツやラリー・ペイジ、サーゲイ・ブリンは自らコードを書き、自分たちで実装する価値を知っています。ジェフ・ベゾスはエンジニアではありませんが、その価値は理解していると思います。コアコンピタンスを外に出すという発想は最初からないのです。製造の現場でも、トップの方がITやプログラミングの価値を知ることが大事です」
ただITの世界では、開発現場と設計、経営層が分断されているものの、「ものづくり」の世界においては、経営層まで含め、製造現場に対する一定の理解があることも事実だ。斎藤氏はその点を受けて、「デンソーもそうですが、日本企業の多くに改善活動の仕組みが染み付いています。ただソフトウェア開発にはそれが適用されず、ジェフ・サザーランドのアジャイル開発宣言を待つしかなかった。アジャイルの本質はトヨタ生産方式がベースです。アジャイルが日本企業に広く受け入れられる素地は十分にあると思います」と話した。
それを実際に裏付けるような経験をしたことが、成迫氏にはあるという。デンソーの役員が新横浜のアジャイル開発センターを訪れた際、アジャイル・スクラムの説明をしたところ、「それなら昔、俺たちもやってたよ。何が新しいのか分からないよ」と言われたそうだ。
「何らかの問題で作業が止まってしまったら、すぐに手を上げて、ペアプログラミングしたりモブプログラミングしたりするんですよ、と説明したら、『何だ、アンドン(行灯)じゃないか』と。まさにおっしゃる通りで、日本の製造業の強みが逆輸入されて戻ってきているんです」(成迫氏)
事実、設計・開発・実装という一連のフェーズにおいて、設計以外は重要ではないという考え方がある。だが狙い通りのシステムをスピーディに開発・改善するためには、DevOpsのように設計から実装まで一連のプロセスを連携させ、高速でフィードバックサイクルを回すアプローチが不可欠だ。特に昨今は「差別化の源泉」となるシステムほど、ニーズに答えるスピード、内容が強く求められている。
内製化とアジャイル開発の採用は「エンジニアのマインドセット」にも大きく影響する。
「エンジニアの腹落ち感が違うので生産性にも関わってきます。企画、設計、実装、テストまで含めて1つのチームです。全員で考えていくので、誰かのアイデアを命令されて実装するのではなく、自分たちの製品であるという意識が生まれます。発注者や受注者、オーナーシップが分かれているのではなく、全員が発注者であり、オーナーシップを持つ。意思決定のプロセスが分断されることがありません。簡単に言えば、自分たちの作っている製品に愛を持つ、ということです」(及川氏)
製品に愛を持つと、スクラムでいう「ユーザーストーリー」という考え方も自然に腹落ちする。これにより、エンジニアが当事者意識を持ってビジネスにコミットしていくことができるようになるという。
成迫氏も、「内製化を進めることで、エンジニアや作り手がエンドユーザーのことを考えられるようになる。マネジャーの視点で言うと、エンドユーザーのことを考えられる立場にエンジニアを置いてあげること、環境を整えてあげることが大切。それによって、まずエンジニア自身が変わることが大事です」と話すと、及川氏も「エンジニアが変わったら楽しいですよ。新横浜のアジャイル開発センターもみんな楽しそうです」と、デンソーでは実際にエンジニアが生き生きと仕事をしていることを明かした。
ここで、会場で話を聞いていた及川氏のDEC時代の先輩でもある"伝説のエンジニア"、吉岡弘隆氏(楽天 技術理事)が手を挙げて議論に参入。
「現場のエンジニアをエンパワーするより、経営陣から変わらないと、会社の方向として(ディスラプターに)やられちゃうということだと思うんですよ。そこで聞きたいのは、『デンソー役員の中に、どのくらいソフトウェア専門の人がいるのか』ということです。自動車の会社に入社する人は自動車が好きで入っているから、現場を離れて役員になっても設計図面を見れば勘が働くし、アジャイル開発の話からアンドンを想起するセンスもある。ただソフトウェアについては、肌感覚として理解することは難しいのではないか」(吉岡氏)
成迫氏は「僕の取り組みがうまくいかないと言われているようです(笑)」と、たじたじになりつつも、「デンソーは、エンジン部品や熱関係、電気関係、マイコン、ファームウェアなど、クルマの中に入っているさまざまな部品、制御ソフトウェアを扱っています。そうした部門を担当してきた役員は、ソフトウェアに対する理解がすごくあります。あるいは、昔からカーナビゲーションの分野を担当していたり、画像認識や信号処理、各種マネジメントシステムを研究する部門があったりするため、応援してくれる方はたくさんいます」と回答。
一方、及川氏は、「吉岡さんの質問に対する端的な答えは、私みたいな人間に『技術顧問になってください』という役員がいる会社だということです」と答えた。
「私のように法人格でもないフリーランスに依頼すること自体が、すでに“普通の会社”ではない。全員がソフトウェアに対する理解を持っているわけではありませんが、変わらなきゃいけないという思いを持っている人がたくさんいます」とした上で、こんなエピソードも明かした。
「ある役員と話していたら、『土日にPythonを書いている。TensorFlowでこんなことをやったよ』と言うんです。もちろん私より年配ですよ。『何だこの人は!?』と正直驚きました。そんな人が何人もいるんです。あ、この会社面白いなと思いました」(及川氏)
トークショーの締めくくりとなったのは、「いま若者へのメッセージ」だ。成迫氏にその役を任された斎藤氏は、「今の若い人はやり方を変えればやっちゃうと思う。ちょっとチャンスを与えれば、取り組みを進めていく力は持っていると思う」として、こう訴えた。
「むしろ問題は中間管理職です。過去の成功体験が価値となって違うことをやろうとしない。結果的に足を引っ張るのだけはやめた方がいい。IT、ソフトウェアに対する基本的な社会の価値観が変わっている以上、昔の価値感はもはや通用しない――それを自覚すべきです。オジサンが足を引っ張らなければ、若い人はどんどん学んでいく。大いに期待しています」(斎藤氏)
ちなみに会場には「DECを知っている人」と問われて手を挙げるオジサン世代も多い状況であり、ある意味、斎藤氏自身の自戒の言葉でもあったのかもしれない。
ITやソフトウェアにどのくらい理解があるか、エンジニアをどう育てていくか、企業をどう変革していくか。これらのテーマはDXの文脈に限らず、恒常的に課題視されてきたことでもある。社会の在り方、ビジネスの在り方がテクノロジー中心に変わりつつある今、若者から年配まで一体となって変革に取り組んでいくことが何より大事――そんなことを感じさせるトークショーとなった。
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