最初に任されたのはテスト工程。仕様に沿ってテストを行い、バグが出たら報告書を起票するという仕事だった。リリース後はソースコードにも触れるようになり、改修ではコーディングも担当。サブリーダーを1回、リーダーも3回経験した。
「小規模なECのようなシステムで、商品ページから予約管理、物流システム連携、インライン課金、月額定額課金と、小さいながらもさまざまな要素があり、ありがたい経験をさせてもらいました」
テスト工程、開発工程、詳細設計、仕様設計と着実にステップアップしつつ、インターンのメンター、チームリーダーとマネジメント面でも八面六臂(ろっぴ)の大活躍。社員納会の準備を兼務(?)していたときには、さすがにパンクしたそうだ(「どうして、そこ手抜きしなかったんですか」「だって、そういうことこそチャンとやりたいじゃないですか」)。
3年後、染谷さんは異動を願い出た。「もっと大規模なシステムやサービスの業務を経験してみたい」と思うようになったからだ。
楽天の看板事業でもあるショッピングモール「楽天市場」や、当時主力となりつつあった「楽天カード」「楽天銀行」といった金融関連事業に比べると、「楽天レンタル」は、事業部門と開発部門を合わせても30人ほどという、同社の中では中小規模のプロジェクトだったのである。
そして、楽天市場国際開発室に移動。中国、マレーシア、スペインなど多数の国際楽天市場の新規立ち上げや、プラットフォームのローカライゼーション層、データモデリング、APIなど中核部分の設計をする部署だ。
配属時のチームは自分以外全員外国人。仕様書もソースコードのコメントも外国語で書かれていたという。「周囲のメンバーに日本語で情報共有してもらうのが申し訳なかったです……」と、苦笑いしながら当時を振り返る
その後プロダクトマネジャーとなり、オープンAPI導入支援の顧客対応やヘルプデスク設置などにも従事。早朝から夜中まで「よく働いた」時期だった。社内表彰で何度も月間個人賞を受賞した。
その後国際楽天市場が第二世代に移行することになり、染谷さんは、ユーザー、店舗、商品、注文などのデータの要件作成、設計などを担当することになった。
複数圏のマーケットプレースに提供するサービスということで、マルチランゲージ、マルチカレンシー、マルチタイムゾーンを実現するために必要なローカライゼーション層の要件作成、データ設計、外部システム連携のためのAPIの要件作成などを行い、エンジニアとして、とても良い経験になった。
そのころ染谷さんは、ある悩みを抱え始めていた。
20人程度からスタートしたプロジェクトが300人ほどに増え、ユーザーの顔が見えなくなっていたのだ。当時の楽天社内のスローガン「スピード!! スピード!! スピード!!」にも、違和感を覚えていた。「1年を1カ月に」というそのタイム感は、単なる効率化や生産性の向上でなしえない、会社の総合力を上げねばならない取り組みだった。
自分は、誰のために何を開発しているのだろうか……。
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