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» 2020年07月01日 05時00分 公開

「退職するなら、2000万円払ってね」は、本当に会社だけが悪かったのか「訴えてやる!」の前に読む IT訴訟 徹底解説(77)(3/3 ページ)

[ITプロセスコンサルタント 細川義洋,@IT]
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京都地方裁判所 平成23年10月31日判決から(つづき)

(1)労働者が労働契約上の義務違反によって使用者に損害を与えた場合、労働者は当然に債務不履行による損害賠償責任を負うものではない。すなわち、労働者のミスはもともと企業経営の運営自体に付随、内在化するものであるといえるし、業務命令内容は使用者が決定するものであり、その業務命令の履行に際し発生するであろうミスは、業務命令自体に内在するものとして使用者がリスクを負うべきものであると考えられる。

(中略)

(2)しかるに、本件においては(中略)社員Aにおいてそれについて故意又は重過失があったとは証拠上認められないこと、ソフトウェアベンダーが損害であると主張する売上減少、ノルマ未達などは(中略)本来的に使用者が負担すべきリスクであると考えられること、ソフトウェアベンダーの主張する損害額は2000万円を超えるものであり、社員Aの受領してきた賃金額に比しあまりにも高額であり、労働者が負担すべきものとは考えがたいことなどからすると、ソフトウェアベンダーが主張するような損害は、結局は取引関係にある企業同士で通常に有りうるトラブルなのであって、それを労働者個人に負担させることは相当ではなく、原告の損害賠償請求は認められないというべきである。

 裁判所は会社の損害を労働者個人に負わせるものではないとして、ソフトウェアベンダーの訴えを退けた。

損害の原因は社員でも、責任を取るのは会社

 会社において労働者が企業に負うべき責任は、その社員の働きによって企業が負った損失自体には及ばず、あくまで社員としての処分を甘受するにとどまる。常識的に考えても、普通の会社員に数千万円の賠償を求めること自体、ナンセンスといわざるを得ない。これは、社員が管理職であろうと、裁量労働制の下で働いていようと、あるいは創業メンバーで株主であろうと変わることはない。

 読者の皆さんも、これを人ごととして見ている分には「社員に責任などないはずだ」と迷いなく考えるかもしれない。ただ、これまで数多くの争いを裁判所で見てきた私の経験でいうと、実際に、自分が訴えられたとき、あるいは、会社から損害の賠償を求められたとき、誰もが同じような冷静さを持ってこれを拒絶できるかといえば、そんなこともないのではとも考える。

 プロジェクトや顧客との関係が自分の責任で壊れてしまったという負い目があり、そのために会社に顕著な損失が出たときに、会社から「責任を取れ」といわれれば、そういうものかと考え、悩む社員もいることだろう。まして、会社の上層部や法務部門、あるいは弁護士などから、そんな申し出を受けたら、もう逃げようもないと金の工面に走ろうとする社員もいるかもしれない。もちろん裁判にまで持ち込めば、この判決のように労働者の責任の限界を考慮した判断が出るとは思うが、そこに至る前に「示談」という形で賠償を約束させられることもない話ではない。

 こうしたことは大企業では考えにくいが、規模が小さくて損失を受け止めきれない中小ベンチャー企業だったり、このケースのように当該社員が管理職であったり、労働契約違反が明確であった場合などは、社員に賠償を求めることもあり得るだろう(賠償を求めること自体は、違法行為ではないのだから)。

 ソフトウェア企業に勤める社員の方には、ぜひこうした判決があることを覚えておいていただきたい。いくら自分に非があろうと、管理職であろうと、社員である以上、その責任の取り方には限度があり、少なくとも、会社の負った損害をそのまま転嫁されるようなことはない。

 昨今の疫禍の影響で、今後経営に苦しむソフトウェア企業も多いかもしれない。そうした中には、苦し紛れにこうした申し出を社員にする企業もあるかもしれないが、社員、あるいは元社員の方々には、自らとれる形で責任を取り、あとは毅然(きぜん)とした態度で臨んでいただきたいと考える。

細川義洋

細川義洋

政府CIO補佐官。ITプロセスコンサルタント。元・東京地方裁判所民事調停委員・IT専門委員、東京高等裁判所IT専門委員

NECソフト(現NECソリューションイノベータ)にて金融機関の勘定系システム開発など多くのITプロジェクトに携わる。その後、日本アイ・ビー・エムにて、システム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーと発注者企業に対するプロセス改善とプロジェクトマネジメントのコンサルティング業務を担当。

独立後は、プロセス改善やIT紛争の防止に向けたコンサルティングを行う一方、ITトラブルが法的紛争となった事件の和解調停や裁判の補助を担当する。これまで関わったプロジェクトは70以上。調停委員時代、トラブルを裁判に発展させず解決に導いた確率は9割を超える。システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」。

2016年より政府CIO補佐官に抜てきされ、政府系機関システムのアドバイザー業務に携わる

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