グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回もSansanの海外開発拠点、Sansan Global Development Centerにて取締役を務めるJay Pegarido(ジェイ・ペガリド)さんにお話を伺う。無職から一転、社長として会社のあれやこれやを取りまとめるジェイさん。大変だけど、それだけ誰かのためになる。その機会に出会えたことがうれしいと彼はほほえんだ。
国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。前回に引き続きSansanのJay Pegarido(ジェイ・ペガリド)さんにお話を伺う。幾つかの企業で経営者としての視点を学び、海外企業とのやりとりにも精通したジェイさんが、若いエンジニアに伝えたいこととは。
聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。
阿部川 “Go”久広(以降、阿部川) 2009年にSprasiaに入社してからのことを教えていただけますか。
Jay Pegarido(ジェイ・ペガリド 以下、ジェイさん)入社してから3年ほどたって実績を積み、私はIT部門のマネジャーになりました。そろそろ次のチャレンジを、と考えていたところ、社長から呼ばれ「自分たちのビジネスをアジアの他の地域で展開したい。やってくれないか」と持ちかけられました。
Sprasiaという会社名は“Spread in Asia”(アジアに広がる)を縮めて作った造語で「ITのテクノロジーをアジアに広める」のがミッションでした。最初はインドネシアに拠点を作ることを考えていたようでしたが、私のスキルセットを100%活用できること、言語やコミュニケーションにおける利点もあることから、フィリピン(に拠点を作ること)を提案しました。社長も同意してくれて、2012年にセブに最初のオフィスを構えることになりました。
阿部川 新会社の社長ですね、ご自身でビジネスを動かしたり、会社を経営したりするのは初めての経験ですよね。当時何歳でしたか。
ジェイさん 33歳でした。(日本語で)「Sansan、ですね」(笑)。
阿部川 なるほど(笑)。Sprasiaの現地の社長としてどのようなことに取り組んだのですか。
ジェイさん いろいろしましたよ。オフィスを探したり、メンバーを採用したり。それまでフィリピンの労働に関する法規などを詳しく知らなかったので、それらへの対応にも気を付けました。エンジニアのトレーニングもしましたね。現地で教えられるのは私だけでしたから、大変でした。
阿部川 会社を一から立ち上げたのですから、営業、マーケティング、人のトレーニング、雇用と、全てやらなければならなかったのですね。
ジェイさん そうですね。開発部隊を作ることが目的だったので、顧客のニーズに応じて、製品を開発したり、機能を追加したり、拡張したり、カスタマイズしたりできなければなりません。そのために毎日トレーニングしました。業務は、日本企業から業務委託を受けてフィリピンで製品を作り、それを日本に提供する、といったものでした。
仕様書は日本語なので、それを英語に翻訳してエンジニアたちに説明し、その上で私たちが使っている技術の内容やネットワークのこと、データベースのこと、などを全て一人で教えないといけませんでした。採用も進めつつ、給与の支払いや経理のシステムもやらないといけない。アウトソースできるとはいえ、最終的には全体を管理しないといけませんでした。
ジェイさんの八面六臂(ろっぴ)っぷりがすごいですね。特に感心したのが日本語の仕様書を英訳した上で開発を進めたところです。ただでさえ言葉の壁で誤解が生まれやすいのに、従業員に教育しながらこなしてしまうなんて……。「ジェイさんがいるなら仕事を任せよう」と思うのも納得ですね。
阿部川 それは恐ろしく大変ですね。でもきっと、この4年間はとても貴重な時期だったでしょうね。マネジメントの視点を持って業務全体を見渡せるようになったのではないでしょうか。
ジェイさん おっしゃる通りです。これは自分にとって大きな転機だったと思います。最初の2年間はエンジニアリングやプログラミングの業務が主でしたが、徐々にマネジメント寄りに、仕事がシフトしていきました。私はプロジェクトマネジャーの資格を持っているわけではありませんが、関わる仕事が全て実践でしたので、効果的にスキルを向上させられたと思っています。良いオンザジョブトレーニング(OJT)を受けられました。
阿部川 2014年にはシンガポールでSprasiaの支社を立ち上げます。
ジェイさん はい。私はそこでゼネラルマネジャーを勤めました。
阿部川 これもまた新しい仕事の環境ですね。日本での仕事も、セブでの仕事も、シンガポールでの仕事も経験できたのですね。それぞれの場所で、違った業務や、マネジメントを学ばれたのではないでしょうか。
ジェイさん それぞれの拠点で特徴が違いますからね。シンガポールはどちらかというと営業とマーケティングが中心で、日本にクライアントがいて、フィリピンは開発拠点といった感じです。
阿部川 2016年には、International Systems Research Cebu(ISR)のセブ拠点を設立されます。シンガポールからセブに戻ったわけですね。
ジェイさん なぜセブに戻ったかというと、東京やシンガポールよりも自分のキャリアを高められると考えたからです。また、私は常に「何か人に役立つようなことをしたい」と思っています。起業すれば人を雇う必要があります。つまり、いろいろな人に雇用機会を提供できます。ですから会社を起業する機会に恵まれたとき、セブでやってみようと決意しました。
阿部川 ジェイさんの話を聞いていると、新しい仕事や機会が常に周りからやってきているように思います。「何々をやりたい」というよりは「これをやってみないか」と外から誘いが来る。現在のSansanの仕事も、私にはそのように思えますがいかがですか。
ジェイさん うーん、(日本語で)「運命でしょうか」。ちょっと分かりません(笑)。
起業のきっかけは、ISRの社長との出会いです。セブ島で社長から「ここで起業してみる気持ちはないか」と言われました。ISRはクラウドのセキュリティを担う会社なのですが、当時、開発の拠点をアジア地域に設立したいと考えていたそうです。その中で私を見いだしてくれた、ということで申し出を受けることに決めました。
主な仕事は、独自のクラウドセキュリティ製品の開発で、大変面白いものでした。会社の代表ですので、開発はもちろん、業務の全てのことに責任を持ち仕事を進めなければなりませんでした。ただ、経験を積んだエンジニアが多かったのでそこまで難しさは感じませんでした。約30人の社員をマネジメントするのは忙しい仕事でしたけれども。
ISRは米国に市場がありましたから、それをカナダにも広げたいと考えていました。幸運にも、ゼネラルマネジャーとしてISRカナダを設立する機会に恵まれました。2017年の終わりぐらいだったと思います。
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