阿部川 そこで、諦めちゃったんですか。
クさん 3年の終わりごろにもう1回オーディションを受けました。でも、合格しなかったので、アニメは僕の道ではないな、と思うようになりました。
そのとき、夢を失ったんです。
日本に来た目的は声優だったけれど、声優に向いていないことが分かったし、チャレンジしてみたけれど合格しなかった。自分はアニメ業界とは関係ない人なんだと思って。
阿部川 すーっと悲しくなったんですね。ブルーな気持ちになったと思いますが、その後どうなりましたか。
クさん ブルーな状態が結構長く続いたんです。
大学4年までは普通に進級して、4年生のときにわざと留年しました。理由は、兵役(注)を終わらせてからまた日本に戻りたかったから。
編集注:韓国の男性は18〜29歳の間に約2年間の兵役に従事する義務がある
1回目の大学4年を終えてから兵役にいったのですが、2年1カ月の間ずっとブルーでした。「自分は何をすればいいんだろう」というのが全く見えなくて。
阿部川 兵役を終えた後、日本に戻ります。
クさん 就職しないといけないので日本に戻りました。慶應大学は日本ではとても有名ですが、韓国ではそうでもないんです。早稲田はみんな知っていますけど。
阿部川 なるほど。むしろ、日本に戻ってきた方が慶應卒のメリットを生かせると考えたのですね。いつごろ日本に戻ってきたのですか。
クさん 2011年の5月に戻りました。ご存じの通り東日本大震災が起こった年です。震災の日、僕はまだ兵役中で同僚から「クーちゃん、大変よ。すごいことが起きている」と言われてテレビを見たら、想像もできないことが起きていました。
そのとき思ったのは、日本にいる知り合いの心配と、そして「これからどうすればいいんだろう」ということでした。両親がとても心配して「日本で就職して大丈夫なの?」という話になり、僕も悩んだので、卒業時点では日本での就職をいったん保留にしました。
未曾有(みぞう)の災害に見舞われた当時、「明日からどうすればいいのか」と途方に暮れる人は多かったと推測します。ただでさえ就職を考える時期はセンシティブになりがちです。あまり詳しいお話はされませんでしたが、回復するまで大変悩まれたと思います。
阿部川 学生のころからたくさんアルバイトをしていますね。まず「デイリーヤマザキ」で10カ月、それから「ローソン」で8カ月、そして「スターバックス」。印象に残るアルバイトはありましたか。
クさん ローソンの店長はとても優しくしてくれて、ありがたかった記憶があります。スターバックスも良かったです。スターバックスはシャレている人だけがバイトしている印象があったんです。僕はそのころ自分に自信がなくて、でもダメ元で応募してみたら合格できたので、誇りを持って働けたことを覚えています。
阿部川 スターバックスに入れたことが、まずは自信回復に少しつながった、と。大学を卒業して韓国に戻ってからは、「ゴドウォンの朝の手紙」の瞑想(めいそう)センターや旅行の通訳、「サムスン」のエバーランド、「ジャイアンツ」のネットカフェというのもありますね。ゴドウォンの朝の手紙は、韓国語で毎日メールが届くサービスのようなものでしょうか。
クさん ゴドウォンさんという方が本で読んだ良い文章などを抜粋してメールで配信するサービスです。当時、100万人以上がそのサービスを受けていて、今は300万人を超えていると思います。
最初は瞑想センターにボランティアとして参加しました。そこで皆さんと知り合いになって、瞑想センターで行う青森旅行の通訳をやることになったのです。スタッフ5〜6人、お客さまが30人ぐらいの規模のツアーでした。
阿部川 大学卒業後4年ぐらい、アルバイトやボランティアをしていたのですね。結構、不安でしたね。
クさん すごく不安ですし、親もすごく心配していました。韓国では、一生懸命勉強すれば既卒でも就職できなくはないのですが、そのためにはすごくスペックを上げなければなりません。TOEICだったら900点台は基本ですよ、といった感じです。その上で、インターンなどをやってから就職に挑みます。
僕は夢も失ったし、日本でも韓国でも就職しづらい状況だったので、「ブルーが長くなった」んです。
アニメにはまり、声優の夢を実現するため来日するも、ライバルたちの本気を見て心が折れてしまったクさん。悩みつつ、新しい目標に向かってアルバイトに励むクさんが「ブルー」から抜け出したきっかけとは。
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