第222回 初期費用ゼロ円はArmにとっても良いアイデア?頭脳放談

Armの「DesignStartプログラム」は、初期費用ゼロ円で特定のArmコアが利用できるというもの。これからIoT分野に打って出ようという小さなベンチャーなどに最適なプログラムだ。これによりArmも市場を広げられる可能性が。

» 2018年11月29日 05時00分 公開
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 Armの「DesignStartプログラム」というのが話題になっているようだ。DesignStartプログラムは2015年から開始されたもので、特定のArmコアならば、同プログラムに参加することで設計開始時のライセンス費用が無償化されるというものだ。

 2018年になって、そのプログラムに「Cortex-A5」が追加されたことが、話題になっている理由の1つかもしれない。2017年までは「Cortex-M3」、その前は「Cortex-M0」までであったので、「最近はやりの応用」向けに大きく踏み出した感じがする。

 ただし「Armコアをタダで使える」という話で盛り上がっているDesignStartプログラムの中では、例外的にCortex-A5の利用に費用がかかる。とはいえ今までのライセンス料の相場に比べれば本当に安いと思う。本気で設計しようとする企業にとっては「手頃」な値段だ。しかし、普通の個人が負担できるような金額ではないので念のため。

半導体のIPビジネスってどんなもの?

 まずは半導体の知的財産権(IP)ビジネスのありさまをざっと説明しておこう。筆者は、長いこと半導体業界にいるので、ライセンサー(知的財産権の使用を許諾する側)になったことも、ライセンシー(許諾される側)になった経験もある。

 実を言えば、Armのライセンシーの側にいたこともある。よって具体的な数字は書けないのだが、昔ながらのスタイルで提供されている半導体のIPライセンス契約のありようについては、大筋は分かっているつもりだ。それと対比することで、ArmのDesignStartプログラムというもののユニークさが明らかになるだろう。

 多くの半導体IPビジネスでは、お金は3つの項目で支払われると考えるのが妥当だ。契約により、どれかの項目がなかったり、名前が違ったり、まとめられたりすることはあるが、基本的に下記で説明する3つに分類できる。

 第1がイニシャルフィーだ。これは契約を結ぶときにライセンシーがライセンサーに支払う一時金だ。通常、この支払いが行われるという契約が結ばれて初めて、該当のIPを使って設計、製造を行うための情報が手渡される。契約前には契約を検討するための情報は出してもらえるが、核心的な部分は開示されないのが普通だ。

 第2がロイヤリティーである。こちらはライセンシーが該当のIPを使用した製品を販売することに対して支払うお金である。販売価格の何%といった料率の場合もあれば、1個に付き何ドルとか何セントといった固定価格のこともある。数量が見込まれる製品については出荷の数に応じた「割引」率などが取り決められることも普通に行われる。

 また、このようなパーコピーでお金を支払いたくないライセンシーもまま多い。弱い立場のライセンサー(少なくともArmは弱いわけがないが)の場合、ライセンシーがいくらか多めにイニシャルフィーを支払って以降の支払いを免れる「買い切り」契約になることもある。

 第3がサポート/メンテナンスフィーだ。これはライセンサー側がライセンシーの開発をサポートしたり、出荷済みの設計/製造情報を最新版に更新したりするためのサービス料である。これはライセンサー側の実働も必要なので労賃的なものでもある。

 しかし実際には、多くの場合は「契約を継続する限り」毎年イニシャルフィーの何割かに相当する額を支払い続ける方式で決められることが多い。毎年の契約更新料的な性格が強い場合もあるのだ。もともと高額のイニシャルフィーの1割といったように、かなり高い料率で設定されるのが一般的になっている。商売を続けたい限り支払うことになるのでこれまた負担になる。

 これ以外にもテープアウトフィー(半導体工場へ製品の製造情報を渡す度に発生する)などの項目が立てられることもあるが、製品ごとのイニシャルフィー的な一時金と解釈すれば理解できる。

DesignStartプログラムは市場を広げる良いアイデア?

 かつてArmの公開情報の資料では、この3種の「フィー」のうちイニシャルフィーの割合が、収益の半分を超えていたと記憶している。1件1件のイニシャルフィーが結構な金額なので、契約数が増えている中ではそのような状態になるだろう。ただ、イニシャルフィーは一時金なので、これに頼るのは経営的にはいかにも不安定だと思う。

 現在のArmの収入構成がどうなっているのかは知らないが、あれだけ数量が出て、数えきれないくらいのライセンシーがいる。今ではロイヤリティーやサポート/メンテナンスフィーが増えて、イニシャルフィーの比率はかなり低下しているのではないかと想像する。

 しかし、イニシャルフィーを支払ってくれるライセンシーの伸びが低下するというのは、IPビジネスにとっては死活問題でもある。イニシャルフィーの件数こそ将来の飯のタネなので、IPの採用件数の伸びが低下すれば成長も頭打ちとなる。Armの場合、「世界中ほとんど全ての大手半導体会社」と何らかの契約があるはずだ。既存の市場の中でいままで通りのやり方でやっていても頭打ちだ、というのが見えていたのではないか。

 そう考えると、このDesignStartプログラムというのは、「自分たちの市場を広げる」上でとても良いアイデアに思える。開発着手前に「高いイニシャルフィーをまず払え」と要求されてしまうと、資金力のない小さな組織では手が出せない。その点、このプログラムでは、「Cortex-M0」と「Cortex-M3」という限定されたコアではあるが、「フリー」で開発に着手できるのである。

 資料を読むと、さすがに無料のWebサイト上のアグリーメントだけで入手できる情報と、公式にライセンス契約結んで得られる情報には差別化がなされており、お金を払った人が怒らないような仕掛けはなされているようだ。

 昔は高いお金を払わないことには着手できなかったので、そこを乗り越えて契約をするまでの「稟議(りんぎ)」などでくたくたになっている人が少なからずいたのではないかと思う。しかし、このプログラムであれば、ハードルは限りなく低い。もともとは大学や研究機関での研究用途に「世界標準」たるArmのコアを使ってもらって、裾野を広げようということだったのかもしれない。

 商用であっても小さなベンチャーあるいは、企業の規模は大きくても予算に乏しい日陰の部署などでは非常に助けとなるだろう。実際に量産へ移行するに当たってはきちんと契約を結ばなければならないようだが、それでも「出世払い」的なロイヤルティー設定だと書いてある。新分野・新製品となるとなかなか数も売上高も読み切れないから、これもライセンシー側のリスク低減とプロジェクトの成立に効果があるだろう。

Cortex-A5ならLinuxだって動かせる

 ただ2017年までのこのプログラムでは、前述の通り、コアとして使えたのは「Cortex-M0」と「Cortex-M3」という、どちらもMCU(FLASH-ROM/RAMまで搭載したマイクロコントローラー)向けのコアだった。M3の方が、演算能力は多少高いものの、どちらも何の変哲もないArmコアであり、M0はv6という二世代前のコアであった(M3はv7、最新はv8)。

 Armであるからして、Arm用に開発された周辺回路や開発ツール、ミドルウェアなどのArm世界にある多くの恩恵を受けることができる。しかし、組み込み用のリアルタイムOSならまだしも、Linux(やAndroid)のような世界には使えない。MCU的な組み込み開発ならばM0で良さそうな気もするのだが、このIoTの世の中、組み込みデバイスでもLinuxベースのOSを走らせたいという要求が強くなっているようだ。

 流通している膨大なソフトウェアベースを使いたい、という要求が強いのだと思う。MCUベースだと小さく、そして単価を抑えて作れても、ソフトウェアは一品料理にならざるを得ないから、たとえ移植するにしても時間がかかる。その点、流通ソフトウェアの世界に直結させられれば、瞬時に機能を取り込める。

 初代のRaspberry PiはARM-11だった。ARM-11は古いコアだが、キャッシュもFPUもMMUも搭載しており、クロック周波数もそれなりでLinuxベースのOSを走らせられる。それ相当あるいはそれ以上の、スマートフォンと同等のソフトウェアが走らせられるようなArmコアが欲しいという要望が強かったのではないだろうか。

 それに対するArm側の答えが、Cortex-A5をDesignStartプログラムに加えるという判断だったように思う。Cortex-A5は、スマートフォンなどで使われるアプリケーションプロセッサ向けの「最小」コアという位置付けであり、Armの32bit系列の中では標準のv7アーキテクチャである。もちろんLinuxやAndroidも実行可能なはずだ。

 現状、最新のアプリケーションプロセッサはすでに64bit系列に移行済みなので、Armから見たポジショニング的にも問題ないのだと思う。75kドル/年(3年だと150kドル)という破格の値段で使える。相場に慣れない人はM0/M3の「Free」との差の大きさにびっくりするかもしれないが、プロは安く感じるはずだ。それだけCoretex-A5には価値があり、「お金」が取れるアプリケーションが作れると考えているからに違いない。このプログラムに乗って、「自分のSoCデバイスをこさえてやろう!」と思っている人々よ、健闘を祈る。

筆者紹介

Massa POP Izumida

日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス マルチコアプロセッサを中心とした開発を行っている。


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