とはいえ、それは理想論かもしれません。この番組には7000通を超える応募があったそうです。合格者7人の背景には7000人がいる。夢がかなえられるのはほんの一握り。ひょっとしたら、ボクたちは7000人の側かもしれません。
目の前に「No」を突き付けられる経験を何度も繰り返していたら「やっぱりうまくいかないじゃないか」と自信をなくしてしまったり、「どうせ無理に決まってるよ」と斜に構えてしまったりすることもあります。オーディション参加者の中には、他のオーディションで敗者だった人たちが数多くいました。あるいは、挫折を何回も繰り返す中で、自信をなくしていた人もいました。
それでも、可能性を諦めない姿が、そこにはありました。
ボクは「人生を懸けて」とか「命を懸けて」という言葉があまり好きではありません。「そんな気軽に言うな」と。「実際に命なんて懸けないだろう? それなのに、そんな上っ面なことを言うな」と。だけど、可能性を諦めずに挑む参加者たちの「さま」を見ていたら、「これが『命を懸ける』ということか」「彼女たちは『命を懸けている』と言ってもいい人たちだ」と思いました。
それに比べてボクたちは「命を懸けて」って言えるほど、やっていないのかもしれない。それぞれの仕事の領域で「プロフェッショナル」と言えるほど、真剣に自分と向き合っていないのかもしれない。
もしも、ボクたちにとって何かしら「望む理想」があるのだとすれば、命……まで懸けなくていいかもしれないけれど、そのぐらいの意気込みで取り組むことも大切かもしれない。物事がなかなかうまくいかなくて、つい、冷めがちなのだとしたら、それを打開するために、時には「命を懸けるぐらいに」やってみてもいいのかもしれない。
ボクは、どちらかというと「冷めている」タイプです。物事に対して内なる炎を燃やすことはあっても、表立って熱く表現したり、行動したりすることはあまりありません。逆に、熱い人に対して「うーん、ボクには無理」と、どこかで壁を作ってしまうこともありました。
だけど、いまは「時には一生懸命になってもいいんじゃないかな」と思っています。というより、自分に対して「FAKE」で「LAZE」で「HATE」なのは嫌だ。それよりも、熱くなって、一心不乱に打ち込んでみたい。
その熱さは、「熱くなろうとして」なるものではないかもしれません。けれども、少なくとも自分が思ったこと、感じたことにウソをつかず、自分と向き合うことを諦めなければ、それでいいのではないか。そして、これまでがんばってもうまくいかなかった「もう一人の自分」をねぎらい、癒やし、たたえ、中指を立てずに、いまできることをやっていけば、自然と熱くなれるのではないか?
少なくとも、そうしていった方が自分を好きになれそうだし、自信にもつながりそうだな、と思ったのです。
しごとのみらい理事長 竹内義晴
「仕事」の中で起こる問題を、コミュニケーションとコミュニティーの力で解決するコミュニケーショントレーナー。企業研修や、コミュニケーション心理学のトレーニングを行う他、ビジネスパーソンのコーチング、カウンセリングに従事している。
著書「Z世代・さとり世代の上司になったら読む本 引っ張ってもついてこない時代の「個性」に寄り添うマネジメント(翔泳社)」「感情スイッチを切りかえれば、すべての仕事がうまくいく。(すばる舎)」「うまく伝わらない人のためのコミュニケーション改善マニュアル(秀和システム)」「職場がツライを変える会話のチカラ(こう書房)」「イラッとしたときのあたまとこころの整理術(ベストブック)」「『じぶん設計図』で人生を思いのままにデザインする。(秀和システム)」など。
「何かが足りない」のは「価値観の揺らぎ」が足りないから
やりがいのないオレの仕事を「やりたくないこと」で彩る
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